2025-01-24

ASD疑いがあろうが本人が困ってなきゃ障害じゃないって言うけど

ASDって大抵、本人は困ってなくて周りが疲弊するパターンほとんどな気がするんだよな。それでも障害じゃないと言われるとそれは違うんじゃないかと思う。

例えば重度知的障害、本人は自分障害があるということすら認識していないが、ある一定基準に基づいて外部はその人を障害者と認定するわけだ。

あるいは成年後見制度は、ある人に判断能力が欠けている場合他人が法的行為の代行権を持つ制度だが、これだって後見人となる人本人が制度申請するわけじゃない。判断能力が欠けている人にそんなことはできない。だから外野判断し、認定する。

そう考えた場合ASDだって本人の困り感とは無関係判断し、認定されるべきなのでは?と思う。

だって知的障害成年被後見人に欠けているのはIQ、つまり知能指数であり、ASDにはEQ(心の知能指数)が欠けているのだから。心のことが分からないし、本人にはそれを知覚するだけの能力がないという状態は、本人の困り感とは関係なく障害と呼べるものであり、認定されるべきものだと思う。

よくASD疑いがある未診断の人に関する話の中で、診断されない限りは、あるいは本人が困っていなければそれはASDとは言えないという話がされるので、反論として。

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