与論町
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よろんちょう 与論町 | |||||
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百合ヶ浜 | |||||
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国 | 日本 | ||||
地方 | 九州地方 | ||||
都道府県 | 鹿児島県 | ||||
郡 | 大島郡 | ||||
市町村コード | 46535-6 | ||||
法人番号 | 7000020465356 | ||||
面積 |
20.58km2 | ||||
総人口 |
4,972人 [編集] (推計人口、2024年10月1日) | ||||
人口密度 | 242人/km2 | ||||
隣接自治体 |
(海上を隔て) | ||||
町の木 | ガジュマル、クロキ | ||||
町の花 | ハイビスカス | ||||
与論町役場 | |||||
町長 | 田畑克夫 | ||||
所在地 |
〒891-9301 鹿児島県大島郡与論町茶花1418番地1[1] 北緯27度02分54秒 東経128度24分53秒 / 北緯27.04844度 東経128.41486度座標: 北緯27度02分54秒 東経128度24分53秒 / 北緯27.04844度 東経128.41486度 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
ウィキプロジェクト |
与論町(よろんちょう)は、鹿児島県の最南端にある町。与論島1島で1町を形成している。鹿児島の本土からは南方に563km、沖縄本島からは北方に23kmに位置する[1]。大島郡に属す[1]。
町勢に関する事柄以外は与論島を参照。
地理
[編集]- 島:与論島
隣接市町村(いずれも海上で隣接)
[編集]人口
[編集]与論町と全国の年齢別人口分布(2005年) | 与論町の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 与論町
■緑色 ― 日本全国 |
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
与論町(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
地名
[編集]- 朝戸
- 叶
- 麦屋
- 城(ぐすく)
- 西区
- 東区
- 茶花
- 那間
- 古里
- 立長
歴史
[編集]近現代
[編集]- 1908年4月1日 - 島嶼町村制により間切制が廃止され、大島郡茶花村、那間村、朝戸村、立長村、麦屋村、古里村が合体して与論村が発足する。
- 1946年2月28日 - アメリカ合衆国(琉球列島米国民政府)の統治下におかれる。
- 1953年12月25日 - 奄美群島の日本返還により本土復帰する。
- 1963年1月1日 - 町制を施行する。
- 1976年 - 与論空港が開港する。
- 1985年 - ギリシャ共和国のミコノス市と姉妹都市提携を行う。
- 2020年1月6日 - 町役場を与論町茶花32番地1から茶花1418番地1の旧町立診療所跡地に移転[1][2]。
- 2021年 - 福徳岡ノ場の火山噴出物(軽石)が大量に漂着[3]。
平成の大合併
[編集]隣の沖永良部島にある知名町、和泊町と三町での合併の枠組みが検討されたが、2003年の住民投票によって町民の9割近くが合併に反対し、合併協議会を離脱。単独での生き残りを模索する事となった。
行政
[編集]経済
[編集]酒造
[編集]- 有村酒造株式会社(茶花) - 町内唯一の酒造メーカー。銘柄に奄美黒糖焼酎の「有泉」(ゆうせん)、「ヨロン島」など。
酪農
[編集]- ヨロンアイランドビーフ(茶花)
金融機関
[編集]郵便
[編集](2013年10月現在)
与論町の郵便番号は、891-93xxである。
- 日本郵便
- 与論郵便局(茶花) - 郵便窓口は土曜(9:00~15:00)・休日(9:00~12:30)も開設。
- 朝戸郵便局(朝戸)
- 那間簡易郵便局(那間)
姉妹都市・提携都市
[編集]姉妹都市が国内に3市町、国外に1件ある[4]
日本国内
[編集]- 1899年(明治32年)より与論からの集団移住が行われた縁[7]。与論島は1898年(明治31年)の台風で壊滅的な被害を受けて飢饉に見舞われたため、多くの島民が港湾労働者募集に応じ、口之津(当時口之津港は三池炭鉱の石炭を積み出す日本最大の石炭積出港であった)に移住した[8](その後三池港が整備されると、与論出身者は大牟田(福岡県)・荒尾(熊本県)へと移住していく[8])。中学校の修学旅行やスポーツ行事などを通じての交流が行われている[7]。移住の歴史を記憶・記念する施設として、口之津の「口之津歴史民俗資料館・海の資料館」には「与論館」が設けられており、与論島のサザンクロスセンターには関連展示が、地主神社には「口之津移住開拓民之碑」がある。
- 国頭村(沖縄県)
- 2022年(令和4年)11月21日 - 国頭村と姉妹都市盟約締結
日本国外
[編集]- 1983年(昭和58年)に与論島の観光地としてのグレードアップ等を目指して提携先探しが行われ、ミコノス島が提携先となった[10]。与論町立与論中学校には「ギリシャ神殿風」の体育館があり、与論島には「ミコノス通り」がある[11]。
教育
[編集]小学校
[編集]中学校
[編集]高等学校
[編集]交通
[編集]→「与論島 § 交通」を参照
脚注
[編集]- ^ a b c d “与論町”. 鹿児島市町村会. 2024年8月18日閲覧。
- ^ “与論町役場新庁舎が完成 1月6日開庁へ”. 南海日日新聞. (2019年12月29日) 2024年8月18日閲覧。
- ^ “漂着軽石、山積み2m超…回収しても「終わりが見えない」”. 読売新聞 (2021年12月29日). 2021年12月29日閲覧。
- ^ “姉妹都市”. 与論町. 2020年1月10日閲覧。
- ^ “錦江町との姉妹盟約の経緯”. 与論町. 2020年1月10日閲覧。
- ^ “錦江町長 野元良一氏 あいさつ”. 与論町. 2020年1月10日閲覧。
- ^ a b c “口之津町・与論町 姉妹町協定”. 与論町. 2020年1月10日閲覧。
- ^ a b “与論島民の三池移住”. 朝日新聞掲載「キーワード」(コトバンク). 2020年1月10日閲覧。
- ^ “与論町・ミコノス”. 姉妹(友好)提携情報. 自治体国際化協会. 2020年1月10日閲覧。
- ^ “姉妹盟約までの経緯”. 与論町. 2020年1月10日閲覧。
- ^ “姉妹盟約締結後の活動”. 与論町. 2020年1月10日閲覧。
外部リンク
[編集]- 公式ウェブサイト
- ウィキトラベルには、与論島に関する旅行ガイドがあります。
- 与論町に関連する地理データ - オープンストリートマップ
- 地図 - Google マップ