北橘村
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きたたちばなむら 北橘村 | |||||
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箱田城址 | |||||
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廃止日 | 2006年2月20日 | ||||
廃止理由 |
新設合併 渋川市、伊香保町、小野上村、子持村、赤城村、北橘村 → 渋川市 | ||||
現在の自治体 | 渋川市 | ||||
廃止時点のデータ | |||||
国 | 日本 | ||||
地方 | 関東地方 | ||||
都道府県 | 群馬県 | ||||
郡 | 勢多郡 | ||||
市町村コード | 10301-2 | ||||
面積 | 18.89 km2 | ||||
総人口 |
10,024人 (2006年2月1日) | ||||
隣接自治体 | 渋川市、前橋市、勢多郡赤城村、富士見村、北群馬郡子持村、吉岡町 | ||||
村の木 | ニッポンタチバナ | ||||
村の花 | ヒマワリ | ||||
北橘村役場 | |||||
所在地 |
〒377-8502 群馬県勢多郡北橘町大字真壁2372番地1(現・渋川市北橘町真壁2372番地1) | ||||
座標 | 北緯36度28分52秒 東経139度02分46秒 / 北緯36.48117度 東経139.04622度座標: 北緯36度28分52秒 東経139度02分46秒 / 北緯36.48117度 東経139.04622度 | ||||
ウィキプロジェクト |
北橘村(きたたちばなむら)は、群馬県の中央部、勢多郡に存在していた人口約1万の村である。
赤城山南西麓に位置し、村の西を流れる利根川を挟み渋川市と相対する。村の最南部の利根川沿いを国道17号(現・国道291号)が走る。また、最北部には国道353号が通り、共に橋が架けられ渋川市へと通じる。
1889年に当初、南勢多郡北橘村として発足し、1896年に南勢多郡は東群馬郡とともに勢多郡と改められた。2006年2月20日に渋川市、北群馬郡伊香保町、小野上村、子持村、勢多郡赤城村とともに新設合併し、消滅した。
村名としての「北橘」は、「きたたちばな」と読むが、しばしば「ほっきつ」の読みが使われた。この地名は、明治時代の末に「橘山」(現在の前橋市北西にある小山)を境として橘村を南北をそれぞれ「北橘村」、「南橘村」としたことに始まる(南橘村は、1954年に前橋市に編入されている)。2006年2月20日に市町村合併により渋川市となり、北橘村地域は北橘町(ほっきつまち)として残る。
歴史
[編集]沿革
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い南勢多郡北橘村が成立[1]。
- 1896年(明治29年)4月1日 - 南勢多郡が東群馬郡と統合され勢多郡となる。
- 2006年(平成18年)2月20日 - 渋川市、北群馬郡伊香保町、小野上村、子持村、勢多郡赤城村と合併し、新たな渋川市となる。
経済
[編集]産業
[編集]- 農業
『大日本篤農家名鑑』によれば北橘村の篤農家は、「今井善兵衛、小林清三」などである[2]。
行政
[編集]- 村長:木村栄一
歴代村長
[編集]代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 生年月日 | 没年月日 | 備考 |
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初 | 為谷伊平 | 明治22年5月 | 明治26年5月 | 天保14年3月23日 | 明治43年5月4日 | |
2 | 田中四三二 | 明治26年5月 | 明治28年4月 | 嘉永5年5月11日 | 明治36年2月2日 | 5代 |
3 | 今井善兵衛 | 明治28年4月 | 明治30年3月 | 文久元年5月8日 | 大正5年3月21日 | 7代、勲八等白色桐葉章 |
4 | 田中恒治郎 | 明治30年4月 | 明治31年8月 | 元治元年7月8日 | 明治32年7月10日 | |
5 | 田中四三二 | 明治31年8月 | 明治34年3月 | 嘉永5年5月11日 | 明治36年2月2日 | |
6 | 森田定治郎 | 明治34年4月 | 明治38年4月 | 嘉永3年4月12日 | 大正5年10月14日 | 勲八等白色桐葉章 |
7 | 今井善兵衛 | 明治38年4月 | 明治42年4月 | 文久元年5月8日 | 大正5年3月21日 | |
8 | 古屋画一 | 明治44年11月 | 大正2年3月 | 嘉永5年4月16日 | 官選任命による輪時代理 | |
9 | 加藤佐平 | 大正2年3月 | 大正5年4月 | 弘化2年11月3日 | ||
10 | 今井徳太郎 | 大正5年5月 | 大正9年5月 | 慶応2年7月28日 | 昭和2年11月12日 | |
11 | 山口領総 | 大正9年6月 | 大正10年7月 | 安政4年9月7日 | 大正13年9月5日 | 勲八等白色桐葉章 |
12 | 小林清三 | 大正10年10月 | 大正14年10月 | 明治5年11月2日 | 昭和25年12月19日 | |
13 | 楯正作 | 大正14年10月 | 昭和4年10月 | 文久2年1月8日 | 昭和12年10月4日 | 勢多郡会議員 |
14 | 柴崎政吉 | 昭和4年10月 | 昭和8年9月 | 明治15年4月10日 | 昭和38年3月15日 | |
15 | 今井善兵衛 | 昭和8年10月 | 昭和12年11月 | 明治21年1月8日 | 昭和36年4月21日 | 善兵衛長男、16代、17代 |
16 | 今井善兵衛 | 昭和12年12月 | 昭和16年11月 | 明治21年1月8日 | 昭和36年4月21日 | |
17 | 今井善兵衛 | 昭和16年12月 | 昭和20年11月 | 明治21年1月8日 | 昭和36年4月21日 | |
18 | 楯紋弥 | 昭和20年12月 | 昭和21年12月 | 明治14年10月15日 | 昭和40年11月2日 | 正作長男、勲八等 |
19 | 井上義雄 | 昭和22年4月 | 昭和26年4月 | 明治30年5月7日 | 昭和50年3月7日 | |
昭和26年4月 | 昭和28年9月 | 辞職 | ||||
20 | 飯田与兵衛 | 昭和28年10月 | 昭和32年10月 | 明治20年11月17日 | 昭和37年8月3日 | |
21 | 都丸三代次 | 昭和32年10月 | 昭和36年10月 | 明治36年7月12日 | 昭和40年6月27日 | |
22 | 藤木正益 | 昭和36年10月 | 昭和40年10月 | 明治32年10月12日 | 勲八等白色桐葉章、紺綬褒章 | |
23 | 玉田義雄 | 昭和40年10月 | 昭和44年10月 | 明治32年2月10日 | 勲五等、紺綬褒章 | |
24 | 小林鶴太郎 | 昭和44年10月 | 昭和48年10月 | 明治35年11月20日 | 紺綬褒章 | |
25 | 石田利治 | 昭和48年10月 | 大正15年7月30日 |
地域
[編集]村内の大字
[編集]教育
[編集]交通
[編集]出身・ゆかりのある人物
[編集]出身者
[編集]ゆかりのある人物
[編集]名所・旧跡・観光スポット
[編集]施設
[編集]史跡
[編集]- 箱田城址 - 渋川市指定史跡。
- 真壁城址
- ハ崎城址
- 房谷戸遺跡 - 出土土器が国の重要文化財。
- 道訓前遺跡 - 出土品が国・群馬県の重要文化財。
- 小室敷石住居跡 - 群馬県指定史跡。
- 真壁向山遺跡 - 出土出土緑釉陶器が渋川市指定重要文化財。
- 分郷八崎遺跡 - 出土深鉢形縄文土器が渋川市指定重要文化財。
- 田尻遺跡 - 出土弥生土器一式・鉄剣が渋川市指定重要文化財。
- 箱田遺跡群上原遺跡 - 出土深鉢形縄文土器渋川市指定重要文化財。
- 前中後遺跡II - 弧状列石(配石遺構)が渋川市指定史跡。
- 八幡塚古墳 - 渋川市指定史跡。出土直刀・刀装具が市指定重要文化財。
- 小室郷倉 - 市指定重要文化財。
神社
[編集]- 木曾三社神社
- 木曾三柱神社
- 赤城神社 (渋川市北橘町真壁)
- 赤城神社 (渋川市北橘町下南室)
- 赤城神社 (渋川市北橘町上南室)
- 赤城神社 (渋川市北橘町八崎)
- 三柱神社 (渋川市)
- 八幡宮 (渋川市北橘町八崎)
- 神明宮 (渋川市北橘町上箱田)
- 愛宕神社 (渋川市北橘町真壁)
寺院
[編集]- 雙玄寺
- 正善寺 (渋川市)
- 桂昌寺 (渋川市)
- 玉泉院 (渋川市)
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佐久発電所
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Komorebiテラスばんどうのゆ
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聖酒造
「関東の華」蔵元 -
箱田城跡
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木曾三社神社
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木曾三柱神社
脚注
[編集]- ^ 北橘村誌編纂委員会 1975, p. 425.
- ^ 『大日本篤農家名鑑』386頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年4月20日閲覧。
- ^ “渋川市の指定文化財(旧北橘村地区)”. www.city.shibukawa.lg.jp. 2024年10月20日閲覧。
参考文献
[編集]- 北橘村誌編纂委員会 編『北橘村誌』北橘村役場、1975年11月30日。doi:10.11501/9641137。(要登録)