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上信電鉄

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上信電鉄株式会社
Jōshin Electric Railway Co., Ltd.
ロゴマーク
上信電鉄本社ビル
種類 株式会社
市場情報 非上場
略称 上信(じょうしん)
本社所在地 日本の旗 日本
370-0848
群馬県高崎市鶴見町51番地
設立 1895年明治28年)12月27日
業種 陸運業
法人番号 5070001007099 ウィキデータを編集
代表者 代表取締役社長 木内幸一
資本金 2億8000万円
(2017年3月31日現在[1]
売上高 11億4417万5000円
(2017年3月期[1]
営業利益 △1億3604万2000円
(2017年3月期[1]
純利益 523万3000円
(2017年3月期[1]
純資産 3億3015万7000円
(2017年3月31日現在[1]
総資産 25億9486万1000円
(2017年3月31日現在[1]
従業員数 198名
(2017年3月31日現在[2]
決算期 3月31日
主要株主 群馬日野自動車 9.81%
上信ハイヤー 5.69%
群馬銀行 5.00%
群馬トヨタ自動車 2.50%
(2018年3月31日現在[3]
主要子会社 上信ハイヤー[2]
上信観光バス[2]
浅香運輸[2]
外部リンク https://www.joshin-dentetsu.co.jp/
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上信電鉄株式会社(じょうしんでんてつ)は、群馬県に路線(上信線)を有する鉄道会社である。本社所在地は群馬県高崎市

概要

鉄道事業のほか、旅客自動車運送事業(高崎市内を中心とする路線バスの運行)、貨物自動車運送事業(群馬県内及び埼玉県内の郵便物の輸送)、広告宣伝業、不動産業も行う。

1895年明治28年)に上野鉄道(こうずけてつどう)として設立され、1897年(明治30年)に開業し、同年中に高崎 - 下仁田間が全通した。現存する日本の民鉄路線のなかでは、南海電気鉄道伊予鉄道についで三番目に早く開業している。古くは高崎の地元資本に加え、三井財閥の資本も設立に関わった。

さらに下仁田から余地峠を越えて佐久鉄道(現:小海線)の羽黒下駅まで延伸する計画[4]を立て、社名を上信電気鉄道に改称した。当該区間の工事と路線営業のための免許を取得したが、世界恐慌により頓挫。中込方面へのバス路線を開設しただけで(後に廃止)、鉄道の延伸は実現しなかった。

昭和30年代はじめには、元首相中曽根康弘の実父である中曽根松五郎が社長を務めた。

歴史

鉄道事業

路線

設置駅一覧等については以下の項目を参照のこと。

路線図

運賃

大人普通旅客運賃(小児半額・10円未満切り上げ)。2019年10月1日改定[7]

キロ程(km) 運賃(円) キロ程(km) 運賃(円)
初乗り1 - 3km 180 18 - 19 740
4 210 20 - 21 810
5 250 22 - 23 860
6 300 24 - 25 910
7 360 26 - 27 960
8 - 9 420 28 - 29 1010
10 - 11 490 30 - 31 1050
12 - 13 570 32 - 33 1090
14 - 15 630 34 1130
16 - 17 690

高崎 - 下仁田間の全線の運賃は1130円である。全線乗り放題のフリーきっぷ(一日乗車券)は、「1日全線フリー乗車券」(大人2260円、子供1130円[8]。2012年までは「銀河鉄道999号・1日全線フリー乗車券」の名称で発売)が、高崎・吉井・上州福島・上州富岡・下仁田の各駅と本社鉄道部で発売されている。また、10月の「鉄道の日」「群馬県民の日」の前後の期間、および年末年始には、通常より安価なフリーきっぷが発売される。

SuicaPASMOなどのICカードは一切使用できない。

車両

1924年電化当初は、その工事に使用した電気部品の多くをドイツシーメンス社から輸入したことから、当時日本国内ではあまり他に例がない[注釈 1]ドイツ製の電気機関車、また電装品にドイツ製の部品を多用した電車が在籍した。戦後しばらくは前述の電化時に導入した木造車や東武鉄道日本国有鉄道(国鉄)から譲受した中古の木造車の鋼体化で糊口をしのいだが、1964年には東洋電機製造の電装品を使用した新造のカルダン駆動車である200形を導入した。以降に導入した新造車にはいずれも東洋電機製造製の電装品が一貫して用いられている。1980年以降はモータリゼーションの進行による収益悪化の影響もあり、再び中古車を導入する機会が増えた。この時期導入した100形から、1990年代導入の150形、2005年導入の500形までは一貫して西武鉄道からの購入に限られていたが、2017年東日本旅客鉄道(JR東日本)から107系を購入し[9]、各種改造を行った上で2019年から700形として運用を開始した[10]

車両の形態面では、6000形以前の自社発注車は、かつてタブレット交換を行っていた名残で運転席が進行方向右側にあるのが特徴である[注釈 2]。他に特徴的な装備として、ワンマン化以前に導入した車両については新造・中古を問わず、客室内に車掌スイッチを設けていたことがあげられる。また、電動車(制御電動車)を表す記号は、単独でも走行が可能な車両の形式を「デハ」、走行に必要な機器を2両以上に分散して搭載するユニットを構成する車両の形式を「モハ」として2つを併用する[11][注釈 3]。なお、系列の呼称は編成内に2つ以上の形式が含まれる車両であっても「形」を用いる。

車体塗装は戦後木造車が大半を占めていたころは茶色の単色塗りであったが、その後1950年代にはマルーンクリーム色を用いたもの、1960年代後半にはコーラルレッドを基本にしたものへと変化した。さらに1976年に1000形が登場すると一転して趣味誌などで「ストライプ塗装」と称されるアイボリー地にラインを用いた斬新なものへと変わっていった。平成に入ると経営状態の悪化から塗装費用削減を目的として一部の車両は再びコーラルレッドを用いた単色塗りになり、2000年代後半には在籍車両の多くが全面広告でペイントされたカラフルな外観を有した時期もあったが、それらの掲載期限が切れた2016年現在は再び前述の「ストライプ塗装」のものが増えつつある。また2008年10月20日から2012年9月9日まで、松本零士原作『銀河鉄道999』のキャラクター「メーテル」・「鉄郎」をあしらったラッピング電車「銀河鉄道999号」が運行されていた。

現有車両

電車

電気機関車

貨車

過去の車両

改軌・電化後

電車

  • デハ1形・サハニ1形・デハニ1形・サハ1形
    • 1924 - 1925年の電化初期に導入した16m級木造電車群。車体は日本車輌製、電装品には戦前の日本では数少ないドイツのシーメンス社製のものを使用していた。1953年 - 1960年にかけて後述のデハ20形、クハ20形、デハニ30形、クハニ10形の各形式に順次更新され形式消滅した。
  • サハ10形
    • 太平洋戦争の進行に伴い疎開や兵員輸送によって旅客が急増したことに対応するために、1944年に同年廃線となった篠山鉄道よりハフ5形を3両(ハフ5→サハ10・ハフ6→サハ11・ハフ7→サハ12)を譲受し、翌1945年から使用開始したもの。いずれも全長8m級の木製2軸客車でサハ10は入線当初より車体のみ倉庫として使用されたが、サハ11とサハ12の2両は戦争末期から戦後の混雑期に電車に連結されたり、電気機関車に牽引される形で使用された。いずれも1899 - 1900年製造の古典車であり、後述のデハ10形のうち東武鉄道からの譲受車が竣工した1948年からは使用されなくなり1954年に全廃となった。
  • デハ10形・クハ10形
    • デハ10形は東武鉄道、国鉄から譲り受けた木造電車、およびそれらを鋼体化した車両。クハ10形も元国鉄の木造車だが鋼体化は行われずにしばらく木造車体のまま使用され、1957年に鋼体化と同時に後述のクハニ10形に編入され形式消滅した。デハ10形は1981年に全廃。
  • デハ20形・クハ20形・クハニ20形
    • 新造、および前述の1形木造電車を鋼体化した車両。デハ20形・クハ20形は旅客専用。クハニ20形は旅客用設備と手荷物用荷物室を兼ね備えた合造車であったが、車体が元豊川鉄道の旅客車に由来するため、後述のデハニ30形やクハニ10形とは形態がまるで異なっていた。クハニ20形は1961年にクハ20形に更新編入され形式消滅した。クハ20形は1981年、デハ20形は1993年に全廃。
  • デハニ30形・クハニ10形
    • 新造、および前述の1形木造電車を鋼体化した車両だが、本形式は旅客用設備と手荷物用荷物室を兼ね備えた合造車であった。クハニ10形は1981年、デハニ30形は1991年に全廃。
  • 100形
    • 前述の鋼体化車両群を置き換えるために導入した元西武451系、および601系(クハ1651形)。1996年全廃。
  • 150形 

貨車

軌間762mm・非電化時代

蒸気機関車

すべてタンク機関車であった。開業時に3両が導入されたことに始まり、最終的には8両が在籍した[12]

貨車・客車

いずれも詳細は不明であるが、貨車1両あたりの平均積載量は3.4トン、客車1両あたりの平均座席定員は21.6人であった[13]改軌・電化直前の1920年(大正10年)には貨車が100両、客車が24両在籍した[14]

車両数の変遷

年度 デハ20形 デハニ30形 100形 6000形 1000形 250形 200形 150形 500形 計(冷房車)
1982
-1990
2 1 6 2 3 2 9 25(2)
1991 1 6 2 3 2 9 23(2)
1992 1 6 2 3 2 9 23(2)
1993 4 2 3 2 9 2 22(4)
1994 4 2 3 2 9 2 22(4)
1995 2 2 3 2 9 4 22(6)
1996 2 2 3 2 9 4 22(6)
1997 2 3 2 9 6 22(8)
1998
-2001
2 3 2 9 6 22(10)
2002 2 3 2 9 6 22(12)
2003 2 3 2 9 6 22(14)
2004 2 3 2 9 6 22(14)
2005 2 3 2 7 6 2 22(16)
2006
-2011
2 3 2 5 6 4 22(18)
  • 1982・83年は1月1日現在、84年以降は4月1日現在
  • 『私鉄車両編成表』各年版、ジェー・アール・アール

バス事業

上信バス(乗合) 中央前橋駅前

2007年現在、営業所は高崎1箇所のみで、路線数もわずかであるが、かつては前橋・藤岡・万場・富岡・下仁田にも営業所を持ち、甘楽郡・多野郡にも路線網を広げていた。1970年3月までは佐久市に中込営業所を設置し、貸切バス事業を行っていた[15]。廃止された路線の中には、他社に引き継がれて現在も運行されている路線もある。 群馬県共通バスカード「ぐんネット」に加盟。

車両は一貫して日野車のみの導入である(大株主が日野自動車ディーラーである「群馬日野自動車」のため)。また、県内他社と異なり他社からの譲受車を導入していない。

1984年までは全車両が非冷房であったが、1985年以降に導入した車両については1986年導入の3台を除いて冷房車での導入となっている。1980年代から1990年代にかけては路線網縮小を行なっている時期だったため、新車の導入自体が少なく、導入車も1983年以降はマイクロバスのみであったが、2002年には20年ぶりの中型車として、日野レインボーHRノンステップバスを導入している。

現在の塗色は1982年レインボーRJ10台の導入を機に制定されたものであるが、一部車両を除いて塗り替えまでは行なわれなかった。

現行路線

高崎アリーナシャトルを除き、元日は運休する。

  • 高崎問屋町駅 - 高崎駅西口 - 鶴辺団地 (- 観音山ファミリーパーク・4月から10月の土日祝日のみ運行)
  • [高40・41]高崎駅西口 - 京目 - 新前橋駅 - 前橋駅 - 中央前橋駅
  • 高崎市内循環バスぐるりん
    • 都心循環線(群馬バスと共同運行)
    • 倉賀野線
    • 観音山線
  • 高崎アリーナシャトル
    • 高崎駅西口 - 高崎アリーナ - 新後閑町 - 城南野球場 - 和田町 - 南町十字路 - あら町 - 高崎駅西口
      • 2017年4月1日の高崎アリーナオープンに合わせて運行を開始[16]。元日は特別ダイヤで運行予定。

過去の路線

1980年代以降の廃止路線を記載する。

高崎営業所

  • 飯塚車庫 - 高崎駅 - 倉賀野 - 群馬の森 - 原子力研究所 - 玉村 - 五料
  • 中豊岡 - 高崎駅 - 倉賀野 - 群馬の森 - 原子力研究所
  • 飯塚車庫 - 高崎駅 - 倉賀野 - 岩鼻 - 新町駅 - 藤岡営業所
  • 飯塚車庫 - 高崎駅 - 倉賀野 - 岩鼻 - 森 - 藤岡営業所
  • 飯塚車庫 - 高崎駅 - 農大二高 - 南陽台 - 吉井駅
  • 飯塚車庫 - 高崎駅 - 農大二高 - 城山団地
  • 飯塚車庫 - 高崎駅 - 乗附

前橋営業所

1980年代後半の時点で高崎 - 前橋を結ぶ路線のみの担当であったため、区間運行がなくなったのみである。

藤岡営業所

  • 飯塚車庫 - 高崎駅 - 倉賀野 - 岩鼻 - 新町駅 - 藤岡営業所
  • 飯塚車庫 - 高崎駅 - 倉賀野 - 岩鼻 - 森 - 藤岡営業所
  • 新町駅 - 藤岡営業所 - 浄法寺 - 鬼石 - 神流湖 - 万場営業所
  • 藤岡営業所 - 神田 - 高山
  • 藤岡営業所 - 浄法寺 - 鬼石 - 妹ヶ谷
  • 藤岡営業所 - 金井 - 小柏
  • 藤岡営業所 - 本動堂 - 吉井駅
  • 藤岡市役所 - 藤岡営業所 - 藤岡市役所

万場営業所

  • 新町駅 - 藤岡営業所 - 八塩温泉 - 鬼石 - 神流湖 - 万場営業所
  • 万場営業所 - 魚尾 - 中里 - 上野 - 砥根平

富岡営業所

  • 上州富岡駅 - 間仁田 - 安中駅
  • 上州富岡駅 - 板鼻 - 安中市役所
  • 上州富岡駅 - 明戸 - 磯部駅
  • 上州富岡駅 - 上丹生 - 松井田
  • 上州富岡駅 - 上丹生 - 菅原
  • 上州富岡駅 - 福島 - 那須

下仁田営業所

  • 下仁田駅 - 妙義神社 - 松井田
  • 下仁田駅 - 初鳥屋
  • 下仁田駅 - 市野萱
  • 下仁田駅 - 四ツ家上
  • 下仁田駅 - 上鎌田
  • 下仁田駅 - 坊主渕

電気事業(廃止)

業績不振に悩む上野鉄道は1913年(大正2年)に山田昌吉[17]を監査役に迎えた。高崎水力電気の取締役でもあった山田はこの事態を打開するため高崎水力電気と合併することを計画し1921年(大正10年)6月に合併の仮契約をむすんだ。ところがその高崎水力電気は東京電燈との合併話が進展しており、東京電燈は経営難の上野鉄道を引き受けることは難色を示していた。そこで山田が事態収拾に奔走した結果、合併契約を解消する代償として「高崎水力電気は所有する室田発電所(群馬郡室田町上室田地区、水力、出力800kW)を9万円で譲渡する」「電化補助費として5万円を贈る」ことによりこの問題を解決させた。そして8月25日の臨時株主総会において高崎水力電気との合併仮契約解除が承認されると共に、電化の計画と軌間の拡張が協議され、資本金を200万に増資し社名を上信電気鉄道に改称し、初代社長に山田が選ばれることになった[18]

1923年(大正12年)2月5日に逓信大臣より電気事業の認可をうけ、室田発電所は4月1日に引き継がれた。当初富岡に変電所を設置して室田発電所からの送電により運用しようとしていたが、万一の時に不安が残るためその電力を東京電燈に卸売りし、必要な電力は東京電燈より購入する方式に変更し、変電所は福島に設けられた。そして1924年(大正13年)10月1日より電気事業を開始した。この新規事業が好調であったことから1929年(昭和4年)に北甘楽郡月形村磐戸村青倉村に配電していた南牧電気、1930年(昭和5年)には北甘楽郡尾沢村に配電していた羽沢発電を買収し、北甘楽郡の電燈事業へ進出した。そのとき獲得した大仁田(出力35kW)、雨沢(出力34kW)、片瀬(出力10kW)の各水力発電所はいずれも小出力であるため福島変電所から配電することになり、これらの発電所はまもなく閉鎖された。また一般需要分の電力の他に青倉一帯の石灰岩より石灰を生産する白石工業の工場用電力の要求から長野電燈より受電するようになった。やがてこの好調だった電気事業も配電統制令により1942年(昭和17年)11月25日関東配電に統合されることになり重要な財源を失うことになった。

郵便輸送・郵便収集

群馬県内の郵便物輸送を1940年(昭和15年)から受託している。2013年2月現在でも高崎郵便局から県内各所の主要郵便局を経由して郵便物を輸送しており、本線系統や支線系統がある。埼玉県北部地域の一部でも郵便輸送を行っている。

群馬県内
高崎郵便局と群馬県内の主要各郵便局を結ぶ主系統
  • 沼田局(沼田市)、鬼石局(藤岡市)、松井田局(安中市)、倉渕局(高崎市)、磐戸局(甘楽郡南牧村)、草津局(吾妻郡草津町)、藪塚局(太田市)
支線系統
  • 沼田局 - 湯桧曽局(利根郡みなかみ町)
  • 沼田局 - 片品局(利根郡片品村)
埼玉県内
  • 川越西局 - 秩父局(寄居局経由)
  • 川越西局 - 児玉局(深谷局、本庄局経由)
  • 郵便収集業務は群馬県内のみで行っており、高崎市内で6区受け持っている。沼田市内は、2011年9月まで行っていた。
  • 輸送系統図等は上信電鉄株式会社の公式サイトで確認されたい。

脚注

注釈

  1. ^ 大正 - 昭和初期にかけては輸入の電気機関車が多くみられるが、そのほとんどがアメリカ・イギリス製であり、ドイツやスイスといったその他の工業先進国からの輸入は極少数にとどまった。
  2. ^ 1973年まで上信線では保安システムにタブレット閉塞式を採用しており、かつ同線における交換可能駅はすべて島式ホームであることから在来車両はそれらの駅でホームに接する右側に運転席を配置してタブレット交換の利便性を図っていた。この特徴はタブレットの廃止以降に製造された自社発注車両にも引き継がれた。
  3. ^ 他に電動客車に複数の記号を併用する私鉄は長野電鉄(制御電動車はデハ、中間電動車はモハ)や富山地方鉄道(鉄道線の電動車はモハ、軌道線の電動車はデ)、過去に区別していた会社では京福電気鉄道(線区による区別として、嵐山:モボ、叡山・鞍馬:デナ・デオ、福井:ホデハ→モハ)などが存在する。

出典

  1. ^ a b c d e f 鉄道統計年報平成28年度版 - 国土交通省
  2. ^ a b c d 会社概要 - 上信電鉄
  3. ^ 国土交通省鉄道局監修『鉄道要覧』平成30年度版、電気車研究会・鉄道図書刊行会
  4. ^ 寺田裕一『データブック日本の私鉄』ネコ・パブリッシング、2002年、p.44
  5. ^ 『日本全国諸会社役員録. 明治31年』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  6. ^ 『鉄道省鉄道統計資料. 大正10年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  7. ^ 鉄道旅客運賃の認可及び改定について” (PDF). 上信電鉄 (2019年9月6日). 2019年10月8日閲覧。
  8. ^ 《1日全線フリー乗車券》好評発売中!”. 上信電鉄. 2019年10月8日閲覧。
  9. ^ 「107系」第3の人生は上信で JR東が有償譲渡へ - 上毛新聞ニュース、2017年8月29日
  10. ^ 上信電鉄700形が営業運転を開始 - 鉄道ファン・railf.jp 鉄道ニュース、2019年3月11日
  11. ^ 鉄道ファン No244 p93
  12. ^ 鉄道ファン No169 p47
  13. ^ 鉄道ファン No169 p47
  14. ^ 鉄道ファン No169 p47
  15. ^ バスジャパン・ハンドブック2『千曲バス』p26
  16. ^ 「高崎アリーナシャトル」運行のお知らせ(4月1日~) - 上信電鉄公式ホームページ・平成29年3月25日、平成29年9月14日閲覧
  17. ^ 茂木銀行高崎支店支配人。1921年(大正10年)高崎商業会議所会頭に就任
  18. ^ 新編高崎市史 近現代史料10、578-581頁

参考文献

  • バスラマ・インターナショナル40号
  • 『新編高崎市史 通史4』2004年、675-676頁
  • 柴田重利「上信電気鉄道」『私鉄車両めぐり特輯 1』鉄道図書刊行会、1977年
  • 田村民男『群馬の水力発電史』七月堂、1979年、26-28 84-87頁
  • 原田正純「群馬県の発電所遺跡」『産業考古学 14』1980年

関連項目

外部リンク