塩谷正房
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時代 | 江戸時代 |
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生誕 | 宝暦4年(1754年) |
死没 | 天明6年10月24日(1786年11月14日) |
別名 | 秀之助 |
戒名 | 日晩 |
墓所 | 谷中妙情寺 |
氏族 | 塩谷氏 |
父母 |
父:塩谷奉正 母:勝市郎右衛門命雅[1]娘 |
兄弟 |
正房、女子、正住[2]、 安藤図書定堅室(養女)[3]、 女子(養女)[4]、正義(養子)、 かね(塩谷正義室・養女)[5]、 鈴木正誼[6]、八五郎[7] |
妻 | 中村孝邦娘[8] |
子 | かね、女子[9]、鉄之丞[10] |
塩谷 正房(しおのや まさふさ)は、江戸時代の武士。
略歴
[編集]塩谷奉正の嫡男として生まれる。母方の祖父である勝命雅(市郎右衛門)は勝海舟と幕末の大奥御年寄である瀧山の共通の先祖の1人である。
江戸幕府の御家人として、安永5年(1776年)12月19日御勘定となったが、その10年後、家督を継ぐ前に父奉正に先立って病死した。享年33。
脚注
[編集]- ^ 勝海舟の高祖父。
- ^ まさをり、時之丞。系譜には『病者たるにより嗣たらず』とあり。
- ^ 弟である塩谷正澄の娘。経緯は不明だが、奉正の養女となり、安藤正堅の妻となった。
- ^ 中村浅右衛門孝邦の娘。経緯は不明だが奉正の養女となった。
- ^ 義兄正房の長女。
- ^ 始め正英。備前守、捨五郎、九郎右衛門。鈴木三次郎正昌の養子となり、京都仙洞御所付となる。
- ^ 系図にも『某』とあり、名は不明。
- ^ 浅右衛門。
- ^ 酒井熊之丞忠供の養女となる。
- ^ 父の死後、祖父奉正の跡継ぎとして養子になるが間もなく病死した。
参考文献
[編集]- 『ふるさと矢板 第七号』(矢板市文化財愛護協会 平成三年七月)
- 寛政重修諸家譜