2025-02-18

窓の向こうの祭り

47階のエレベーターは常にレモン香りがした。管理組合が選んだ芳香剤だ。高層階用エレベーターは秒速10メートルで昇降するが、私の鼓膜だけがいつも0.5秒遅れて軋む。

本日ゴミ置き場の清掃日でございます

スマートフォンが浴室のタイルに反射したブルーライトで瞬く。湯船に沈めた掌が、下層階の漏水センサーに反応しないよう注意しながらシャワーを止める。隣室のピアノの音が排水管を伝って鈍く響く。ショパンノクターン、でも17小節目で必ず止まる。

63階の共用ラウンジで初めて彼と話した日、東京湾を覆う雲が人工降雨のシードを撒かれていた。彼のスマートウォッチが5分おきに振動し、ウォールナットテーブルに置かれたマグカップの波紋が乱れた。

高所恐怖症なら、なぜタワマンを選んだのですか?」

彼の指先が窓ガラスに触れた瞬間、遠くの風力発電機が一斉に赤色灯を点滅させた。防犯カメラの焦点が私たち背中舐めるように移動する音がした気がした。

深夜3時17分、非常階段の手すりが微かにかい火災感知器の定期点検日だ。階段踊り場のゴミ収集口に、誰かが未開封の高級ワインを遺していった。ラベルバーコードスマホで読み取ると、仮想通貨による決済履歴が238回分渦巻いて消える。

彼が姿を消したのは台風9号が最接近した未明だった。防災備蓄倉庫LED照明が点滅し、エレベーター監視カメラの記録が2分17秒だけ砂嵐のようになった。管理人室のモニターには、47階の非常口ドアが0.3秒だけ開いた記録が残っていた。

今朝、郵便受け投函されていたのは彼の住民登録証明書のコピーだった。発行日付は私たち出会う1年前。しかし発行時刻欄には、私が初めて47階のドアパスをかざした正確な日時が刻印されていた。

窓の外では、人工降雨の雲がそろそろ解散時刻を迎えようとしている。63階のラウンジテーブルに置き忘れたマグカップの渦紋が、いまだに同心円を広げ続けているような錯覚に襲われる。エレベーター芳香剤が突然レモンから白檀に変わった今朝、私は初めて地上への降り方を忘れた。

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