バース市街
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英名 | City of Bath | ||
仏名 | Ville de Bath | ||
面積 | 2900 ha | ||
登録区分 | 文化遺産 | ||
登録基準 | (1), (2), (4) | ||
登録年 | 1987年 | ||
公式サイト | 世界遺産センター | ||
地図 | |||
使用方法・表示 |
バース市街(バースしがい、英語: City of Bath)は、イギリスの南部の単一自治体 (Unitary Authority)であるバース・アンド・ノース・イースト・サマセットのバースにある地区。ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された物件でもある。
概要
[編集]バースは、ロンドンの西140キロメートルにあり、行政区分としては、単一自治体のバース・アンド・ノース・イースト・サマセットの地区となる。人口は9万人程度。紀元前からの温泉場として有名。一説には、ケルト人が発見したと言われている。その地名が、英語のbath(風呂)の語源となったというのは俗説で、正しくは風呂を意味するゲルマン古語からその名がつけられた。
沿革
[編集]1世紀頃、ローマ帝国の支配下で、保養地として繁栄。ローマ式の大浴場や神殿が建築された。ローマが撤退すると一時的に荒廃した。
18世紀にアン女王がこの地を訪れ、温泉保養地として復活させた[1]。以来、バースは富裕層の社交場となった。ロンドンの賭博師、リチャード・ナッシュは1704年にバースで財を築き、儀典長の地位を得てバースの社交界をリードする存在となった。ナッシュは、バースの市街をあらゆる階層の人々が集う優美な場所に変えようと[1]、裕福な事業家で啓蒙主義者であるラルフ・アレンの後援を受け、温泉地の景観を変える大規模な建築事業を開始した。
事業は建築家ジョン・ウッドの手により開始された。1727年より、ウッドは当時イギリスで流行していたパッラーディオ主義に従って住宅地プライアー・パークを建設した[1]。また、1729年から1736年にかけて、街の北西にクイーンズ・スクエアと呼ばれる建物に囲まれた広場を建設した。1754年よりザ・サーカスと呼ばれる円形の広場の建築が開始され、ウッドの息子に受け継がれて1774年に完成された。また、半月状の集合住宅地、ロイヤル・クレセントも同時期に完成している。
その後も、ジョン・パーマー、ジョン・エヴェリー、トーマス・ボールドウィンらがジョージアン様式の建築物で街を変貌させていった。19世紀に街の繁栄は衰えて町並みは荒廃してしまったが、1987年に世界遺産に登録され、改修によってかつての保養地の姿を取り戻している[1]。
主な構造物
[編集]- バース修道院
- ロイヤル・クレセント
- ザ・サーカス
- ゲイ・ストリート
登録基準
[編集]この世界遺産は世界遺産登録基準のうち、以下の条件を満たし、登録された(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。
- (1) 人類の創造的才能を表現する傑作。
- (2) ある期間を通じてまたはある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
- (4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。
脚注
[編集]- ^ a b c d ユネスコ世界遺産センター 1996, pp. 78–85.
参考文献
[編集]- ユネスコ世界遺産センター監修『ユネスコ世界遺産 8 西ヨーロッパ』講談社、1996年。ISBN 4062547082。
外部リンク
[編集]- バース市公式サイト
- 英国政府観光庁 - バース
- ローマ浴場跡公式サイト
- “ジョージアン様式”. 家とインテリアの用語がわかる辞典. コトバンク. 2016年1月27日閲覧。