南木佳士
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南木 佳士 (なぎ けいし) | |
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誕生 |
霜田 哲夫 1951年10月13日(73歳) 日本・群馬県吾妻郡嬬恋村 |
職業 |
小説家 医師(内科[1]) |
言語 | 日本語 |
国籍 | 日本 |
最終学歴 | 秋田大学医学部医学科卒業 |
代表作 |
『ダイヤモンドダスト』 『阿弥陀堂だより』 |
主な受賞歴 |
第53回文学界新人賞(1981年) 第100回芥川賞(1989年) 第36回泉鏡花文学賞(2008年) 芸術選奨文部科学大臣賞(2009年) |
デビュー作 | 「破水」(1981年) |
活動期間 | 1981年 - |
配偶者 | あり |
南木 佳士(なぎ けいし、本名:霜田 哲夫、1951年(昭和26年)10月13日 - )は、日本の小説家、医師。既婚。
代表作は芥川賞受賞作『ダイヤモンドダスト』(1988年)、『阿弥陀堂だより』(1995年)。自身のうつ病の経験から、生と死をテーマにした作品が多い。
経歴
[編集]群馬県吾妻郡嬬恋村出身。嬬恋村立東小学校、嬬恋村立東中学校[2]、保谷市立保谷中学校 [3]、東京都立国立高等学校を経て、秋田大学医学部医学科を卒業後、佐久総合病院に勤務。
1981年(昭和56年)、「破水」で第53回文学界新人賞を受賞し小説家デビュー。翌年、「重い陽光」で第87回芥川賞候補。1983年に「活火山」、1985年に「木の家」、1986年も「エチオピアからの手紙」で芥川賞候補となる。
1989年(昭和64年/平成元年)、「ダイヤモンドダスト」で第100回芥川賞を受賞。
1990年(平成2年)から1996年(平成8年)、パニック障害で病棟責任者を辞任。その後鬱病を発症[4]。
2008年(平成20年)、『草すべり その他の短編』で泉鏡花文学賞を受賞[5]。翌年には『草すべり』で芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。
作品リスト
[編集]小説
[編集]- 『エチオピアからの手紙』文藝春秋、1986年 のち文庫
- 破水(『文學界』1981年12月号)
- 重い陽光(『文學界』1982年4月号)
- 活火山(『文學界』1982年10月号)
- 木の家(『文學界』1984年8月号)
- エチオピアからの手紙(『文學界』1985年12月号)
- 『ダイヤモンドダスト』文藝春秋、1989年 のち文庫
- 冬への順応
- 長い影
- ワカサギを釣る
- ダイヤモンドダスト(『文學界』1988年9月号)
- 『落葉小僧』文藝春秋、1990年 のち文庫
(落葉小僧、フナを釣る、ニジマスを釣る、ハヤを釣る、ヤマメを釣る、金印)
- 『医学生』文藝春秋、1993 のち文庫
- 『山中静夫氏の尊厳死』文藝春秋、1993 のち文庫
(山中静夫氏の尊厳死、試みの堕落論)
- 『阿弥陀堂だより』1995年、文藝春秋、のち文庫
- 『冬物語』文藝春秋、1997 のち文庫
(川岸にて、空の青、赤い車、晩秋、タオルと銃弾、冬物語、ウサギ、急須、スイッチバック、木肌に触れて、となり町で、芝生)
- 『家族』文藝春秋、1999 のち文庫
(家族、井戸の神様、風鐸、さとうきび畑)
- 『海へ』文藝春秋、2001 のち文庫
- 初出:『文學界』2000年8月号
- 『神かくし』文藝春秋、2002 のち文庫
- 神かくし(『文學界』2001年2月号)
- 濃霧(『文學界』2001年7月号)
- 火映(『文學界』2001年8月号)
- 廃屋(『文學界』2001年11月号)
- 底石を探す(『文學界』2002年2月号)
- 『こぶしの上のダルマ』文藝春秋、2005 のち文庫
- こぶしの上のダルマ(『文學界』2004年7月号)
- 山と海(『文學界』2004年8月号)
- ぬるい湯を飲む猫(『文學界』2004年9月号)
- 稲作問答(『文學界』2004年10月号)
- 洗顔と歯磨き(『文學界』2004年11月号)
- 集落の葬式(『文學界』2004年12月号)
- 歩行(『文學界』2005年1月号)
- 麦草峠(『文學界』2005年2月号)
- 『トラや』2007年、文藝春秋 のち文庫
- 『草すべり その他の短編』文藝春秋、2008 のち文庫
(草すべり、旧盆、バカ尾根、穂高山)
- 『先生のあさがお』文藝春秋、2010 のち文庫
2013(熊出没注意、白い花の木の下、先生のあさがお)
- 『熊出没注意 南木佳士自選短篇小説集』幻戯書房 2012
- 『陽子の一日』文藝春秋、2013 文春文庫、2015
- 『小屋を燃やす』文藝春秋、2018 文春文庫、2021
エッセイなど
[編集]- 『ふいに吹く風』1991年、文藝春秋、のち文庫
- 『信州に上医あり 若月俊一と佐久病院』1994年、岩波新書
- 『医者という仕事』1995年、朝日新聞社、のち文庫
- 『ふつうの医者たち』(対談集、1998年、文藝春秋)のち文庫
- 『臆病な医者』1999年、朝日新聞社、のち文春文庫、朝日文庫
- 『冬の水練』2002年、岩波書店、のち文春文庫
- 『急な青空』2003年、文藝春秋、のち文庫
- 『天地有情』2004年、岩波書店、のち朝日文庫
- 『からだのままに』 2007年、文藝春秋、のち文庫
- 『生きのびるからだ』2009年、文藝春秋、のち文庫
- 『山行記』山と溪谷社 2011年 のち文春文庫
- 『生きてるかい?』文藝春秋 2011年 のち文庫
- 『猫の領分 南木佳士自選エッセイ集』幻戯書房 、2012年
- 『薬石としての本たち』文藝春秋、2015年
- 『根に帰る落葉は』田畑書店、2020年
共著
[編集]- 『八十八歳の秋 若月俊一の語る老いと青春』若月俊一述、1999年、岩波書店
テレビ出演
[編集]脚注
[編集]- ^ “多摩紀行(9) 国立市 国立高校(南木佳士の母校) 04/4/11”. www.nakash.jp. 2021年12月1日閲覧。
- ^ “南木佳士の故郷 嬬恋村三原を回る (3)南木佳士の家 と 東小、東中 07/9/12”. www.nakash.jp. 2021年12月1日閲覧。
- ^ “多摩紀行(9) 国立市 国立高校(南木佳士の母校) 04/4/11”. www.nakash.jp. 2021年12月1日閲覧。
- ^ 日本経済新聞2012年6月13日16面・夕刊文化「人の犠牲で人は生きのびる」中野稔編集委員
- ^ “泉鏡花文学賞”. www4.city.kanazawa.lg.jp. 2021年10月3日閲覧。