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塩谷正房

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
塩谷正房
時代 江戸時代
生誕 宝暦4年(1754年
死没 天明6年10月24日1786年11月14日
別名 秀之助
戒名 日晩
墓所 谷中妙情寺
氏族 塩谷氏
父母 父:塩谷奉正
母:勝市郎右衛門命雅[1]
兄弟 正房、女子、正住[2]
安藤図書定堅室(養女)[3]
女子(養女)[4]正義(養子)、
かね塩谷正義室・養女)[5]
鈴木正誼[6]、八五郎[7]
中村孝邦[8] 
かね、女子[9]、鉄之丞[10]
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塩谷 正房(しおのや まさふさ)は、江戸時代の武士。

略歴

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塩谷奉正の嫡男として生まれる。母方の祖父である勝命雅(市郎右衛門)は勝海舟と幕末大奥御年寄である瀧山の共通の先祖の1人である。

江戸幕府御家人として、安永5年(1776年)12月19日御勘定となったが、その10年後、家督を継ぐ前に父奉正に先立って病死した。享年33。

脚注

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  1. ^ 勝海舟高祖父
  2. ^ まさをり、時之丞。系譜には『病者たるにより嗣たらず』とあり。
  3. ^ 弟である塩谷正澄の娘。経緯は不明だが、奉正の養女となり、安藤正堅の妻となった。
  4. ^ 中村浅右衛門孝邦の娘。経緯は不明だが奉正の養女となった。
  5. ^ 義兄正房の長女。
  6. ^ 始め正英。備前守、捨五郎、九郎右衛門。鈴木三次郎正昌の養子となり、京都仙洞御所付となる。
  7. ^ 系図にも『某』とあり、名は不明。
  8. ^ 浅右衛門。
  9. ^ 酒井熊之丞忠供の養女となる。
  10. ^ 父の死後、祖父奉正の跡継ぎとして養子になるが間もなく病死した。

参考文献

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  • 『ふるさと矢板 第七号』(矢板市文化財愛護協会 平成三年七月)
  • 寛政重修諸家譜