実家に届いた連絡
「(スポーツ紙の)記事には、“(菜七子が)両親に相談した”とありましたが、そんなこともなかったんです。一言『やめたよ』と連絡がきました。LINEですかね、妻あてに。『やめたよ』と」
こう淡々と明かすのは、昨年の10月11日にJRAの騎手を電撃引退した、藤田菜七子(27歳)の父親だ。
藤田の引退届が受理されたその日の夜、本誌記者が茨城県内の実家を取材に訪れると、父親は終始目を落としながらも、その胸のうちを語ってくれた。
藤田は競馬学校の騎手過程を卒業後、根本康広厩舎に所属。2016年のデビュー時には16年ぶりに誕生したJRA女性ジョッキーとして注目を集め、「菜七子フィーバー」を巻き起こした。
その後、3年目の18年には、JRA女性最多勝利記録を樹立。翌19年にはコパノキッキングでJRA女性騎手初の平地重賞(カペラステークス)勝利、初めてのGI騎乗(フェブラリーステークス)で5着になるなど、順調な道のりを歩んできた。
競馬界に新しい風を吹き込んだ彼女の身に、一体何が起きたのか――。