名前を隠して楽しく日記。
オギャー生まれたンゴ
それは頻度だよ。
例えば月に1、2回くらいくらいどーしてもセルフ処理できなくて誰かに愚痴を聞いてもらいたいって感じなら、それに付き合わない彼氏は端的に言って冷たい奴だよな。
でも週に1度とかだとぶっちゃけ聞かされる側にとってすんげえ重たいよ。
毎回毎回聞かされる身にもなってくれ案件だよ。
んで今日にブクマ集めてる元増田は明らかに半ば故意で頻度について記載をぼやかしてんだよね。
それを書いたら自分が叩かれるってなんとなくわかってるからそういうことになるんだよね。
つまりクソ女なんだよ。
ちな、これを逆にオッサンが言ってたら「スナック行ってお姉さんに話しとけよ」とかバッサリ切り捨てられるやつなんだよ。
てかだいぶ前に「スナック行くオッサンの気持ちがわかった」と吐露していた増田オッサンのアレなんだよ。
つまりクソ女はインターネットに彼氏を貶めるような書き込みしてる暇があったらホストにでも言ってヨシヨシされてこいってこった。
なんで言い換える必要がある場面だと思った?
あれって無断RP禁止と思ってRPしてないんじゃなくて、ウォーターマークで絵のクオリティがガタ落ちしてるからなんだよね。
ちゃんとした絵師って絵の視線誘導とか考えて描いてるもんだけど、
そうだよな。話が通じないとこ、お前と同じ
[B! 不動産] 中古マンション購入で失敗したくないと思ったらまず読むnote|2LDK
中古物件は極端に得な物件と損な物件が混ざっている上、得な物件はすぐ売れてしまうから決断に時間的猶予が無いんだよな。
新築の場合は良くも悪くも値段にブレが少なくて、いい物件は高い、それほどでもない物件はそれなりで安定してる。
家買うにあたって最初は節約のために中古にしようとしたけど、探してるうちに中古のギャンブル性についていける気がしなくなって結局新築にしたよ。
銀行員としての毎日は想像以上に厳しいものでした。三和銀行では朝から晩まで数字に追われ、理不尽な叱責を受けることもしばしばでしたが、幸い上司や同僚には恵まれました。何よりも大切だったのは、銀行業務を通じて多くの企業や個人の人生に触れる機会があり、それが私の人間観や社会観を大きく広げることにつながったことです。
数年間の支店勤務の後、本店の企画部門に異動となりました。そこでは銀行業務の根幹に関わる重要な仕事を任され、自分の視野がますます広がっていくのを感じました。しかしバブル経済崩壊後の混乱の中、銀行業務は次第に苦難の道を歩み始めました。毎日のように不良債権の処理に追われ、心身ともに限界を感じる日々が続きました。
ちょうどその頃、私は以前から興味を抱いていた大学院への進学を真剣に検討し始めました。銀行を辞め、東京大学大学院の社会科学研究科へ入学しました。学生生活に戻った私は、経済や社会の本質について改めて学び直し、充実した日々を過ごしました。
修士課程を修了した後は、研究者としての道を志し、数年間は非常勤講師として大学で教えながら博士論文を執筆しました。しかし、生活は厳しく、結婚や子どもの誕生をきっかけに、再び企業の世界へ戻ることを選択しました。
新たに入社したのは中堅のコンサルティング会社でした。銀行時代の経験を活かしながら、企業の再生や経営改革に携わるようになりました。この仕事は私にとって非常にやりがいがあり、自分の経験と知識が直接人や社会の役に立つことを実感できました。
定年後はこれまでの経験を活かして地域の中小企業支援やボランティア活動に精を出しました。特に若い経営者や起業を目指す若者たちと交流する中で、自分の経験が少しでも彼らの役に立てばと願っておりました。
老いと病により体力も衰え、思うように活動できない日が増えましたが、振り返れば波乱に満ちてはいましたが、非常に充実した人生でした。私の経験や考えが少しでも次の世代への参考になれば幸いです。
これにて私の生い立ちの記録を終えます。