北宇和郡
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人口12,186人、面積340.33km²、人口密度35.8人/km²。(2024年10月1日、推計人口)
以下の2町を含む。
郡域
[編集]1878年(明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記2町に宇和島市の大部分(吉田町深浦・吉田町法花津・吉田町白浦および吉田町河内の一部を除く)を加えた区域にあたる。
歴史
[編集]郡発足までの沿革
[編集]知行 | 村数 | 村名 | |
---|---|---|---|
藩領 | 伊予宇和島藩 | 1町 40村 9浦 |
宇和島[1]、高田村、岩松村、増穂村(現・宇和島市津島町増穂)、岩淵村、山財村、上畑地村、御内村、下畑地村、下灘浦、近家浦、祝森村、保田村、寄松村、宮下村、川内村、丸穂村、藤江浦、下村、中間村(現・宇和島市伊吹町)、柿原村、光満村[2]、高串村、大浦、奥浦、九島浦、三浦、遊子浦、戸島浦、日振浦、北川村、奈良村、中之川村、芝村、永野市村、近永村、豊岡村、富岡村、上家地村、松丸村、延野々村、小西野々村、広見村、下大野村、大宿村、生田村、清水村、西野々村、畔屋村、槙川村[3] |
伊予吉田藩 | 1町 57村 8浦 |
吉田町[4]、立間村、沖村、河内村、深泥浦、立間尻浦、鶴間浦、浅川浦、南君浦、下波浦、蔣淵浦、北灘浦、是房村、能寿寺村、曽根村、務田村、迫目村、土居中村、増田村、吉波村、是延村、仲村、内深田村、出目村、目黒村、吉野村、蕨生村、奥野川村、興野々村、岩谷村、上川原淵村、小倉村、則村、大藤村、成家村、黒井地村、戸雁村、宮野下村、元宗村、末盛村[5]、小沢川村、中野中村、波岡村、川之内村、田川村、金銅村、古藤田村、土居垣内村、大内村、兼近村、沢松村、清延村、国遠村、成藤村、中間村(現・宇和島市三間町三間中間)、黒川村、音地村、小松村、久保村[6]、延川村、川上村、上大野村、父野川村、下鍵山村[7]、日向谷村、上鍵山村[8] |
- 明治初年
- 仲村が分割して東仲村・西仲村となる。(2町98村17浦)
- 末盛村が改称して増穂村(現・宇和島市三間町北増穂)となる。
- 明治4年
- 明治5年6月23日(1872年7月28日) - 神山県の管轄となる。
- 明治6年(1873年)2月20日 - 愛媛県の管轄となる。
郡発足以降の沿革
[編集]- 明治11年(1878年)
- 明治14年(1881年) - 郡役所が「南宇和北宇和郡役所」となり、南宇和郡とともに管轄。
- 明治16年(1883年) - 中間村(現・宇和島市三間町三間中間)が改称して三間中間村となる。
- 明治22年(1889年)12月15日 - 町村制の施行により、下記の町村が発足[9]。特記以外は現・宇和島市。(2町31村)
- 宇和島町(宇和島[10]が単独町制)
- 丸穂村(単独村制)
- 吉田町(吉田町[11]が単独町制)
- 立間尻村 ← 立間尻浦、鶴間浦、浅川浦、沖村[一部]、深泥浦[12]
- 奥南村 ← 奥浦、南君浦[大部分]
- 喜佐方村 ← 沖村[大部分]、河内村[大部分]、南君浦[一部]、東宇和郡白浦[飛地]
- 立間村(単独村制)
- 成妙村 ← 曽根村、能寿寺村、是房村、成家村、大藤村、則村、黒井地村、戸雁村
- 三間村 ← 宮野下村、増穂村[現・宇和島市三間町北増穂]、小沢川村、川之内村、元宗村、増田村、土居中村、迫目村、務田村
- 二名村 ← 中野中村、波岡村、田川村、金銅村、土居垣内村、古藤田村、大内村、兼近村、三間中間村、黒川村、音地村(現・宇和島市三間町)
- 好藤村 ← 成藤村、国遠村、清延村、沢松村、内深田村、東仲村、西仲村、吉波村(現・鬼北町)、是延村(現・宇和島市三間町)
- 愛治村 ← 大宿村、生田村、清水村、畔屋村、西野々村(現・鬼北町)
- 三島村 ← 広見村、下大野村、小松村、久保村、延川村、川上村(現・鬼北町)
- 日吉村 ← 父野川村、上鍵山村、下鍵山村、日向谷村、上大野村(現・鬼北町)
- 泉村 ← 小倉村、小西野々村、上川村、岩谷村、興野々村、出目村(現・鬼北町)
- 吉野生村 ← 吉野村、蕨生村、奥野川村(現・松野町)
- 明治村 ← 松丸村、豊岡村、延野々村、富岡村、上家地村、目黒村(現・松野町)
- 旭村 ← 奈良村、北川村、中之川村、芝村、近永村、永野市村
- 高光村 ← 高串村、光満村
- 八幡村 ← 下村、藤江浦、大浦、中間村、柿原村
- 来村 ← 川内村、寄松村、宮下村、保田村、祝森村
- 清満村 ← 岩淵村、増穂村[現・宇和島市津島町増穂]、山財村、御内村、槙川村
- 津島村 ← 高田村、岩松村、近家浦
- 畑地村 ← 上畑地村、下畑地村
- 下灘村、北灘村、下波村、蔣淵村、戸島村、日振島村、遊子村、三浦村、九島村(それぞれ同名の浦が単独村制)
- 河内村の一部が東宇和郡玉津村の一部となる。
- 明治30年(1897年)4月1日 - 郡制を施行。郡役所が再び単独となる。
- 明治28年(1895年)7月1日 - 津島村が分割し、一部(高田・近家浦)の区域に高近村が、残部(岩松)の区域に岩松村がそれぞれ発足。(2町32村)
- 明治32年(1899年)7月1日 - 清満村の一部(御内・槇川)が分立して御槙村が発足。(2町33村)
- 大正6年(1917年)5月1日 - 丸穂村が宇和島町に編入。(2町32村)
- 大正8年(1919年)10月3日 - 岩松村が町制施行して岩松町となる。(3町31村)
- 大正10年(1921年)8月1日 - 宇和島町・八幡村が合併して宇和島市が発足し、郡より離脱。(2町30村)
- 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
- 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。内務省告示第82号により宇和支庁が設置され、南宇和郡とともに管轄。
- 昭和9年(1934年)9月1日 - 九島村が宇和島市に編入。(2町29村)
- 昭和13年(1938年)
- 昭和15年(1940年)11月10日 - 明治村が町制施行・改称して松丸町となる。(3町26村)
- 昭和16年(1941年)11月10日 - 旭村が町制施行・改称して近永町となる。(4町25村)
- 昭和26年(1951年)4月1日 - 岩松町が北灘村の一部(玉ケ月)を編入。
- 昭和29年(1954年)10月10日 - 成妙村・三間村・二名村が合併して三間町が発足。(5町22村)
- 昭和30年(1955年)
- 昭和32年(1957年)1月1日 - 来村が宇和島市に編入。(5町6村)
- 昭和33年(1958年)
- 昭和49年(1974年)4月1日 - 宇和海村が宇和島市に編入。(5町1村)
- 平成17年(2005年)
- 1月1日 - 広見町・日吉村が合併して鬼北町が発足。(5町)
- 8月1日 - 吉田町・三間町・津島町が宇和島市と合併し、改めて宇和島市が発足。(2町)
脚注
[編集]- ^ 宇和島城下各町の総称。本項では便宜的に1町に数える。
- ^ 記載は満間村。
- ^ データベースには記載なし。
- ^ 吉田各町の総称。本項では便宜的に1町に数える。
- ^ 記載は増穂村。
- ^ 記載は窪村。
- ^ 記載は下嘉喜山村。
- ^ 記載は上嘉喜山村。
- ^ 読み方は「旧高旧領取調帳データベース」を参照。
- ^ この時点では宇和島龍華前通(りゅうげまえどおり)、宇和島一宮下町(いっくしたちょう)、宇和島鋸町(おがまち)、宇和島大工町(だいくまち)、宇和島愛宕町(あたごまち)、宇和島笹町(ささまち)、宇和島大石町(おおいしちょう)、宇和島賀古町(かこちょう)、宇和島鎌原通(かんばらどおり)、宇和島中町(なかのちょう)、宇和島大榎通(おえのきどおり)、宇和島追手通(おうてどおり)、宇和島丸ノ内(まるのうち)、宇和島堀端通(ほりばたどおり)、宇和島広小路通(ひろこうじどおり)、宇和島桜町(さくらまち)、宇和島富沢町(とみざわちょう)、宇和島御徒町(おかちまち)、宇和島佐伯町(さいきまち)、宇和島薬研堀通(やげんぼりどおり)、宇和島元結掛(もとゆいき)、宇和島神田川原通(じんでんがわらどおり)、宇和島本町(ほんまち)、宇和島裡町(うらまち)、宇和島樽屋町(たるやまち)、宇和島堅新町(たてしんまち)、宇和島北町(きたまち)、宇和島龍光院前通(りゅうこういんまえどおり)、宇和島向新町(むかいじんちょう)、宇和島恵美須町(えびすまち)、宇和島船大工町(ふなだいくまち)、宇和島須賀通(すかどおり)、宇和島横新町(よこしんまち)、宇和島袋町(ふくろまち)が存在。
- ^ この時点では吉田東小路(よしだひがしこうじ)、吉田西小路(よしだにしこうじ)、吉田北小路(よしだきたこうじ)、吉田本町(よしだほんまち)、吉田裡町(よしだうらまち)、吉田魚棚町(よしだうおたなまち)が存在。
- ^ 同年に大字立間尻の一部となる。
参考文献
[編集]- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 38 愛媛県、角川書店、1981年10月1日。ISBN 4040013808。
- 旧高旧領取調帳データベース
関連項目
[編集]先代 宇和郡 |
行政区の変遷 1878年 - |
次代 (現存) |