年下の女と若王子先生

冬の海には特別な思い出が眠っている

年下の女と若王子先生 - ゲーム
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冬の海には特別な思い出が眠っている。それはかつてあった恋の思い出だ。

遠くで波の音が聞こえる。波の音を聞きながら踏みしめる海岸の湿ってどろりとした砂は、靴底に不愉快な感触を残す。ひとつぶひとつぶの砂粒に秘めた凍てつく冷たさがブーツの靴底と厚手の靴下越しにも伝わってくる。ひとりで訪れた冬のお台場の海に、なつかしい、と感じてから、そのなつかしさは果たして本物なのだろうかと逡巡する。記憶の中にあるのは、はばたき市にある海の景色だから。

私をかつて助けてくれた彼に会うために私はベンチに座り、鞄から取り出したホワイトカラーのニンテンドー3DSLLに有線のイヤホンを差し込む。本体には、『ときめきメモリアル Girl's Side 2nd Season』のソフトが差し込まれていた。

私が好きなのは年上の属性を持つキャラクターだ、昔から変わらない。当然、『ときめきメモリアル Girl's Side 2nd Season』の推しキャラだって若王子先生だ。前作で一番はじめに攻略したのも氷室先生だった。乙女ゲームのパターンでキャラクターの方向性はだいたい似通っていくけれど、ときメモの場合は特にそうだ。学力、芸術、運動、流行、魅力のそれぞれのパラメータに対応するコマンドに対応する攻略キャラクターがいるわけで、それにプラス主役格のキャラクター。加えて担任教師。学力コマンドで出てくるキャラは当然頭がいい優等生、芸術コマンドで出てくるキャラはちょっとトリッキーな性格。パラメータごとにパターンが決まっているとはいえキャラクターのバリエーションは豊富で、意外とステレオタイプを感じさせない。加えて主役格のオールマイティな同級生、かわいい後輩にあとは担任の先生。ちなみに気配りのパラメータに割り振られてるのは女友達のコマンドで、友達関係にこそ気遣いが必要っていうのは真理かもしれないけどちょっと前時代的なステレオタイプを感じもする。そもそも本家の男性プレイヤーを想定している方のときメモに気配りというパラメータがないところから、まあ、そういうことなのだろう。

若王子先生にも氷室先生にも攻略の必須パラメータに気配りが含まれていることに多少の違和感は覚えざるを得ないけど、その話はあまり深堀りしない。生徒に気配りを求めるなよ。それだけに留めておく。

若王子先生は前作の氷室先生と違って柔和で優しい。アメリカのラボに勤めていた元・天才研究者という設定だけど、そのキャリアはあんまりゲーム中では関係なく、ここで大事なのは、若王子先生が優しくて包容力のある年上キャラだってことだ。つまり、つらすぎる就職活動の結果、全力で絞った雑巾みたいにくちゃくちゃになっていた当時の私には、とてつもなく必要な存在だったということ。高校生でなくなった私にも、若王子先生は先生でいてくれたから。

毎日のように私のスマホには面接を通過できなかった旨のメールが届いていて、毎度毎度新鮮なショックを受けている自分に私自身が驚いていた。いい加減慣れてもよさそうなものなのだけど、一社受けるたびに残りの私が一機減っているような感覚に身をよじる。まるでショックを受けた私は一回こっきりで消滅してしまい、新しい私が現れてまた新鮮なショックを受ける、そんな感覚だ。果たして私の残機はあとどれくらいあるのだろう、残機がなくなったらゲームオーバー、本当に死んでしまうのではないだろうか。疲労とストレスで足さえ臭くなった。泣きはしなかった。ただ、歩いているとたまに体が止まって小さく震えて、毒の継続ダメージみたいな状態になっていた。リアルタイムで進行していく事態に対して、コマンド入力式のシミュレーションゲーム、つまり「ときメモ」は優しかった。

特に若王子先生はどんなときでも優しかった。課外授業があると誘ってくれたし、時間が空けば自宅に電話してくれた。帰りが暗くなったら家まで送ってくれた。陸上部の顧問としては得意の物理学の知識を駆使して私を指導してくれたし、ひと目のないところでは私への好意を隠さなかった。彼は私を冬の海のデートに誘ってくれた。冬の海で私達は穏やかに過ごした。彼は海の向こうの出来事の話をしてくれた。そこには素敵な思い出があまりなかったと彼は語った。一体何があったの? と聞くことはできなかった。海の下に隠されているものが見えないみたいに、ひとの人生と過去には浮かび上がらせたくないものがたくさんある。せいぜいできるのは、冷たい砂の感触から、海の底の冷たさを想像するくらいだ。水を含んだ砂は重く冷たく、そして微小な粒は数えきれないほどあって、それが水平線の下まで当たり前のように続く。彼と一緒にいた時間に、私は学んだ。

けっきょく私は紆余曲折を経てフリーのライターになった。ゲームに関する文章を書き、いつまでたってもへたくそなままの写真を撮って記事を作り、買いたい服は買えないまま空腹をやり過ごす。ゲームの記事を書くのは楽しいけれど、ときメモのことを書く機会はなかった。基本的に必要とされているのは最新のゲーム、発売前や発売直後の作品の記事だし、女性向けのゲームについて書く場は限られていた。言うほど女性向けゲームを遊んでいるわけではないという自覚もあったし、ハードの移り変わりとマーケットの変遷から乙女ゲームは徐々に縮小を強いられているという事情もあった。

乙女ゲームは携帯ゲーム機と相性がいい。特にPSPの時代にはさまざまな乙女ゲームが発売され、アニメ化された作品も数多くあった。PS Vitaが大きなシェアを獲得できなかった影響はあるものの、代わりにスマートフォン向けの乙女ゲーム、あるいは男性アイドルの育成ゲームから生まれたIPも2010年代後半には多数存在する。私自身、スマートフォン向け乙女ゲームのシナリオを長らく書いているため実感があるが、スマートフォンのトレンドも一周した向きがある。スマホゲームの常として、特定のタイトル以外は寿命を迎えつつある上に、新規タイトルもユーザーの課金傾向の変化からかなり厳しい戦いを強いられる。スマホゲームの新規タイトルが厳しい戦いを強いられるのは、乙女ゲームに限らずここ何年かのトレンドだ。コンシューマー回帰やPCゲームの一層のユーザー数の増加の流れの中で、Nintendo Switchに移植されている多数の乙女ゲームが、今後どのように作用していくかは非常に重要だろう。

こと乙女ゲームの話に限っても、これほどまでに浮き沈みがあるのだし、そもそもの話で言うなら、ビデオゲーム全般のマーケットも大きく変化した。私がライターを始めたころは、「ゲームは日陰の趣味」という認識が少なからずあったようだが、今はそんなことを言うひとのほうが少ない。そりゃそうだ。というかそもそも、私がこの仕事を始めたときに「しょせんゲーマーは日陰者です」という自己認識に出会ってものすごくびっくりした。ビデオゲームは不道徳で世間からバカにされているというような趣旨で口にされる「非リアですから、日陰者ですから」という自虐に、「そんなことないと思いますよ」と否定した経験は何度もある。私には本当に心当たりがなかったからだ。代わりに、非女性向けゲーマーが女性向けゲームのキャラクターグラフィックの顎の尖り具合と顔の長さを繰り返し揶揄していたことはいつまでも覚えている。見えている世界はゲーマーとひとくくりにしてみたところでこんなに違う。というのも、ビデオゲームを遊ぶということは、その時間に自分の人生を位置づけることだからだ。

楽しいことと辛いことの総量はだいたいうまくバランスが取れず、多くの場合後者の方が重くなる。つまり何が言いたいかというと、毒の継続ダメージがふたたびその頃の私を襲ったということだ。具体的に何が、という事を説明するのはここではよそう。私は女性で、自分がいい書き手ではないという確信に追い詰められていた。何でこんなことになってしまったのだろうと思考は巡る。何かのせいにもできるし、自分のせいにもできる。自分のせいにするのは苦しいのに、何のせいにしたところで、毒の状態異常は消えない。頭の奥でこだまするのは、ライターになりたての頃にとある編集が言った言葉だ。同じ時期に新人の女性ライターが何人か編集部に入り、私はそのうちの一人だった。ある日、他の編集部に紹介しようとその編集に別のフロアに連れて行かれ、彼は紹介先の編集にこう言った。

「まったく、女衒にでもなった気分ですよ」

あまりにも気軽に当たり前に口にされた言葉は、十年以上も私の喉と海馬に引っかかって、私の気分が沈んだときに元気よく顔を出す。誰のせいにもするなとその言葉は私をニヤニヤと見上げる。世の中ってのはそういうもんだ、だからって、あんたが苦しいのを世の中のせいにするんじゃないよ。高校生の、大学生の頃の私には想像もつかなかった痛みがすでに私にはとてもたくさんまとわりついていた。

このままではちょっと駄目だと感じた私は、ニンテンドー3DSLLをゲームハードを詰め込んでいるコンテナから取り出した。差しっぱなしになっているゲームのタイトルを起動画面から確認して、私は電車に乗る。薄曇りの空が京王線の高架から見えて、八幡山の待ち合わせのあいだに暖房効率のためと車両の扉がひとつ残して閉じられる。指先に息を吐き、3DSを開けてすれ違い通信を確かめる。もちろん誰ともすれ違ってはいない。あの頃は、ゲートの前にたくさんのMiiが並んでいた。すれちがうひと、いきかうひとの鞄の中に3DSが隠れていたあの頃。けいけんちパワーをポケモンでいっぱい使ったあの頃。そういう体験があったと書き残すのはきっと私の仕事なのだ。だけど私の指先はうまく文字を綴れない。なんてったって毒なのだ。

市ヶ谷で有楽町線に乗り換えて私は海に向かった。豊洲の向こうのゆりかもめ、お台場。思い当たる最寄りの海がそこしかなかったから。あの頃の記憶をたどればたどるほど、そこはゲームで見たはばたき市の海と随分全然違っていた。砂浜の部分は狭くてすぐ海になるし、海の向こうには水平線じゃなくて高層ビルが見える。冬だというのにセーリングヨットも何艘かすいすい水面を滑っている。とはいえこれも冬の海だ。

私は空いているベンチを見つけて座った。ホワイトカラーのニンテンドー3DSLLは、やっぱり誰ともすれ違いをしていなかった。ときメモGSシリーズのソフトは今ではずいぶんレアになり、メルカリではパッケージなしでも5000円前後で取引されている。このソフトはそんな自分の価値なんて知らないままで、クローゼットにしまいこんだコンテナの中でずっと待っていてくれた。

ふはあ、と大きく一度息を吐き、イヤホンを耳に突っ込んで私はソフトを起動する。見慣れた企業ロゴと、出演声優の起動ボイス。若王子先生の声だった。震える息をもう一度吐く。まだ日は早い。太陽が沈むまでに、一周遊べるはずだ。本体背部に格納されているタッチペンを取り出し、ニンテンドー3DSLLを縦に持つ。見開きの手帳を持つような、こんな遊び方を考え出すひとたちは本当にすごいと感心しながら。風のない日で良かったと思い、それでも指先はひどく冷たい。私は始める。あのとき私を助けてくれた手順を繰り返すように。 

架空の高校時代を過ごしながら、私はあの頃にはなかったいくつかの、片手で数えられる程度の恋愛を反芻する。あまりいい思い出ではない。それはとっくに終わったもので、それを終わらせて過去のものにしたということは、つまり触れれば何かしらの痛みを伴う傷痕があるということだ。

タッチペンで画面を叩くこんこんという音がイヤホンの向こう側から聞こえる。すごい速さで高校生活を過ごしながら、私は陸上部で頑張って、勉強を頑張って、若王子先生との課外授業を頑張る。一週間の占いを見て、適切なコマンドを入力して効率よくパラメータを上げていく。

体育祭、文化祭、修学旅行。月日を経るにつれて彼は私のことをどんどん好きになっていく。顔を赤らめさえもする。私達の距離は縮まっていく。いつしか学校外で会う機会は課外授業以外も増えて、デートみたいな二人の一日が終わると彼は夜道を家まで送ってくれる。私は隣で歩く彼をタッチペンで突っついてドキドキさせる。

しかし、ゲームが進むにつれ、私の中には喜びや嬉しさではなく、違和感が蓄積していった。

課外授業にみんなで行くのは、それはいい。学業の一環だ。休日返上で課外活動をしてくれる教師の労力を無視することはできない。若王子先生は立派な人だ。おまけに部活の顧問もやっている。それはとても大変なことだ。若王子先生は専門外の部活の顧問も引き受ける立派な人なのだ。でも、自宅に電話をかけてきて、二人きりでデートしましょうと言ってくる教師は怖い。しかもデートの帰り、家まで送ってくるのに親には会おうとしない。家の前でキスしようとしていたのに、だ。つまり、やましいことしてるとわかっているわけだ。おまけに、卒業したらすぐにでも一緒に暮らしたい雰囲気を感じさせる。こっちは大学受験のために一生懸命定期テストで上位とってるのにもかかわらず。向こうにしてみたら超天才でアメリカのラボで働いてたわけで、私に稼いでほしいとは微塵も思ってないのもなんとなく伝わってくる。いいや、そんなことはさすがにない。考えすぎじゃないかと思い直してみる。ゲーム内のテキストにそんなことは書いていない。君を養うよ、とは一言も彼は言っていない。とはいえ、大人なんだから、そんな雰囲気を言下に漂わせるのもやめてほしい。できるだろう。大人なんだから。若王子先生と同じ年齢になってさらに上の年齢になって痛烈に思う。それはないだろう。好きだったから余計に、ちゃんとしてほしい。なぜなら、好きな人にはちゃんとしてほしいから。そもそも、若王子先生って、こんな人だったっけ?

ああそうか。

変わったのは私だ。

「あの、すいません」

一心不乱にゲームを進めていると、遠くから声が聞こえた。3DSのがさがさに割れた音ではなく、クリアに透き通った女性の声。「あ、はい」現実の道行く人に話しかけられているのに気づいて、私はイヤホンを外す。ベンチの傍らに立つのはまだ十代にも見える女性で、200デニールくらいはありそうな真っ黒なタイツが真冬の寒さと戦っている。その後ろに、同い年くらいの男性が立っていて、彼はどこか不審げな視線を私に投げかけていた。

「それ、DSですか?」

視線の先は私の手元だった。寒さで白くなった指先に包まれた黒いハード。「ええと、3DSです。LLの方。でも、やっているのはDSのソフトです」こういう時に細かい、どうでもいいことを言ってしまうのはほとんど職業病だ。でも、DSではないのだから仕方がない。

「すごいですね、子どもの頃やってました。懐かしい。やってた?」「ポケモン。めちゃくちゃやってた」

後ろにいる男性と会話する彼女の唇はティントを塗っているのか境界が柔らかなピンク色ににじんで発色して、私が高校生の頃にはこんなリップはなかったなと余計なことを考える。メイクの流行りも移り変わる。「何のゲームですか?」

「ときメモっていう、乙女ゲーム。恋愛するゲームです」

「恋愛するゲームだって」「ふーん」

二人組は満足したのかそれだけ言って去り、私は取り残される。イヤホンをもう一度耳にねじ込み、私は若王子先生と約束していた冬の海へと出かけていく。たくさんの海水浴客が描きこまれた夏のデートイベントとは違って、無人の海の背景グラフィックの上に、彼の立ち絵が表示される。背景には海の波音のSE。私は画面に向けられていた視線を上げる。冬の海がそこにはあった。

私はイヤホンを根元のジャックから引っこ抜く。海の音だけが耳に残る。3DSをぱたりと閉じた。

さっきの二人はカップルだろうか、と考えて、そんなこと推測するのは下品だなと思ってやめる。友達同士かもしれないし、もしかしたらきょうだいかもしれない。カップルなのは私の方だ。私はたった今まで、何度も彼とデートして、二人の時間を重ねていた。少なくとも私には、若王子先生とのあれこれと、実際の恋愛で感じた感情についての違いの見分けがつかない。今まで遭遇してきたクソしょうもない恋愛と、私にとって何ら変わりがないものだ。

何であんな奴と付き合ったんだろうとか、楽しい瞬間もあったんだよなとか、そういう気持ち。その積み重なる時間と体験と気持ちをまとめて私達は恋と呼ぶ。

そのときはただ夢中で、悲しいことは揮発させて、いつしか遠くなっていて、いい思い出になったりろくでもない思い出になったりする。そして恋愛の思い出なんて八割がたろくでもない。

残るのは、過去のある時点でそのまま取り残された、大好きだった気持ちだけ。

あとから後悔に塗りつぶされても、出会うすべてはすべてが見たことのないかたまりで、良し悪しなんてわからない。なんならはじめのうちは出会う全部が美しく見える。若王子先生との思い出だって、私には今でもすごくすごく美しいんだ。

学力、芸術、運動、流行、魅力。そして気配り。単純化されたパターン、導き出されるステレオタイプ。それは共通言語を必要とする私達のために人為的に生み出されたもので、世界の正確な輪郭ではない。けれど作り物のステレオタイプから導き出される感情は、決して嘘でも作り物でもない。

並んで砂浜を歩く先ほどの男女の後ろ姿が遠ざかる。冬の海のデートのステレオタイプに私はその姿を重ねる。たとえ実態は違っていても、容易に解釈できるその形。まるでそれは、結婚式で上映される新郎新婦のプロフィールムービーみたいだった。新婦の生い立ち、新郎の生い立ち、そして二人の出会い。映像は、単純化されたパターンから出力された人生の一部をピックアップして、目の前の相手以外の恋は全部なかったように見える。結婚相手ではない相手に対してだって本当の恋はあったかもしれないけど、それはとりあえず、なかったことになっている。ゲームのエンドクレジットに少し似ている。今のところはつまりハッピー。サンキューフォープレイング。でもそれでいいんだ。過去はいつだって長すぎて、幸福な瞬間は一瞬しか続かない。せめて今だけは、今くらいは、自分が主役で、主役だと思っていいこの時間。

「もちろん、本当の恋だったよ」

さっき聞こえた波の音は、どちらの海から聞こえたものだっただろう。どちらでもいい。どちらの海も私にとっては本物の海だ。

毒のように体を苛んでいた苦しさは少しだけ退いていた。私は恋をしていた。その証がここにあった。きっとこれから先も変わらずに。冷たい海の荒れ果てた底にはたくさんの過去が眠っている。

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