現代に生きる「私」と異なる考え方、ものの見方がどのようなものかを知るのが楽しいのだなあ
極論、他人の考え方は「私」とは当然異なるので
(noteの日記といえばダ・ヴィンチ・恐山の日記は別格に面白いが、今話題にしている日記の面白さとは別軸の面白さだ)
自分の興味が幕末~明治~大正ごろの日本の価値観の変遷だからだろう
『オーストリア皇太子の日本日記: 明治二十六年夏の記録』という本を今読んでいる
とても面白い
海外の反応まとめブログを読んでいるときと同じ感情になるけれど
原民喜という方が書いた『忘れがたみ』の中で飛行機雲について述べられた項がある
大学病院の方へ行く坂を登りながら、秋空に引かれた白い線に似た雲を見ていた。こんな面白い雲があるのかと、はじめて見る奇妙な雲について私は早速帰ったら妻に話すつもりで……しかし、その妻はもう家にも病院にも居なかった。去年のこの頃、よくこの坂を登りながら入院中の妻に逢いに行った。その頃と変って今では病院の壁も黒く迷彩が施されてはいるが、その方へ行くとやはり懐しいものが残っていそうで……しかし、私がもう此処を訪れるのも今日をかぎりにそう滅多にあるまい。玄関ではもう穿き替えの草履を呉れないことになっていた、これも、以前と変ったことがらである。私は川島先生に逢って、妻の死を報告しておいた。それからとぼとぼ坂を降りて行った。
翌日、新聞に飛行機雲の写真が出ていた。さては昨日見た雲は飛行機雲というものなのかとひとり頷いたが、仮りにこれを妻に語るならば「漸くあなたはそんなことを知ったのですか」と、病床にいても新知識の獲得の速かった彼女はあべこべに私を笑ったかもしれないのだ。
日本人が飛行機雲をどのように認知していったかを調べた際に見つけた日記だが、いい文章だなあと気に入っている
しかし、なかなか心の健康に余裕があるときでないと別の価値観を摂取するのは難しい……特に相容れない価値観だと
それに実際バイアスがある 当たり前ではあるが「日記を書くような人」の文章しか得られない
その点Twitterはよしあしだ
よしあし……よしは「日記を書くような人」以外の文章もあること、あしは……読みすぎると精神の健康を害することか
そういう意味では食べやすく調理されて「日記文学」とラベリングされた本が一番助かるわね
この文章自体も日記ではあるか 未調理 塩漬けにして数年後に自分で食べると美味い それもまた日記のよさ
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フォーマットとしては日記だが内容としては随筆が興味の対象なのだろう 言われて気付いたな
飛行機雲が新しいものって感覚が新鮮だな ほんで四の五の説明しなくても妻をなくした心境と響き合ってるし。 日記はいいな。 だいぶ前に亡くなった祖母が「生ける近代」で、あっ...
でも貴方も最初に飛行機雲を教わった時がありましたよね?
日記っちゅうより随筆でもいいのかな?寺田寅彦の『どんぐり』はいいよ
「だめの子日記」いいよ 50年くらい前に交通事故で亡くなった女の子が書いてた日記 自分は高校の頃拾ってから今でも手元に残してる
うわあ 落とし物は交番に届けるものだって知らずに育ってきてしまったんだね
図書室に処分すっから欲しいやつ持ってけ!って箱から拾ってきたやつなんだけど まぁ拾ったって言い方が悪かったな いろんな人がいるんだな