Books&Apps https://blog.tinect.jp Books&Appsはマネジメント、仕事、知識社会での生き方についてのwebマガジンです。 Wed, 26 Mar 2025 23:25:48 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=4.7.29 社長なのに”下っ端の名刺”で仕事をする友人の話 https://blog.tinect.jp/?p=89283 https://blog.tinect.jp/?p=89283#respond Wed, 26 Mar 2025 23:25:48 +0000 https://blog.tinect.jp/?p=89283

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ずいぶんと前のことだが、少し変わった会社経営者の友人がいた。

彼は名刺を2枚使い分け、普段は“開発部主任”の名刺で仕事をしている。そして銀行やVC(ベンチャーキャピタル)などとの商談の時だけ、必要最小限に代表取締役の名刺を出すようなことをしていた。

 

「嫌なやっちゃなあ。なんでそんなことしてるねん」

「いやいや、その時々で役割が違うんやから、これが合理的ってもんや。しつこい営業もこーへんようになるし楽やぞ」

 

確かに、作業着を着て現場に立ち、他のエンジニアと一緒に仕事をしている姿はどう見ても“開発部主任”だった。

まだ30代の頃のことなので、使えた技だったのだろう。

 

そんなある日、彼の会社の会議室で話していると、別の来客があるという。予定の調整にミスがあり、システム開発の商談で営業担当が来てしまったようだった。そのため予定を切り上げ帰ろうとするが、すぐに終わるので構わないと、奇妙な同席をすることになる。

 

「主任、今日は上司の部長も連れてきました。詳しい要件なども聞かせて頂き、提案書の作成に入りたいと思っています」

「今の段階で、そんな偉い人にまで来て頂き、恐縮しています。ありがとうございます!」

 

相変わらずのタヌキ野郎だ。

偉ぶらず、下から聞き手に回る(フリをする)性格も手伝って、全く社長に見えない。そんな形で、「開発部主任」と営業部長の商談は表向き、順調に進んでいった。

しかしそんな空気が、一つのやり取りをきっかけに一変する。

 

「ところで部長、この生産管理システムと経理システムのデータの受け渡しを今、手動でやっているんです。こんなアナログなこと早く止めたいんですが、業務システムをハブにしてどうにか、予算内で連結できませんか?」

「できなくはありませんが、今のやり方で具体的にどんな不具合があるのでしょう」

「ヒューマンエラーが発生する可能性を考慮しなければならないのが、うっとおしいんです。不確実性はできるだけ排除したいんです」

「しかしそれは経営マターであって、主任のお仕事ではないのではないでしょうか。本当に経営陣は、連結を期待しているのですか?」

 

そしてそのレイヤーの話をするのであれば、部長さんや担当役員さんと一度会わせてほしいというようなことをいう。

“下っ端は早くスルーして、意思決定権者に会いたい”という本音が、はからずも露呈した形だ。

 

「そうですよね、私みたいな下っ端が偉そうなことを言ってスミマセンでした!では一度、上司とも相談してみます」

彼は商談を切り上げ、2人は帰っていった。

 

「ほらオモロイやろ、名刺を使い分けるって。そもそも、肩書きが主任でも社長と同姓同名なら、少しは警戒するもんやろ。何も調べてへんから、社長と同じ名前ってことも気づいてへんのやろな」

「意地悪やなあ。そんな程度のこと許したれよ」

「確かに、その程度のことなら許せる。でもな、一つ許せんところがある。あの部長の、ビジネスマンとして一番ダメなところ何やと思う?」

「相手によって態度を変えることか?」

「少し違うな。何を言っているかではなく、誰が言っているかで、情報を判断していることや。誰が言っても当たり前のことを、“主任の言ってること”として取り合わんかった。アイツはアカン」

 

「ならばカラの皿を並べよ」

確かにその通りだ。にも関わらず私たちにとって、この先入観やバイアスから自由になることほど、難しいことはない。

子供の言っていること、下っ端の言っていること、素人の言っていること…。

本質的な情報の正しさを判断する上で、過度に重視すべきではない「属性情報」に私たちは無意識に、相当な重きを置いてしまう。

 

そんな先入観やバイアスから自由になる方法など、果たしてあるのだろうか。

一つの答えは、「硫黄島の戦い」で知られる栗林忠道・中将(以下敬称略)のリーダーシップだろうか。

 

硫黄島の戦いは太平洋戦争末期、1945年2月19日から3月27日まで続いた、日米による島嶼戦である。

「5日もあれば落とせる」と甘く見ていた米軍を40日近くも苦しめ、さらに島嶼戦において唯一、米軍の死傷者が日本軍を上回った激戦である。絶海の孤島で孤軍奮闘し、最後まで高い規律を維持した栗林。大事にしていた価値観は、「現場を歩き、肌感覚で情報を判断する」ことだった。

 

栗林が硫黄島の指揮官に着任したのは、米軍上陸の日から遡ること8ヶ月前の1944年6月。その日以来、栗林は島中を毎日歩き、全ての部隊の練度、将兵の健康・精神状態などを自らの目で確認し続けた。毎日の食事も現場の兵卒と同じものを出すように厳命し、幕僚たちにも同じことを求める。

 

「困ります、中将の食事の皿数は、規定で決まっております」

料理番がそのように意見すると、

「ならばカラの皿を並べよ」

と命じたほどだ。

 

書類上で、兵卒の栄養状態を把握するのではない。兵卒と同じモノを喰い、栄養状態と体力のリアルを司令部全員が肌感覚として把握せよと、厳命したのである。

そのようにして8ヶ月、将兵とともに文字通り同じ釜の飯を食い、寝食をともにした結果、島嶼戦が始まる頃には島にいる2万人全員が、栗林の顔を知っていた。硫黄島の戦いで現出した“奇跡”は決して偶然ではなく、栗林のリーダーシップがもたらしたものであることに、疑いの余地はないだろう。

 

そしてこのような原理原則は、決して珍しいものではない。シェークスピアが描いたことで知られる「アジャンクールの戦い」にも、同じような描写がある。

「100年戦争」のさなか、フランスに侵攻したイングランド王・ヘンリー5世は7,000人規模の軽装兵を率いていたが、重武装する2万とも3万とも思われる強大な敵と対峙する。

避けられない惨敗を予感し、明日をも知れぬ命に怯える兵卒たち。するとヘンリー5世は一兵卒に変装し、夜な夜な各部隊を歩きまわり兵卒たちと話し、「現場のリアル」を自分の目と足で確認して回った。

 

現場は何を恐れており、どうすれば士気が上がるのか。状況を正しく把握すると、『聖クリスピンの祭日の演説』で兵卒たちを鼓舞し、3倍とも5倍ともされるフランス軍の精鋭を撃破する。

書類を見て、事実を知った気にならない。部下や幕僚が言っているのだから正しいのだろうと、盲信しない。そんな姿勢は、優れたリーダーたちの行動原則のひとつなのかもしれない。

 

「誰が言っているのか」

話は冒頭の、友人と営業部長についてだ。

「経営マターに主任レベルが口を出すなよ…」

本質的に大事な要件定義を求めているにもかかわらず、そんな形で一蹴する営業部長について、そしてそんな会社との取引きを打ち切った友人の判断は妥当なのか。

 

言うまでもないことだが、「誰が言っているか」を偏重して情報を判断するようなビジネスパーソンが、優秀であるはずなどない。権威に弱く、自律的な判断能力を持ち合わせていない有害なリーダーですらある。

しかしながらその一方で、令和の時代で情報流通の“天下を取った”と言っても良いgoogleですら公式に、こういった趣旨のことを言っている。

 

「コンテンツの検索順位は、E-E-A-Tのガイドラインに沿って決定している」すなわち、経験(Experience)、専門性(Expertise)、権威性(Authoritativeness)、信頼性(Trustworthiness)である。

つまり「誰が言っているのかに重きをおいて、情報の価値を判断している」ということだ。そんな時代だからこそ、旧くからの友人に教えてもらったこんな言葉が、心に刺さる。

「人は、その人の器で学べることしか学べない」

部下から上がってきた情報、あるいはネット検索上位から得た情報を活用することで、便利にスクリーニングした気になるか。

それとも裏取りを怠らないのか。そんなところでもきっと、その人の“器”が試されているのだろう。もちろん、「主任ごときの下っ端が言うことに価値はない」と判断するようなリーダーに、リーダーとしての器などあろうはずがない。

 

余談だが昔、週刊東洋経済さんから依頼を受け、「自衛官のキャリア」について解説記事を寄稿したことがある。陸海空自衛隊では何を根拠に出世(昇任)が決まり、どういった人が最高幹部に昇るのか、といった内容だ。

この際、幹部自衛官のキャリア構成を知り尽くす、陸自の幹部候補生学校長などを歴任された元最高幹部に、記事の内容のほぼ全てをご指導頂いた。不足する情報については、海空の現役最高幹部にも教えてもらいつつ、「ここだけ話」も交え、取材記事としてリリースした。

正直、私の著書というよりも「自衛隊の中の人が書いた解説記事」だと、オリジナル性の薄さを反省したくらいだった。

 

そして発売されると、amazonですぐに、こんなコメントともに☆1の評価がつく。

「東洋経済も、元自衛官でもない素人にこんな記事を書かせるとは終わってる」

何が書いてあるかではなく、誰が書いたのかで読む価値がないと判断し、情報をゴミ箱に放り込んだ形だ。

 

「人は、その人の器で学べることしか学べない」

というのは、本当に真理だ。

 

 

 

【お知らせ】
前回(3月8日開催)に大変ご好評をいただいたウェビナーを、皆さまの声にお応えして再び開催いたします。 今回は、最新の生成AIの活用方法や最新知見を中心に、ティネクト主催でお届けします。 ぜひご参加いただき、実務に役立つ情報をお持ち帰りください。



ティネクトだからこんなことが話せる!4つのポイント
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AI時代のSEO最前線:企業が知るべき戦略とは?コンテンツの専門家が徹底解説

SEOはもはや「検索エンジン対策」ではなく「AI対策」へと変化しつつある

【内容】
1. AI検索時代のSEOとは?
2. SEOの未来を予測し、先回りする「トレンド予測型SEO」の重要性
3. コンバージョンまで設計するSEO
4. まとめ & Q&A


日時:
2025/4/10(木) 16:00-17:30

参加費:無料  
Zoomビデオ会議(ログイン不要)を介してストリーミング配信となります。


お申込み・詳細 こちらウェビナーお申込みページをご覧ください

(2025/3/27更新)

 

 

 

【プロフィール】

桃野泰徳

大学卒業後、大和證券に勤務。
中堅メーカーなどでCFOを歴任し独立。

主な著書
『なぜこんな人が上司なのか』(新潮新書)
『自衛隊の最高幹部はどのように選ばれるのか』(週刊東洋経済)
など

人生で受け取った名刺の中で、一番の衝撃は「取締役係長」という肩書きでした。
「エライのかエラくないのか、それともネタなのですか?」
と、思わず質問してしまいました。

X(旧Twitter) :@ momod1997

facebook :桃野泰徳

Photo:Mak

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「ふつう」ではない人間が、なぜ金を貯められないのかを説明しよう https://blog.tinect.jp/?p=89269 https://blog.tinect.jp/?p=89269#respond Tue, 25 Mar 2025 23:15:05 +0000 https://blog.tinect.jp/?p=89269

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「ふつうの」会社員が2億円

少し前に、ネットでこんな記事を読んだ。

はてな界隈でよく知られている斗比主閲子さんが『ふつうの会社員が投資の勉強をしてみたら2億円になった話』という本を出すという。

 

おれはとてもつめたい気持ちになった。なにをして「ふつう」というのだろう。おれもすこしは「ふつう」になりたくて生きてきたが、2億円とは縁どおい。縁もゆかりもない。40代半ばになったおれにとってリアルな数字とは「手取り19万円の栄光」であり、「20万円でも人は死ぬ」である。

「20万円でも人は死ぬ」

 

まあ、おれは「ふつう」とは言いがたい。大卒が前提として就職も転職もなにもかも語られるような世の中にあって高卒だ。大学を出られなかったのはおれの無能と怠惰によるものだからしかたない。おれは四大卒の人間にくらべてらいちじるしく能力が低いことは認めなくてはいけない。身体能力にすぐれているでもない無能者にまともな労働がないのはたしかだ。おれは「ふつう」ではない。

 

そのうえおれは精神障害者だ。精神障害者保健福祉手帳を持っている。完治の見込みは今のところないといっていい双極性障害(躁うつ病)だ。それによって、おれはまったく計算できない労働者だ。ケーキが切れるかどうかもあやしいものだが、そういう意味の計算ではない。労働力としてその日計算できるかどうかわからないという意味での、「計算できない労働者」だ。

突然働けなくなる「計算できない労働者」の話。

 

朝、抑うつで起きられないとなると、会社にLINEを送る。「すみません、遅れます」。昼くらいに行ける日もあれば、午後3時になる日もある。全休することはほとんどないといっていいが、うつのひどい時期になると、それが半月もひと月もつづく。おれが最底辺の零細企業づとめだからみとめられているようなものであって、「ふつう」の企業ならばすぐに解雇されていることだろう。おれは「ふつう」ではない。

おれは「ふつう」のスタートラインに立てない。おれは「ふつう」ではない異常に低い性能しかない、異常に低い社会で生きている。

 

べつにだれがなにをもって「ふつう」を名乗ろうとかまわない。おれに止めるすべもなにもない。とはいえ、かなり恵まれた前提があって、そのうえで能力にも恵まれた人間が「ふつう」を名乗っているのであれば、少しくらい毒づきたくもなる。そのくらいは許してもらいたい。

 

もしもおれがつぶやかなければ、それが社会の「ふつう」になってしまうかもしれないからだ。もちろん、おれがつぶやいたところで、社会の「ふつう」がかわるようなこともないだろう。でも、おれには声があるのだから。

 

もちろん、おれがおれのようなレベルの低能な人間や社会の下の方にある人間の代弁者になるつもりもない。おれのほうがあらゆる面でめぐまれている、という人もいるだろう。この部分についてはおれのほうがめぐまれているが、べつの部分についてはおまえのほうがめぐまれているということもあるだろう。それを比べだしたらきりがない。税制や福祉の制度を決めるためには数字によるきまりが必要だろうが、言葉の世界にきまりはない。おまえはおまえの言葉で地獄を語ればいい。

 

ホモ・エコノミクスを目指すことすら無駄な者

というわけで、おれには『ふつうの会社員が投資の勉強をしてみたら2億円になった話』は無縁の本である。なので、とうぜん買うこともない。おれには関係ない。

が、シロクマ先生が書評を書いていて、それが人気になっていたので読んでみた。

 

著者の斗比主閲子さんが、ホモ・エコノミクスとしてのエートスをいかに内面化し、実行に移しているのかという面を強調している。それは「ふつう」ではなく、「非凡」であると。

総体としてホモ・エコノミクスをやっていくとは、お金にも、精神にも、健康や文化や親密圏といったそのほか色々なことにも目配りがいく状態をやっていくってことだろうし、それらが総体として経済合理性にかなっていて、全体としてコスパやタイパに優れていることだと私は思う。総体としてホモ・エコノミクスをやっていくためには、お金のことしか見えない守銭奴になるのでなく、コスパやタイパにもとづいて他の色々なことにも目配りし、なおかつ、それらとお金の関係、それら同士の関係を取り持てることではないだろうか。
「これがコスパの精神か!──『ふつうの会社員が投資の勉強をしてみたら資産が2億円になった話』

なるほど、それができるのは非凡なことであろう。金を貯めるだけでもたいへんなことに違いないし、それができる人間ですらかぎられている。そのうえで、さらに生き方の総体として、精神、文化、健康にも合理性をもってあたり、まんべんなく豊かな人生を送るというのだ。

 

おれにはそれを目指すという動機を抱くことすら無理なのだが、あなたはどうだろうか?

 

競馬で負けてもなにも感じない合理的な理由

経済的に合理的であること。合理的でないこと。おれは社会的に「ふつう」の経済のスタートラインにも立てないのでわかるはずもない。コスパについても理解もない。無駄なことに金を使い、必要なことに金を出ししぶっているのだろう。無論、小銭に過ぎない。一般的な社会人からみたら小銭だ。小銭ですら、経済的合理性を考えることができない。

……いや、違う。おれは考えることができないかもしれないが、そもそも考えようとしないのである。考えようとしないというのは、おれなりの思考の結果であって、おれなりの合理性だ。

 

そもそもスタートラインにも立てない人間にとって、資産の形成を考えることなど無駄でしかない。「ふつう」の会社員が毎月の手取りから、いくら投資にまわそうか考えているとき、おれには給料自体が出ていない。「ふつう」の会社員が余剰資産の100万円をオルカンに入れようかどうか考えているとき、おれは20万円足りなくて死ぬ。

そんな人間が、経済的合理性を、コスパを考えて行動したところで、その後の人生になんの違いが出てくるのだろうか。

 

たとえば、おれは2025年3月22日土曜日と23日日曜日の中央競馬で1レースすら的中せず20,100円失った(いちおう言っておくが、これは珍しいことだ)が、この20,100円が残っていたところで、将来なんになるのだろう。カロリーの高い惣菜パンをそれなりに買えるかもしれないが、安アパートのひと月の家賃にもならない。

むろん、おれは毎週2万円ずつ負けるわけではない。毎年70%以上は回収している。

 

ただ、おれが遊びでやっている投資信託の成績のほうがはるかによいのは否めない。金額ではなく率として。だからといって、おれが競馬に投じてきたすべての金を投資に突っ込んでいたところで、それは小銭にすぎない。「ふつう」の会社員が車を買ったり、海外旅行に行ったりするくらいでなくなる。「競馬をやっていなければ家が買えた」などという話もあるが、おれは小銭しか賭けないのでそんなたいそうな話にもならない。

 

そういうわけで、おれはいくら公営競技という合理的でないギャンブルをして負けたところで、「あの金で何が買えたのか」と後悔することはない。「迷ってやめたあの馬を買っておけばよかった」という後悔ならいくらでもするが、小銭を失うことになんの後悔もない。ただぼんやりと回収率100%を目指すだけだ。ひとつひとつのレースにあらゆる物語が織り込まれているのを感じても、その目標は機械的といっていいかもしれない。

「あの金でなにを買えたのか」と後悔する理由がない。「この金を貯めて、投資して、将来に備えよう」と思う理由もない。すべては無駄だからだ。

 

将来、老後に必要とされる資金はいくらだろうか。2,000万円とも3,000万円とも言われる。それも、ちゃんとした年金を受け取れる人間においてのことだろう。おれは国民年金の時代も長かったし、正社員になったところで最低のお金しかおさめていない。ねんきん定期便は毎年おれに「おまえは国のお荷物だから早く死んでくれないかな?」と語りかけてくる。

そんな人間がいくら金を貯めようとしたところで、投資で増やそうとしたところで、無駄だよ。

 

なにもしないことの合理性

お金にも、精神にも、健康や文化や親密圏といったそのほか色々なことにも、おれが気を配るのは無駄なことだ。

お金については上に述べたとおりだ。まともな収入もなければ、受け継ぐ家の資産もないので、なにをしても無駄にすぎない。たとえば、競馬をしないで金を貯めて、半年長く生活できるとして、それになんの意味があるだろう。ちなみにおれは生活において、たとえば食生活などで無駄遣いをしない。安いスーパーでいつも同じものを買って、同じ料理を食べる。競馬のほかはメルカリで数百円の古着を買うくらいがぜいたくだろう。ぜいたくといえば、月に一度だけ宅配ピザを食べることを自らに許してはいるが。

 

精神といえば、これはもう崩壊している。崩壊しているから手帳持ちの精神障害者だ。抗精神病薬と抗不安薬と睡眠薬を飲まなければ、遅刻での出社すらままならないだろう。おれが精神の健康を考えることほど不毛なことはない。もう壊れてしまったのだし、もう戻れない。完治する治療法ができたところで、時を戻すことはできない。

健康について気を配るのも無駄なことだ。双極性障害の人間の平均寿命は、「自殺を差し引いても」短い。理由はしらない。そのうえ、おれは独身男性だ。独身男性の平均寿命も短い。ようするに、おれは早く死ぬ。「いや、それは統計の話だろう」という意見もあるだろうが、だからといっておれが健康に気をつかって、身体が健全であったところでなんになるのだろう。金がなくなって、住むところも失って、惨めに冷たくなって死んでいくとき、その時間が一週間でも先延ばしされるのだろうか。それになんの意味があるのだろう。健康診断などをしないことによって大病を患うことになるかもしれないが、早く死ねるならそのほうが人生の痛苦の総量も減るというものだ。

 

文化や親密圏。そもそも、それがなにを意味するのかよくわからない。文化を解するだけの知性がない。親密圏を構成するだけのコミュニケーション能力がない。能力以前に他人と関わることがおそろしい。おれにはだれかに受け継がせるような文化もないし、文化を受け継がせるようなだれかもいない。おれは孤独を好むし、一人でいさせてほしい。

 

おれに、ホモ・エコノミクスであるべき理由はなにひとつない。なろうと思って、それを目指そうという理由もない。むしろ、おれのような人間が将来の幸せなどを考えること自体が時間の無駄だ。それがおれにとっての合理性というものだ。おれのような合理性をもって生きている人間はどのくらいいるだろう。この日本に百万人いるかもしれないし、数百人かもしれない。ひょっとしたら、おれひとりかもしれない。どうでもいい。

 

このような話を読んで、「こういうセルフ・ネグレクト的な人生観を持った人間が、いざとなったら福祉を頼って社会の負担になる」とおまえは言うかもしれない。しかし、それだったら今すぐおれを殺しにくるというのはどうだろうか。おれにも、おまえにも、社会にも、じつに合理的な話じゃないか。

 

 

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SEOはもはや「検索エンジン対策」ではなく「AI対策」へと変化しつつある

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2. SEOの未来を予測し、先回りする「トレンド予測型SEO」の重要性
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【著者プロフィール】

黄金頭

横浜市中区在住、そして勤務の低賃金DTP労働者。『関内関外日記』というブログをいくらか長く書いている。

趣味は競馬、好きな球団はカープ。名前の由来はすばらしいサラブレッドから。

双極性障害II型。

ブログ:関内関外日記

Twitter:黄金頭

Photo by :Mihály Köles

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昨年入社した新人さんが、あまりにも助けを求めるのがうまくて、「こいつ人生二度目か?」と思った話。 https://blog.tinect.jp/?p=89263 https://blog.tinect.jp/?p=89263#respond Mon, 24 Mar 2025 22:41:55 +0000 https://blog.tinect.jp/?p=89263

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今日書きたいことは、大体以下のような話です。

 

・昨年入社した新人さんが、人生二度目かというレベルで「助けを求めるのが上手い人」でかなり驚いています

・助けを求めるのが上手い人は、大体下記のようなことができています
-手遅れになる前に「困っています」を出力できている
-何がしたくて、何が出来ていないかを言語化できている
-何をやろうとしたか、どこまで試みたかを言語化できている
-普段の進捗をちゃんと周囲に報告・共有している
-助けを求める際、必要な人を巻き込めている
-自然と感謝の言葉を口に出来ている

・これが自然に出来る人は色んなところで得をしますよね

・ただ、ここまでできなくても、ただ「困っています」「進んでいません」をちゃんと出力できるだけでも上司としては十分ありがたいです

・新人さんは、遠慮なく弱音を吐きつつ、少しずつでも「助けを求めるノウハウ」を蓄積していけるといいんじゃないかと思います

以上です。よろしくお願いします。

 

さて、書きたいことは最初に全部書いてしまったので、後はざっくばらんにいきましょう。

以前から何度か書いていますが、しんざきはシステム系の会社で管理職をしています。元々の専門はDB屋なんですが、最近テクニカルな仕事は正直あまりできておらず、もっぱらスケジュール調整とリソース調整、および他部署に頭を下げまくる仕事に追われる日々を送っています。

 

管理職は管理職で楽しいんですが、わけの分からんヒント句つきでわけの分からんテーブルにJoinしまくってる複雑怪奇なストアドファンクションの整理とか、意味不明なテーブル構成・インデックス構成でパフォーマンスが死んでるDBのフルチューニングとか、たまにはやりたいですよね。数年に一度くらいでいいですが。

で、立場上新人さんを見る機会もそれなりに多く、分からないながらも新人指導もやっています。配属運がいいのか平均値が上がっているのか、「最近の若い者は」的なことは殆どなくって、むしろ最近の新人さん、態度もしっかりしてるし勉強もするし、正直私よりずっと優秀なんじゃねえか?と思うことの方が多いです。わしは育てとらん。

 

で、昨年入社した新人さんで、一人「助けを適切に求める」ことがすごく上手い人がいて、割とびっくりしています。

これは一般的に言っちゃっていいと思うんですが、どんなに能力的に優秀であっても、最初はなかなかできないのが、「仕事で困った時、適切に助けを求める」ことなんですよ。これ、別に新人さんに限らず、結構なベテランでもできない人はいます。「助けを求める」って、本来難しいことなんです。

 

まず第一に、「助けを求める」ためには、「困っている」を言語化して出力しないといけない。

どんな人でもそうですが、「できてません」「進んでません」ということを伝えるのって、凄く勇気がいるんですよ。叱られるんじゃないか、あきれられるんじゃないか、「これだけ時間かけてこれしかできていないのか」と思われないか。そういう、「どう思われるか、という恐怖心」が邪魔をして、例えば全然分からないことがあっても、なかなか質問できないまま、ずるずる先延ばしにしてしまう。進み具合を聞かれても、ついつい「大丈夫です」と答えてしまい、どうしようもなくなってからようやく進捗の大幅遅れが判明する。そういう人、新人に限らず、どんなレイヤーでもすごくたくさんいます。

 

それに加えて、「何にどう困っているのか」を言葉にして説明するのだって、なかなか簡単なことじゃないんですよね。「分からない」場合、最初は「何が分からないのか分からない」のが普通です。よく分からないけれど、とにかくできない。「できない」としか言えないので、「分からないことがあったら質問してね」と言われても、その質問を言葉にすることができない。

 

さらに新人さんの場合、「どういうタイミングで、誰に質問すればいいのか」だって結構判断が難しい問題になります。周囲にいる人たちは全員自分より職位が上で、いつも忙しそうにしている。そんな忙しそうな時に「なにがなんだか分かりません」とか話しかけて怒られないか。自分に教えるだけで何時間も使わせてしまったらどうしよう、なんて不安もあるでしょう。「それ、この前も言ったろ」なんて言われたら、それだけで二度と質問できなくなっても不思議ではありません。

「この人に、こういうタイミングで助けを求めたらちゃんと助けてくれる」というのも、ある意味重要な職場のノウハウなんですよね。

 

そういった、数々の「助けを求めるためのハードル」が、多くの新人さんの成長を阻害している、ということは、どんな職場でも観測できるでしょう。まあそのために、上司は「困ったら、「なんか分からん」だけでもいいから俺に言ってね」「同じこと何度聞いてもいいからね」「俺が忙しそうな時は忙しそうな振りしてるだけだから気にせんでね」と言わないといけませんし、私もそう言うようにしてはいます。

 

ところがですね。去年入った件の新人さん、この辺のことが殆ど最初からできているんですよ。なんでしょう、大学や大学院時代の指導がよほど良かったんでしょうか。

まず、手遅れになる前にちゃんと「ここが分かりません、できてません」と言える。それだけでも偉いんですが、その背景として「今○○が目的の作業をしてるんですが、ここが分からなくてできてません」と、ちゃんと「作業の目的」と「できてない箇所」を最初の時点で説明できている。

どんなことでも、教えるためには「何のために何をしようとしているのか」をまず明確にしないといけなくって、大抵はそれを逆質問でサルベージしないといけないんですが、そこを省略できる。これ、答える側としては滅茶苦茶助かります。「なんのために、何をしようとしているの?」を確認する手間が省けるし、言われる側もそれで萎縮したりしなくて済みます。

 

更にでかいのが、「○○と××は試してみたんですが」と、「自分がどこまで試みたか」をセットで伝えられること。

これ、前この記事でも書いたんですが、

大学の恩師に教わった、「なにがわからないか、わからない」ときの質問のしかた。

「分からない」を解決する、というのは、一種の宝探しのようなものでして、「どこに理解を妨げている要因があるのか」というものをどうにかして探り当てなくてはいけません。

それは単純に知識不足なのかも知れないですし、アプローチの方向性が間違っているのか、何か理解を妨げる勘違いをしているのか、あるいは内容について読めていない部分があるのかも知れません。

「一台目の掃除機」がないということは、それを全部一からマインスイーパーしろということであって、相手に負荷をかけることにもなりますし、有限の時間を無暗に浪費することでもあります。

 

「何かが分からない」時、「質問者はどこまで分かっているのか」を探り出すのって、本来めちゃくちゃ面倒くさい作業なんですよ。理解度はこの辺かな?それともこの辺かな?っていうのを、大抵はかなり基本に戻ってヒアリングして、その上でその理解度に沿った説明をしないといけない。地図なしの宝探しみたいなもんです。

けれど、「○○まではやってみた」という情報が分かると、「ここの理解が間違っている」とか「やりたいことは合ってるけど順番が違う」とか「そもそもアプローチが違う」とか、答える側としても的確に、しかも少ない手間で回答を考えることができます。これホント、めっちゃくちゃ助かるんです。

 

また、重要なこととして「普段から進捗報告をこまめにやっている」という点も挙げられます。

これはもちろん私からも求めているんですが、「今何をやっています」「これから何をします」という状況の共有が明確だと、周囲の人も大体「あ、あいつこれから○○の作業することになるな」というのが事前に分かるので、質問が来た時に状況に応じたピントを合わせやすい。同じ質問をするにしても、「あ、そういえばこいつこの前この作業やってたな、ってことはここまでは分かってるだろうな」というのが簡単に判断できるんです。

 

「こいつ、「ここが分からない」って言ってるけど、そもそも着手自体してないんじゃないか?」みたいな疑念を抱かれる余地がない、ということで、質問者自身のためになることでもあります。細かな進捗共有、面倒だけどホント大事です。

 

もう一つ、これもすごく感心したことなんですが、「誰かに質問する時、他に必要そうな人も一緒に巻き込めている」ことです。実は、私が「こいつ人生二度目か?」と思ったのはここでした。

どういうことかというと。例えば、○○という技術について知っている人が、自分とは違うチームにいたとして。本人にいきなり直接聞くのではなく、自分のチームリーダー(私)と、相手のチームのリーダーも含めてチャットソフトでグループを作って、その中で質問するんですね。

 

もちろん本当にちょっとした質問であれば、するっと相手の席に行って聞くだけでも何の問題ないんですが。ある程度大きな問題だと、場合によっては質問に答えるだけでそれなりのリソースを使うことにもなるので、相手の時間を奪ってしまうという意味では、管理サイドでも把握しておかないといけない話なんですよね。マネージャーの側として、「おいおい、○時間も時間とる作業するなら、こっちにも話通しといてくれよ」ってなるじゃないですか。そういう場面で、後から頭下げるのも私の仕事のうちなんですが。

 

そこで、自分と相手の管理サイドも含めて、状況を把握しておいてもらう。これができていると、私から相手リーダーさんに「すいませんがちょっと時間いただきます」って話を通すのもスムーズですし、質問を受けた人にとっても「あ、自分の上司も把握していることなんだな」と分かってちゃんと身を入れて回答ができます。

 

私からも一回二回例示はしたかも知れませんが、それでもこんなにするっと「関係者を巻き込む」ができるって凄いことだと思うんですよ。大体は、「偉い人を巻き込む」なんて萎縮しちゃうものですもんね。

あとは、当然のことのようで案外忘れがちなのが、「ちゃんとお礼を言う」ということで、毎回丁寧にお礼の言葉を書き込んでいるのを見て、これもつくづく偉いなーと思った次第なわけです。

 

この辺、「助けを求める」時にやった方が良さそうなことが大体できているという話で、この新人さんはもちろんとても優秀だと思うんですが、他の新人さんも大なり小なり「ある程度できている」人ばかりです。ホント優秀です、最近の新人さん。

私が新人の頃なんてこの100倍ちゃらんぽらんだったよな、と思わざるを得ず、皆さんの邪魔にならないように管理っぽいことを頑張らないといけないなーと思うばかりなのです。

 

***

 

色々書いてきましたが、一つ強調したいこととして、「助けを求める」時に上記のようなことが全てできている必要など全くなく、むしろ「助けて」がちゃんと言えるだけでも十分偉い、という話です。

 

最初に書いた通り、「「できてません」「進んでません」ということを伝えるのって、それだけで凄く勇気がいる」ことなので、手元でできないタスクを抱えてずるずる時間が経つことはとてもありがちで、マネージャーとしてはそこが一番困るポイントでもあります。

 

そのハードルを飛び越えて、「何がなんだか分かりませんがとにかく困ってます」と早めに言えるだけでも十分にマネージャーとしては助かりますし、それを言えるようになることこそ一番重要です、と。

4月から新社会人になる方も多々いらっしゃるとは思いますが、まずはそこ、「困っている」を手元で抱え込まないようにすることを目指してみてください、と。

更にその上で、「助けを求める」ためのテクニックを、少しずつ少しずつ身につけていければいい感じに社会人をやっていけるのではないでしょうか、と。

 

そんな風に考える次第なのです。

今日書きたいことはそれくらいです。

 

 

 

【お知らせ】
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【登壇者】
梅田悟司
コピーライター / ワークワンダース株式会社 取締役CPO(Chief Prompt Officer)
武蔵野大学アントレプレナーシップ学部 教授
代表作:ジョージア「世界は誰かの仕事でできている。」、タウンワーク「バイトするなら、タウンワーク。」ほか
著書『「言葉にできる」は武器になる。』(シリーズ累計35万部)


日時:
2025/4/4(金) 14:00-15:00

参加費:無料  
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お申込み・詳細 こちらウェビナーお申込みページをご覧ください

(2025/3/18更新)

 

 

 

【著者プロフィール】

著者名:しんざき

SE、ケーナ奏者、キャベツ太郎ソムリエ。三児の父。

レトロゲームブログ「不倒城」を2004年に開設。以下、レトロゲーム、漫画、駄菓子、育児、ダライアス外伝などについて書き綴る日々を送る。好きな敵ボスはシャコ。

ブログ:不倒城

Photo:Artem Maltsev

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小娘だった私にたくさんのことを教えてくれたパパへ https://blog.tinect.jp/?p=89252 https://blog.tinect.jp/?p=89252#respond Sun, 23 Mar 2025 23:16:37 +0000 https://blog.tinect.jp/?p=89252

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ねぇ、パパ。インスタのアカウントが急に消えたね。昨日、気がついたよ。

どうしたのかな? ひょっとして死んじゃった?

 

縁起でもない? でもあり得るでしょ?ていうか、それしか考えられないんだけど。

だって、もうパパも後期高齢者だもん。私の親とほぼ同い年なんだし、死んじゃっててもおかしくないよね。

 

なんだか様子がおかしいと感じていたから、去年から気になってたんだ。半年前に、急に鬼電かけてきたでしょ?

多分あれは何かの手違いだったんだよね?

 

パパのインスタアカウントからビデオ通話のお知らせが何度も来てて、それに出ても何も映っていなくて、ただガサガサとした雑音と、駅のホームのアナウンスだけが聞こえてきてた。あれって、どこのホームだったのかな?

 

わざわざ私と電話で話さなきゃいけないような用事なんて何もないから、「きっと徒歩で移動中にスマホを誤操作しちゃったんだろうな」って思ったよ。

だから「どうしました?移動中の誤操作ですか?」ってDMしたの。なのに返事がなくて「あれ?」って思った。変だなって。

 

だってさ、パパはどんな時でも絶対に返事くれる人じゃん。

もし元気だったら、普段通りだったら、「いやぁ、ごめん」って返信が来て、「ゆきちゃん、ずいぶん久しぶりですね。お元気ですか?そちらの暮らしはどう?」って、聞いてくれたはず。そうでしょ?

 

なのにちっとも連絡がないから、「え?ひょっとして倒れてる?」って思ったよ。

そんな不吉な想像をしちゃったけど、今はもうインスタしかパパとの連絡手段がないから、DMに返事がなければそれきり縁が切れてしまう。めっちゃ長い付き合いなのに、あっけないね。

 

パパに初めて会ったのは、私が東京の美大に通っていた頃。

まだギリギリ10代で、当時のあなたの肩書は「アートプロデューサー」だったね。

 

パパは美大のアートマネジメントの先生と仲が良くて、授業にゲストスピーカーとして呼ばれて来た。その時、私がパパの手掛けるアートプロジェクトのボランティア募集に応募したのが、知り合ったきっかけ。

それ以来、パパの関わるプロジェクトには必ず声をかけてもらって、ボランティアやアルバイトをさせてもらったね。どのプロジェクトも、めっちゃ楽しかったよ。ホント楽しすぎて、あれが私の東京での青春だった。

 

企業メセナが大ブームの頃だったから、パパも売れっ子で、肩で風を切ってたもんね。

バブルはとっくに弾けていたし、就職氷河期も始まっていたけど、当時の日本企業はまだまだ強かったんだなぁ。名だたる企業を中心に「潤沢な利益をアートを通じて社会に還元する」って活動が大流行してた。

田舎もんの小娘だった私も、業界のカッコイイ雰囲気に憧れて、その道で生きていこうって思っちゃったもん。

 

パパが「アートマネジメントをやるなら、海外のアーティストたちとやりとりしないといけない。英語力は必須だよ」って言ったから、私はロンドンに留学したんだよ。

まさかさ、ロンドン留学中に山一證券や北海道拓殖銀行が倒産しちゃって、日本経済が崩壊するなんて思わないじゃん。あんなに流行ってた企業メセナが、一晩でポシャるって誰が想像できた?

 

そんなこんなで私が日本に帰ってきた時、パパは仕事がなくなって、失業状態だったね。

でも、主要な取引先から仕事が来なくなったことも、愛車のベンツを手放したことも、借金を抱えて困ってたことも、ずいぶん後になるまで私には言わなかったよね。

 

いつだって余裕のある大人のフリをして、いつも美味しい食事をおごってくれてた。

パパは美食家だったから、連れて行ってくれるお店はどこも美味しかったし、落ち着いてて素敵なお店ばかりだったなぁ。

 

「男は黙って痩せ我慢」っていう、美学がある世代だったのかな。

当時のオジサンたちは、若い女の子にご飯をご馳走するのにタイパだのコスパだの、今みたいに野暮なことを言わなかった。ただ美味しいご飯を食べさせてくれたり、タメになる話を聞かせてくれたりして、社会勉強をさせてくれた。

 

パパに限らず、当時はそういう大人がけっこう居たよ。男の人に余裕があったのかな。

「パパ活」なんて言葉はなかったし、そういう意識もなかったよね。

 

今じゃそういう大人の男の人たちは、セクハラだの犯罪だのと言われて、後ろ指を刺されるんだろうね。

だけど、私は楽しかったよ。1990年代に若い女の子でいられたこと、そしてパパみたいな紳士たちに可愛がってもらえたこと、ラッキーだったと思ってる。

 

パパは人生の大先輩で、先生で、お父さんみたいだったから、ふざけて「パパ」って呼びはじめたの。あなたをそう呼んでいたのは、きっと私だけじゃなかったでしょ?

だって、あなたは相手が男の子でも女の子でも、とにかく若い子の面倒をよく見る人だったもの。

結局、その後も景気は良くならず、パパはアートビジネスから完全に身を引いて、知り合いに声をかけてもらったとかで、サラリーマンになったね。

 

その頃のパパって、ちょうど今の私と同い年くらいじゃない?

「知り合いに拾ってもらえて、運が良かったよ」なんて余裕かましてたけど、本当は大変だったでしょ?

今なら分かるよ。それまで自分で会社を経営して、ベンツに乗ってた人が、50歳でぜんぶ手放して、電車通勤のサラリーマンとして出直すなんて、かなりしんどかったでしょ?

 

だけど、そこで終わらなかったんだから、パパはすごいよ。

とある地方の県知事に「ぜひ参謀に」と請われて、50代半ばで縁もゆかりもない土地に赴いて、公務員になったかと思えば、そこからどんどん出世して、偉くなったもんね。そういうガッツのあるところ、本当に尊敬するし、見習いたいな。

 

その地方では10年くらい働いたんだっけ? それなりの仕事と地位と収入を得て自信を取り戻したのか、公務員時代のパパはfacebookで発信しまくってたね。

だから、facebookを消した時には驚いちゃった。まさか、その地方の腐敗にメスを入れようとして、地場のヤクザに追われるようになっちゃったとは…。

「あ〜ぁ」って感じ。そんなんだから地方ってダメなんだろうね。

 

その頃の私は、都会での生活が続けられなくなって、地元に帰って、離婚して、両腕に子供たちを抱えて、もがいてた頃だったから、facebookの友達からパパが消えてることに気がつかなかった。

ようやく居ないと気がついたのは、再婚して、生活が落ち着いて、かなり時間が経った頃。

私はインスタを使ってなかったけど、アカウントだけは作ってて、facebookで友達だったパパとはインスタでも繋がってたみたいで良かった。

 

あなたは身バレ防止のために匿名になっていたから、手作りパンの写真ばかり載せてる見覚えのないアカウントがパパだって気づくのに、ちょっと時間がかかったけど。

パパと最後にちゃんと話をしたのは、2021年だったね。

zoomで画面越しに会ったのが、あなたの顔を見た最後。ずいぶん怖い思いをしたみたいで、公務員として赴任した地方のことは、もう思い出したくもないようだった。

 

仕事人としては嫌な終わり方をしてしまったようだけど、それでも公務員をやったおかげで年金がしっかりもらえて、余裕のある老後を迎えられたのだから、そこはラッキーだったんじゃない?

自慢のお子さんたちはみんな立派な職業について、家庭を持って独立して、パパは孫に囲まれて、ちょっと暇そうだったけど、幸せそうで本当に良かった。

 

激動の人生を駆け抜けて、おじいちゃんになって、孫の相手をしながら手作りパンを焼いたり、園芸に勤しむ老後を迎えるのって、悪くないっていうか素敵。

昔と違って、もう話すことはあんまりなかったから、「またね」と言いつつ、結局またの機会はなかったね。

 

どこかの駅のホームのアナウンスが、私の耳に残る最後の思い出になっちゃった。

バイバイ、パパ。

たくさんお世話になりました。ありがとう。

…さよなら…

 

 

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【著者プロフィール】

マダムユキ

ブロガー&ライター。

Flat 9 〜マダムユキの部屋」管理人。最近noteに引っ越しました。

Twitter:@flat9_yuki

Photo by :Richard Tao

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政治は『推し活』と同じように進められている https://blog.tinect.jp/?p=89244 https://blog.tinect.jp/?p=89244#respond Thu, 20 Mar 2025 23:15:34 +0000 https://blog.tinect.jp/?p=89244

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  1. お問い合わせ
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「推し活」が新現象として語られる時期は過ぎたかもしれないが、「推し活」に伴うトラブルも大ヒットもなくなる気配がない。「推し活」を成立させる社会状況や社会インフラがたいして変わっていないのだから、それは当然だろう。

 

「推し活」を巡るトラブルとして、第一に世間の人が知りたがるのは、経済的なことだ。

経済的に破綻するような推し活をしてしまった人は目立つので、「推し活」批判の槍玉にあげられやすい。もちろん、そのような個人、そうせずにいられない状況、それを助長するようなマーケティングや制度にはそれぞれ問題がある。と同時に、「推し活」の経済効果を寿ぎ、あてにする言説もしばしばみられる。「推し活ビジネス」などという言葉が用いられ、実際「推し」にお金やアテンションや時間を惜しみなくつぎ込む人がいるのだからそれもそうだろう。

 

第二に世間の人が知りたがるのは、個人的なことだ。

なぜ、人は「推し活」に惹かれるのか? そのとき心理的にどのような影響が起こっているのか? 私は2024年に『「推し」で心はみたされる?』という書籍を上梓し、それに関連したインタビュー等を受け続けているが、一番よく聞かれるのは「推し活」をする当人への心理的な影響だ。「推し活」をし過ぎてしまう人や、「推し」に裏切られたと思って怒ってしまう人やコミュニティで厄介になってしまう人の問題も含め、個人と「推し活」との相互影響に関心を持つ人は引きもきらない。

 

だが、それらだけとも思えない。「推し活」は政治に繋がっている。いや、「政治は『推し活』と同じように進められている」と言い直すべきだろうか。本当は、そうしたことも言語化され、共有されておいてもいいのではないだろうか。そう思って書いたのがこの文章だ。

 

SNSは、「推し活」と同じように政治力や影響力を盛り上げる

「推し活」は、権力や政治の問題と切り離せない。拙著でそこをあまり強調しなかったのは、ニーズがなさそうだったのと、面倒な話だったのと、あまり確実なことを言えそうにない話だったからだ。

 

「推し活」は個人的だったり経済的だったりすると同時に、集団的であり、社会的でもある。

何百人、何千人、何万人と人が集まって誰か/何かを推せば、推される側には社会的な影響力が付与される。その影響力の一番わかりやすい指標が経済的な成功や、「推し活」をする人たちが実際に支払う金額だろう。しかし、「推し活」をとおして「推し」に集まるのは金銭だけではない。アテンションが集まり、期待が集まり、SNS等をとおして布教力までもが集まっていく。これは凄い影響力の集積だ。影響力とは、政治力と言い換えてもほとんど問題ない。

 

というのも、広く解釈すればフォーマルな選挙だけが政治ではないからだ。有名人、IP、キャラクターなどが「推し活」のおかげでアテンションや期待や布教力を獲得し、それが人を動かす力の源となるなら、獲得された影響力は、広義の政治力と言える。商業的成功を純粋に追いかけているようにみえるIPですら、本当はそうだと言えるし、そのようなIPが政治的目的に利用されたとしたら、広義の政治力(の一部)を狭義の政治力としてふるうことさえ可能だろう。そうでなくとも、「推し」の対象として有名になった人には、その有名さの度合い、その応援される度合いに基づいた発言力や発言機会、立場や仕事が与えられがちだ。

だから「推し」を論じる際に、「推し活」する側の影響、とりわけ個人的な影響だけを論じるのは片手落ちだった。推される側にもたらされる影響と、社会的影響──本当はそこまで考えてはじめて「推し活」についての考察は完結する。

 

で、「推し活」という語彙が生まれる以前から、著名人や人気タレントなどは影響力を獲得してきた。その際には既存のテレビや新聞や雑誌などが影響力を媒介するメディアとして重要だったのは言うまでもない。だが、ちょうど「推し活」が台頭する少し前からそれら由来の影響力が(相対的に)小さくなり、SNS由来の影響力が(相対的に)大きくなったことは特筆に値する。SNSの持つ、リアルタイム性や敷居の低さ、即時報酬・心理的欲求充足・アルゴリズムによる最適化などといった性質は、「推し活」する人々をより熱心にSNSで語らせ、繋ぎ合わせ、布教力を拡大させる。

今日の「推し活」が従来のファン活動と異なっているのは、SNSという、「推し」に影響力を収集すると同時に「推し活」をする人々同士を繋げあわせ、布教者たらしめる社会装置を前提としている点だ。そうした社会装置に乗っかっているのは、有名なタレントやIPやキャラクターだけではない。もっと草の根の領域で活躍しているインフルエンサーもいよう。そもそも、インフルエンサーと今日呼ばれる人々自体、SNSなどを地盤とし、そこで獲得した影響力を経済的成功に変換している人達ではなかったか?

 

インフルエンサーが獲得してきたのは経済的成功だけでない。ときには政治的成功をすら獲得する。少なくともそうした動きはみられる。

SNSが普及した後の日本の政治風景だけ見ても、その兆候はある。SNSで過激な発言を繰り返して影響力を獲得したインフルエンサーが、そのまま選挙に打って出たり、選挙に協力したりする流れだ。SNS上のインフルエンサーが選挙に出るのは、広義の政治力を狭義の政治力に変換しようとする、かなりダイレクトな試みだと言える。そしておそらく、SNS普及後の社会や世界ではそれが効果的なのだ。だから従来型の政治家もSNSにアカウントを設置し、アナウンスメントやステートメントを繰り出すようになった。

そして国外の政治風景に目を向ければ、アラブの春、オバマ大統領の当選、そしてトランプ大統領の二度の当選といった具合にSNSがその広義の政治力を狭義の政治力へ変換する社会装置として機能しているらしき類例が次々に思い出される。フランスのマクロン大統領やフィリピンのドゥテルテ大統領もSNSを活用していた。

 

もちろん、現代の政治の帰趨がSNSだけで左右されるわけではないし、しばしばSNSでは真偽の不確かな情報やメッセージが流布する。それでも、疑わしさを含もうともSNSの声が政治的に有意味になったことがはっきりした今、(さきほどまで書いてきた)広義の政治力と狭義の政治力との区別は曖昧になったとは言える。

2025年現在、SNSをとおして政治力をかき集めた政治家とその過程が決定的に否定されたり、SNSが政治力の生成過程として禁止されたりするには至っていない。いや、禁じてくれと言いたいわけではない。影響力や政治力は、人が集まって誰かを推挙したり評価したりすればおのずと生じるものだし、それは村の集会からグローバルなSNSまで同じことだ。政治力の生成過程としてのSNSを禁じるとは、SNSを禁じることそのものや、オンラインで集会をやるなというのと同義である。それは21世紀の集会禁止法だ。自由主義の国でそれはないだろう。

 

しかし、SNSの持つリアルタイム性や敷居の低さ、即時報酬や心理的欲求充足やアルゴリズムによる最適化などといった性質は、政治力の集積過程に今までのメディアには無かったブーストを与えているだろう、とは思う。SNSは、20年前ならテレビに向かって不満をつぶやいていただけの人や居酒屋でくだをまくだけだった人々をも、布教端末たらしめた。そしてそうした人々の声までもが、影響力、ひいては政治力の一端を担うようになった。この、SNSによって収集され可視化されるようになった政治力のブーストは、「推し活」を盛り上げているブーストと同根のものだ。政治をカーニバルのようなものとみるなら、それもいいのかもしれない。だが政治は本当にカーニバルで良かったのだろうか? ん? 案外カーニバルだったのかもしれないか? だがなあ。

 

ともあれ、SNSは選挙を「推し活」のように、政治をアニメのキャラクター人気選挙のようにブーストする。「推し活」と同じく、活動に熱心な人間は政治に夢や希望を託すこともできるし、布教をとおして所属欲求や承認欲求をみたせていると感じる者もいるだろう。ミクロな個人の水準における心理的欲求の充足が、マクロな社会における影響力の生成と結びついているから、活動が軌道に乗ってきたと感じた人においては、さぞ、やり甲斐があるに違いない。

 

で、キングが爆誕しましたよ!

そうした活動をとおして、海の向こうではトランプ大統領が二選目を迎え、ホワイトハウスから王冠をかぶったイラストが出てきた時には目を疑った。

アメリカ合衆国という、王や貴族のいなかった国にこんなイラストが現れることに、私は不思議な納得感を感じたりする。そういう国じゃないだろ、というツッコミは理解できる。でも、そういう国じゃ無さすぎるからこそ、専制国家のくびきから逃れてきた記憶のない移民二世以降のアメリカ人が増えている今、こういうイラストが現れてもおかしくないかもしれない。

 

私の見たところ、このイラストに象徴されるアメリカの政治的状況は、今になって急にできあがったものではなく、オバマ→トランプ→バイデン→トランプ という政権交代のバトンリレーのあいだにできあがり、次第に大胆になっていったもの、と想像される。SNSをとおして推し活的な選挙活動が可能になったことに、アメリカの大衆が慣れてきただけでなく、その大衆を統治・利用しようとする人々も、SNSをとおして推し活的な選挙活動を行うことに慣れてきた。その帰結が現状なのだろう。トランプ大統領その人が、そうした帰結の極みにあったことは専門家も指摘しているところである。

 

そして、この王冠をかぶったトランプ大統領の絵が象徴しているように、SNS以前にはあり得なかったメンションやステートメントが効果的とみなされる。これまで政治力や影響力を独占していた勢力のプレゼンスが低下し、SNSをとおして政治力や影響力を新たに吸い上げられる勢力のプレゼンスが向上すれば、後者におもねった表現や表象をアウトプットするニーズが高まる。そのような表現や表象を上手にアウトプットできる政治家は有利をとりやすく、SNSにたむろしている大衆に嫌われやすい表現や表象しかアウトプットできない政治家は不利になるだろう。マスメディアに対して不信感を持っている層が大勢いるような社会情勢では、なおさらだ。

 

それにしても、たかだか十年かそこらで遠いところまできたものである。「SNSが政治に役に立つ」といった話は2010年頃にも耳にした話だが、まさかホワイトハウスから王冠を被ったキングのイラストが出てくるとは!

私も、このRootportさんのコメントには同感だ。これから大きな国際紛争が起こるとしたら、SNSは紛争の成立過程に大きな影響を与えた21世紀初頭の大衆メディアとして、やり玉に挙げられるだろう──ちょうど、第二次世界大戦の成立過程にラジオや映画といった当時の大衆メディアが大きな影響を与えたと紹介されるように。

 

SNSが社会に与える影響は大きいはずだ。それが、「推し活」のようなエンタメと経済の領域に留まるなら、まだしも話は穏便だったが、もちろんそうはならず、影響力や政治力が集積するメディアとしてすっかりあてにされるようになった。そこは旧来のマスメディアに不信感を持った人々が集まっている場でもあり、きわどい表現や違法な活動やフェイクニュースをとおしても政治力や影響力が集められてしまうメディアでもある。ユーザーの傾向が収集され、分析され、利用されるよう運命づけられたメディアでもある。

 

そのようなメディアが、第四の権力ならぬ第五の権力として立ち上がってきていることを、多くの人が歓迎し、利用している。それはいい。だが、このメディアが持つ力を無邪気に利用し、開放し、その波の大きさ、政治力や影響力の大きさに惚れ惚れしているだけでは、だめだろう。「推し活」と同じく、ビッグウェーブに乗っている最中は心地良さが伴う。しかし、その波がいつしか巨大化し過ぎた時、いったい誰がどうやってそれを止め得るだろうか? このクエスチョンの答えが、私にはまだわからない。

 

「推し活」と比べて、狭義の政治は人の生死や食い扶持によりダイレクトに繋がる。もし、その政治が「推し活」と同根の仕組みで再現なく盛り上がり、なおかつ、鎮静化するすべも不明なまま盛り上がり続け、まだエスカレートし続ける過程にあるとしたら。

もしそうだとしたら、エモーションの発露やぶつかりあいがそのまま政治に反映される社会、ひいては世界がどういうものなのかを、これから私たちは目撃することになるだろう。

 

 

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【プロフィール】

著者:熊代亨

精神科専門医。「診察室の内側の風景」とインターネットやオフ会で出会う「診察室の外側の風景」の整合性にこだわりながら、現代人の社会適応やサブカルチャーについて発信中。

通称“シロクマ先生”。近著は『融解するオタク・サブカル・ヤンキー』(花伝社)『「若作りうつ」社会』(講談社)『認められたい』(ヴィレッジブックス)『「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?』『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』(イースト・プレス)など。

人間はどこまで家畜か 現代人の精神構造 (ハヤカワ新書) 人間はどこまで家畜か 現代人の精神構造 (ハヤカワ新書)

twitter:@twit_shirokuma

ブログ:『シロクマの屑籠』

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Photo:Markus Spiske

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花粉症を認めない

タクヤ:「おはようございます!『モーニングラッシュ!』今日も元気にスタートです!パーソナリティのタクヤです!」

アヤカ:「アヤカです……(ズズッ)」

タクヤ:「……って、ちょっと待って。今の鼻すすり、完全に花粉症じゃない?」

アヤカ:「ち、違うし!ちょっと鼻がムズムズするだけで、風邪とか、ほら、寝起きの乾燥とか!」

タクヤ:「いやいや、毎年この時期になるとそう言ってない?」

アヤカ:「そんなことないって!去年はたまたま寒暖差でくしゃみ出ただけで……」

タクヤ:「去年も『たまたま』って言ってたよね? ていうか、その目、ちょっと赤くない?」

アヤカ:「メイクのせい!アイシャドウがちょっとね!」

タクヤ:「いやいや、それ、完全に花粉症の言い訳あるある!」

アヤカ:「だって、認めたら負けじゃん……!」

タクヤ:「出た、『認めたら負け理論』!」

アヤカ:「だって、花粉症って言っちゃうと『アヤカ=花粉症の人』ってレッテル貼られるじゃん?」

タクヤ:「いや、別にレッテルじゃないから!むしろ認めたら楽になるよ? ほら、マスクも薬もあるし、空気清浄機もあるし!」

アヤカ:「でも!私、今まで花粉症じゃなくても生きてこれたし!」

タクヤ:「だから、それ毎年言ってるってば(笑)」

アヤカ:「くっ……でも、まだ私は戦える……!」

タクヤ:「いや、戦わなくていいから(笑) こっち側に来た方が絶対楽だよ?」

アヤカ:「ぐぬぬ……!」(ズビッと鼻をすすりながら)

タクヤ:「はい、今ので完全に確定(笑)」

アヤカ:「ちょっと待って!まだ違う可能性も……」

タクヤ:「じゃあ認めるのはCMの後にする?」

アヤカ:「ぐっ……と、とりあえずリスナーの皆さんのメッセージを紹介しましょう!」

 

……というようなやり取りを、ラジオで聴いたことはないだろうか? おれはある。今年もある。あまりにもありきたりなので、AIに書かせた。まさにこんな感じだ。

このようなやり取りは、べつにラジオに限らない。全国津々浦々、職場や学校、いろいろな場で行われているだろうと思う。

おれがそうだから、そう思う。いや、正確にはそうだったから、そう思う、だ。

過去形に、なった。

 

花粉症のコスプレ

というわけで、おれは今年、この年、2025年になって、初めて自分が花粉症であることを認めた。46歳になって、初めて花粉症であることを認めた。認めざるをえなかった。

これより前に、その兆候がなかったわけではない。春になると、ほんのちょっぴり鼻がぐずぐずする。そういうところがなかったわけでもないような気がした。気がしただけだ。

気がしたおれはなにをしたか。マスクをした。コロナ禍より前のことだ。おれは春になると「花粉症患者のコスプレ」という名分で、マスクをして通勤していた。あくまでコスプレである。コスプレをしてなにが悪いのか。だいたい、あの、コップから溢れ出る理論が正しいとすれば、コップに水を貯めないために、「予防」のためにマスクするのは合理的だろう。だからおれは「花粉症のコスプレ」をしていたのだ。コスプレだ。

 

コスプレに効果があったかどうかはわからない。なにせおれは花粉症ではなかったのだから。それでおれは、コロナ禍になってマスクが義務のようになっても、べつになんとも思わなかった。マスクして顔を隠していたほうが楽なくらいだ。コスプレのおかげだ。

春先にコスプレをしていると、ほかにもマスク姿の人がいて、「ああ、あなたも大変なのですね、わたしもなんですよ」というような心持ちでいられた。むろん、うその心持ちである。おれは花粉症を演じているだけ、コスプレをしているだけなのだから。

それでおれは、何年も過ごしてきた。花粉症のコスプレをしているだけだから。マスクをしているだけだから。

 

目がつらくなったのです

それがどうした心の変化があったのか。いや、心の変化ではない、身体の変化だ。今年になって、朝起きると、目がひどく痒くなるようになった。目が覚める、というのは、アラームで目が覚めたときのことではない。抑うつ状態などを乗り越えて、「さて、起き上がるか」となったときのことだ。そこで、目がとても痒い。ゴシゴシこする。目からは涙がでて、目の周りは赤くなって、白目の部分も赤くなって、ろくな状態じゃない。

これは、目に良くないような気がした。良くないだろう。というか、もはや目に良くないことが起こっているのだ。その結果が、ゴシゴシであって、目が、目の周りがひどくなる。

鼻はというと、少しぐずぐずしているだけで、そこまでではない。これは本当だ。とはいえ、目が圧倒的によくない。おれはもう、これはあれだと思った。これがあれである以上は、あれがこれであることを認めなくてはいけない。「くっ……」という感じだ。「殺せ」とはいわないが、いやしかし、もう「花粉症のコスプレ」などといって、世の花粉症の人の怒りを買う段階ではなくなっていた。

助けてくれ!

 

薬を処方される

話は少しそれる。おれは毎月一回、メンタルヘルスのクリニックに通っている。メンタルヘルスのクリニック……、一人の医師が回している、心療内科、精神科、内科のクリニックだ。医師はそれぞれの専門医の資格を持っている医学博士だ。切羽詰まってそこを訪ねたときのことは書いた

 

おれのかかりつけ医、ということになるのだろうか。とにかく薬をもらうために、月に一度訪れる。おれは今年の2月くらいから重めの抑うつに襲われた。ちょっと重くて、長いうつだ。おれは双極性障害、またの名を双極症、わかりやすくいえば躁うつ病だ。

まあそれで、眠りに問題が起きた。超短期型の睡眠薬を処方されていたが、早朝に覚醒してしまい、抑うつに加えて睡眠不足がのしかかってきたのだ。

 

そこで、おれは睡眠薬の切り替えを提案した。提案を受けて、医師は「デエビゴはどうだろうか?」と言ってきた。なんでも、なにか、今まで飲んでいたやつとは、機序が違うものらしい。ただし、副作用は「悪夢」という。現代の薬物療法で副作用が「悪夢」? とはいえ、睡眠が改善されるならばと、デエビゴにしてもらった。

その結果は最悪だった。副作用の「悪夢」というのは、正確には「夢見」というか、「夢を覚えている」ということになるのだろうか。とにかく夢を見る。夢を見る眠りは浅い。浅い眠りがずっと続いて、朝になっても眠さが持ち越され、起きられるものじゃない。この夢の体験についてはあらためて書きたい。

 

というわけで、ピルカッターで半分にして、それでもだめで、半分の半分にしたら、それでもなにか調子が悪く……、最終的には「何も飲まなくても眠れるんじゃないのか」と思って、睡眠薬を外してみたら、これが眠れない。おれは眠りに問題があるから睡眠薬を処方されていたのだ。当たり前の話だ。まったく。

で、予定より早く、ずっと早く通院することにした。デエビゴが合わなかったので、一刻も早く超短期型の睡眠薬に戻す必要があったからだ。具体的にはゾピクロン(先発商品名アモバン)に戻す。でもあれだな、ちょっと目先を変えてエスゾピクロン(先発商品名ルネスタ)にしてもらおうかな、という具合だ。ゾピクロンとエスゾピクロンの相違については、調べてみてください。ほとんど同じみたいなものです。

 

それと同時に……、同時に、花粉症の薬を処方してもらうことはできないだろうか。心療内科、精神科、そして内科を標榜している。本来なら耳鼻咽喉科あたりがストライクなのだろうが、内科でもおかしくないのではないか。ちょっと調べてそう思った。

そう思ったが、前に、ひどい寝違いをして首と頭が痛くなったときに、鎮痛剤の処方をお願いしたら、かなり嫌な顔をされたのを思い出す。ほかの医者から処方されたものでも、自分が出すのは嫌なものなのだろう。それでも出してくれたが、悪いお願いをしたなと思った。

 

そういうことがあるので、精神疾患領域以外の薬の処方をお願いするのは、ちょっと抵抗があった。しかしまあ、聞いてみて「市販薬を買ったらどうか」とか言われたなら、そのときはなにか考えよう。なんか、頭痛薬か胃薬で同じ様なやりとりをしたこともあったし。

それでおれは、医者に行って、診察室でこう切り出した。「二つお願いがあるのですが」と。一つ目は睡眠薬だ。これについては「デエビゴが効くタイプの不眠ではなかったみたいですね」ということで、エスゾピクロンの処方が決まった。ゾピクロンとエスゾピクロンの構造の違いについて説明されたが、処方薬局でも薬剤師さんが同じ話をしはじめたので、なにか説明したくなるものなのだろうか、鏡像異性体。

 

で、本題の二つ目だ。「二つ目なんですが、このごろ起きると目が異常に痒くなって、鼻水も少しあるんですが、ちょっと生活に支障が出てきて……。花粉症のお薬とか出してもらえますかね?」と切り出した。

それに対する、医師のリアクションは、ちょっと想像外だった。おれの記憶、捏造されたかもしれない記憶からすると、両手を少し広げて、「それなら、なんでも出しますよ」と言ったのだ。まるで、花粉症にウェルカム、ウェルカムと言っているような印象さえ受けた。「あれ、今まで処方したことなかったですかね」とパソコンで調べだした。

 

そして、「今まで出したことはなかったですね。なにがいいですか?」とか聞いてきた。おれは少しだけ調べていたので、「アレグラとか、アレジオンですか……?」と言った。「アレグラなら一日二錠ですね」と医師。「なんかステロイドが入ったやつもあるらしいですが」とおれ。「ステロイド入りが希望なの?」と医師。「いや、そういう情報を見たというだけで」とおれ。「ステロイド入りはおすすめしないなー」と医師。

ステロイド入りの花粉症薬。これは花粉症の先達である女の人に聞いたこともあるが、症状はすごく止まるが、同時に副作用もきついからすぐにやめたという話であった。

いや、なによりおれは花粉症の入門者だ。「アレグラでお願いします」。すんなりと処方が決まった。おれは医師も花粉症当事者で、ウェルカム、ウェルカムしていたのではないかと疑っている。

 

薬効があるからおれは病気だ

そして、おれはアレグラを飲み始めた。飲み始めるとすぐに効果があらわれた。朝、目が痒くない。本当に、本当の話だ。本当におれが花粉症なのかどうかは、実のところわかっていない。アレルギーのテストなどをしていないからだ。症状から推定されただけだ。でも、本当に効いてしまった。あの目の痒みが、治まった。

薬が効いたから、自分はその病気だ、という認識はありうると思う。おれは抗不安薬が効いたから不安症だった。抗精神病薬が効いたから、精神病だった。睡眠薬が効いたから、睡眠に問題があった。そのような逆算。そのような逆算からいくと、おれは花粉症だった、ということになる。

 

こうなると、もう認めないわけにはいかない。花粉症の薬が効いたおれは花粉症だ。花粉症デビューだ。なにかこう、花粉症の人たちが「おめでとう」と言いながら拍手しているようなイメージが思い浮かぶ。テレビ版の『エヴァ』のラストシーンのように。

そうだ、おれが「花粉症ではないけれど、なんか鼻がむずむずするっすよね」とかいうたびに、職場の花粉症の人たちは「ウェルカム、ウェルカム」言っていたように思う。あれは、なんなのか?

 

しかし、頑なに花粉症であることを否定しようとしていたおれもなんなのか。アルコール依存症やギャンブル依存症は否認の病と言われる。おれも両方ともひっかかっている人間なのでよくわかる。でも、花粉症はなぜ? 花粉に対処しなくてはいけないのが面倒だから? 花粉症の人間は弱みを見せているようだから? そこはよくわからない。だが、おれにとってはなにか否定したくなるものであった。「なぜ人は自らの花粉症を否認しようとするのか?」。研究の価値はなさそうだが。

 

しかしなんだ、新たなる花粉症の人にウェルカム、ウェルカム言うような気持ちにもならない。今後、花粉症の道を歩んでいったら、そういう心境になるのだろうか。いずれにせよおれはオールド・ルーキーだ。アレグラでどうにかなってはしゃいでいるだけだ。この先になにがあるのか、おれには今のところわからない。

 

 

 

 

【著者プロフィール】

黄金頭

横浜市中区在住、そして勤務の低賃金DTP労働者。『関内関外日記』というブログをいくらか長く書いている。

趣味は競馬、好きな球団はカープ。名前の由来はすばらしいサラブレッドから。

双極性障害II型。

ブログ:関内関外日記

Twitter:黄金頭

Photo by :david lindahl

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上司を甘やかしてはならない。 https://blog.tinect.jp/?p=89231 https://blog.tinect.jp/?p=89231#respond Mon, 17 Mar 2025 23:12:06 +0000 https://blog.tinect.jp/?p=89231

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もう30年以上も前の平成初期、大学生の頃の話だ。

 

DPE(写真の現像とプリント)のお店でアルバイトをしていた時、店頭からものすごい怒声が聞こえてきたことがある。

私の担当はフィルムの現像と写真の焼付けのため、少し奥まったところで仕事をしていたのだが、明らかに空気感がヤバい。ただならぬ雰囲気に作業手袋を外し、あわてて店頭に出る。

 

「てめえふざけんなや!俺がこの年賀状を受け取ったみんなから、なんて言われたと思ってるねん!!」

「本当に申し訳ございません!」

「謝って済むか!今すぐ全額返金せぇクソ女!!」

「そう仰られても、お客様がどなたで、いくらお返しすれば良いのかわからないんです…」

「はぁ?そんなもん顧客名簿でもなんでも調べろや!」

「はい!すぐに調べます!!」

 

目の前で繰り広げられていたのは、そんなやりとりだった。しかし来客担当の彼女が手にとって一生懸命めくっているのは、レジの操作マニュアルである。怒鳴られパニックになっているのだろう。

 

「お客様、恐れ入ります。大きな声はお控え下さい」

「ああん?お前誰やねん!」

「この時間帯の、店の責任者です」

「そうか、ほなこれ見ろや!お前、これ見てどう思うねん!!」

 

差し出された年賀状には大きく、こう印刷されていた。

“あけしておめでとうございます”

 

少し補足すると、平成のはじめ頃は写真付き年賀状を出したい時、街の写真屋さんに発注するのが一般的であった。それを専門の印刷店に取次ぎ、指定の文言とともにプリントしてもらい、年賀状を完成させお客さんに引き渡す。

この際、元々指定の文章がおかしかったのか、それとも印刷会社の方で脱字があったのかはわからないが、なんせ「ま」の字が抜けていたということである。

「俺はなあ!この年賀状を受け取った皆から『ま抜けの年賀状』っておちょくられたんやぞ!どうしてくれるねん!」

(誰がうまいことを言えと…)

 

思わず笑ってしまいそうになるが、しかしここで下手に笑ったら事態が悪化してしまう。

 

「お話は理解しました。状況を調べますので、お客様のお名前と電話番号をお聞かせ頂けないでしょうか」

「あああ?黙れクソガキ!俺は今すぐ金返せって言ってるねん!」

「落ち着いて下さい。もしお客様が逆の立場なら、事実関係もどなたかもわからない状況で、言われるままにお金を渡せるでしょうか」

「だから調べろってさっきから言ってるんやろ!」

「はい、お調べして弊店側に落ち度があれば、必ず返金します。ですのでお名前と電話番号を教えてほしいのです」

 

興奮していたオッサンはやっと落ち着きを取り戻し始め、差し出した紙にそれらを書きなぐる。

そして最後に、こんな捨て台詞を残して店を出ていく。

「おい、必ず社長から電話させろよ。今日中に電話がなかったら、お前を◯しにくるからな。それから最低でも、お前はクビに追い込んだる」

 

そういうと荒々しくドアを蹴り出ていったが、足元では女性のアルバイトさんがしゃがみ込んで泣いてしまっている。そのためバックヤードに入るよう促し、社長に電話すると事後処理を始めた。

この話は、私が学生時代に経験したアルバイトの中でも、特に印象深い出来事の一つだ。そして長年、自分の対応に落ち度はないし、アルバイトといえどもこのように対応するのが常識だとずっと思っていた。

 

しかしそれからだいぶ時間が経った今は、こう考えている。

「自分の対応は、間違っていた」

「あんな対応をしてしまったからこそ、事態を悪化させたのではないか」

 

「なんで成果がでーへんねん!」

話しは変わるが、地方の中堅メーカーで縁あってCFO(最高財務責任者)に就き、経営の立て直しに取り組んでいた時のことだ。

ある日のこと、製造部門の担当役員が経営会議で、工場長にこんな詰問をすることがあった。

 

「接続部分の消耗品の製造原価、少なくとも単価で20円は下げろと言った件、どうなってる?」

「常務、その件は金型の初期投資を負担すれば、引き受けてくれる町工場があると説明したはずです」

「300万円も出せるわけ無いやろ!別の方法を考えろ!

「今の発注先にそれだけの単価の引き下げを求めても、応じるわけがありません。現実的な指示をして下さい!」

 

今の時代で言えばパワハラでしかない上司の指示に、キッチリと論理的に反論する工場長という構図だ。こんなやり取りは見飽きていたが、やむを得ず割って入る。

 

「常務、なぜ300万円を出せないのですか?」

「経費削減のためや!その大元はあんたやろ」

「私はそんな事言いません。投資に見合う回収ができるなら、むしろ良い提案です。どれくらいの期間で回収できる計算なのですか?」

「…工場長、どれくらいやねん」

(根拠なく否定してるのかよ…)

結局この工場長の提案は、1年半ほどでペイする計算が立ったので採用することにし、製造原価の削減に大いに貢献してくれた。

 

また別の日のこと。

営業部長が部下に対し、成果が出ないことを叱責している場面を見かけることがあった。

 

「なんで成果がでーへんねん!」

「本当に申し訳ございません…」

「言われた通り、毎日5か所訪問してるんやろうな?帰ってきたら、見込みCランク以上には全部電話してるんやな?」

「はい、しております」

「じゃあやり方が悪いんちゃうんか!もっと工夫せえよ!」

 

どこの会社でも、営業部では朝から晩まで、飽きるほどに繰り返されているような光景だ。

しかしどう考えてもこのやりとり、上司が悪いに決まっているだろう。部下に具体的な仕事の指示をして、その通りにやったのに成果が出ないなら、上司のせいに決まっている。

 

「自分の指示は正しい、やり方が悪い」と分析して、何一つ状況を把握・改善していない。

こういうリーダーが、組織も部下もぶち壊すという、典型的な存在だ。部長は結局、いつまで経っても成果を上げることができず、大株主からの圧力で更迭され退職していった。

 

「権限を与えないのに、失敗の責任を押し付ける」

こういったメチャメチャなリーダーは、決して珍しくない。

 

投資の権限を与えないのに部材の単価を下げるなど、品質を落とすか下請けを泣かすかの2択である。しかも工場長には、そのどちらかを選択する権限すらも与えられていない。

同様に、営業のやり方や行動までマイクロマネジメントしているなら、部下に権限が与えられていないのと同義だ。

「なんで成果が出ないんだ!」は、鏡に向かって自問すべき言葉だろう。

 

「成果を出す方法は示しただろ、責任と権限を渡せよ!」

幸い、工場長は芯の強い人だったのでそうやり返すことができた。しかし営業部長の下にいたメンバーたちは皆、この理不尽なパワハラにひたすら耐えやり過ごしていた。

権限と責任は当然、表裏一体でなければならない。

「権限を与えないのに、失敗の責任を押し付ける」

こういったリーダーの存在を認めると、会社も個人も簡単に壊れてしまうという想い出だ。

 

人は簡単に壊れる

話は冒頭の、DPE店での私の対応についてだ。

一見うまくやったように思えるクレーマー対応だが、今は何を間違っていたと思うのか。

 

あのクレーマーに対し、私は自分を、その時間帯の責任者であると名乗った。

そのためきっと相手は、私に多くの責任と権限があると思ったのだろう。だからこそ多くを要求し、何一つ受け入れられないと興奮し激昂した。

 

しかし私など、ただの学生アルバイトである。俗に言う“バイトリーダー”的な立ち位置だったが、ただそれだけだ。

であれば私は素直に、こういうべきではなかったのか。

「ただのアルバイトなので、何もわかりません。社長に言って下さい」

 

確かに給料をもらっている以上、店を守ろうという使命感は持ち合わせて当然である。

しかし責任も権限も与えられていないことについて、そのリスクを積極的に引き受けることは正しいと言えない。

クレーマー対応について、何一つ方針を示していなかった経営者の落ち度がある以上、それをアルバイトが身の危険を顧みず引き受けることなど、あってはならないということだ。

 

少なくとも自分が経営者なら、アルバイトにそんなことは絶対に求めない。数千円程度さっさと渡せ、不正があれば警察に突き出すから何よりも自分を守れと指示していただろう。

責任を取り切れないことを押し付けたら、人の心は簡単に壊れる。

だからこそ、権限を与えられていないことについて、その責任を求めるような上司を許してはならないし、部下の方も、それを積極的に引き受けるようなことはやるべきではないという話である。

 

もちろん、自分の職責を超えて積極的に責任を取りに行き、「出世を重ねる仕事ができる人」を社会が必要としていることに、疑いの余地はない。

大事なことは、「自分はこのやり方でやってきたんだから、皆もそうしろ」と、そのやり方を周囲に強制してはならないということだ。そこを勘違いするとやがて、製造担当常務や営業部長のようなマネジメントをするようになり、部下と組織が壊れてしまう。

 

余談だが、冒頭のクレーマーは調査の結果、オッサンが書いた発注書の脱字が原因と判明し、返金は一切しなかった。

「そんなの、常識的に修正するべきだろ!」

と最後まで怒っていたが、無茶を言うな。発注書の文章を勝手に書き換えるようなリスクを、なんでお前のために店や印刷会社が背負わなアカンねん。アホか。

 

 

【お知らせ】
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【登壇者】
梅田悟司
コピーライター / ワークワンダース株式会社 取締役CPO(Chief Prompt Officer)
武蔵野大学アントレプレナーシップ学部 教授
代表作:ジョージア「世界は誰かの仕事でできている。」、タウンワーク「バイトするなら、タウンワーク。」ほか
著書『「言葉にできる」は武器になる。』(シリーズ累計35万部)


日時:
2025/4/4(金) 14:00-15:00

参加費:無料  
Zoomビデオ会議(ログイン不要)を介してストリーミング配信となります。


お申込み・詳細 こちらウェビナーお申込みページをご覧ください

(2025/3/18更新)

 

 

 

【プロフィール】

桃野泰徳

大学卒業後、大和證券に勤務。
中堅メーカーなどでCFOを歴任し独立。

主な著書
『なぜこんな人が上司なのか』(新潮新書)
『自衛隊の最高幹部はどのように選ばれるのか』(週刊東洋経済)
など

写真屋さんでのバイトでは、最高月収15万円くらい稼ぎました。
しかしその15万円を、店の前にあるパチンコ屋さんで給料日当日に溶かしました。

X(旧Twitter) :@ momod1997

facebook :桃野泰徳

Photo:Mak

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みんなで「エッセンシャルワーカー」になろうぜ! https://blog.tinect.jp/?p=89188 https://blog.tinect.jp/?p=89188#respond Sun, 16 Mar 2025 23:10:07 +0000 https://blog.tinect.jp/?p=89188

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冨山 和彦氏の、「ホワイトカラー消滅」という本を読んだ。

ホワイトカラー消滅 私たちは働き方をどう変えるべきか (NHK出版新書) ホワイトカラー消滅 私たちは働き方をどう変えるべきか (NHK出版新書)

結論としては、良い本だった。

 

端的に言うと、この本は次の3点のことを主張している。

1.事務屋はAIの出現で(ほぼ)消滅する。

2.農業・医療・土木・小売・サービス・介護などを担う、現場の技能職(エッセンシャルワーカー)が雇用の受け皿となる。

3.エッセンシャルワーカーが活躍できる「ローカル産業」の、経営者の交代と高価格化をすすめなければならない。

 

要は、事務職が要らなくなるので、「現場」の生産性を高めて、デジタルで代替しにくい人材を増やせ。

そういう話だ。

 

これは、現在の「ホワイトカラー=大企業に数多くいる事務屋たち」にとって、極めて厳しい未来を予見している。

実際、冨山氏の主張は、ホワイトカラーにとって最終通告とも取れる。

ホワイトカラーの多くは、自分の食い扶持を自分の才覚や能力で稼がなければならないという感覚を喪失している。その代わり、努力賞で評価されようとする。毎日休みなく通っているから、これだけ苦労しているから、これだけもらうのは当然ですと主張する。しかしそれは、世界基準で考えると異常な感覚と言わざるを得ない。(中略)

 

彼の見立てによれば、生き残れるのは、ビジネスを生み出す「経営者」と、手と体を動かす「現場」のみ。

中間搾取しているホワイトカラーは必要なくなるという。

 

リアルに「事務仕事」は全滅する

どう思うだろうか?

「そんなオーバーな」

「人間の仕事は簡単にAIに代替できない」

「ホワイトカラーの仕事を舐めすぎ」

そういう方もいるだろう。

 

しかし、生成AIの導入の現場にいれば、誰でも冨山氏の主張は決してオーバーではないと感じるだろう。

 

2022年11月にChatGPTが出現してからわずか2年で、生成AIの能力は、すでに実務でかなり使えるレベルに到達している。

特に、ソフトウェア開発、営業、マーケティング、調査、コンサルティングなど、事務職においては、多くの領域で、生成AIの能力が、彼らの仕事を代替しつつある。

 

そして、この変化が雇用に影響を与えるのも、時間の問題だろう。

おそらく、5年から10年で、「デスクワーカー」は大きく減る。

そもそも、ホワイトカラーの仕事そのものが無くなるので、今後「新しく雇用する必要すらない」。

 

冨山氏は、次のように述べている。

ホワイトカラーに残る仕事は、本当の意味でのマネジメントである。現状、いわゆる中間管理職が担っている管理業務ではなく、経営の仕事だ。

これまでは数多くあったホワイトカラーの「部下仕事」は、生成 A Iに急速に置き換わる。 問いのある仕事、正解がある仕事において、圧倒的な知識量、論理力、スピード、昼夜働く力に人間は勝てない。

残るのは自ら経営上の問いを立て、生成 A Iなども使って答えの選択肢を創造し決断する仕事、すなわち「ボス仕事」だけである。言わば中間経営職ということになるが、そこで必要になる人員数は現状の中間管理職よりも一桁少なくなるはずだ。(中略)

 

きわめて高度にクリエイティブなデスクワークも残るだろう。クリエイティブなデスクワークとは、例えばデザイナーであればチーフデザイナーの仕事である。

プログラマーであれば、プログラムを書く人ではなく、ソフトウェアの基本アーキテクチャを構築できる人である。文章を書くにしても、生成 A Iで事足りるウェブライターなどの仕事は代替され、記事としてのテーマを企画し、編集する人が担当する。

アカデミー賞を取るような脚本を書く人もそうだ。誰もができる仕事ではなく、世界で戦える仕事に純化されていく。言わば「プロ」の世界のボスたちだ。

 

これらの仕事で食べていける人は、これまたかなり限られた人だけである。そうなると、社会全体として、ボス仕事を担うアッパーホワイトカラーだけがグローバル産業で生き残ることになり、ロウワーホワイトカラーは消滅していく、あるいは賃金水準は下がっていく。

その人たちは、ノンデスクワーカーの世界に移動せざるを得なくなる。

 

実際、以下のような仕事はすでに「AI化」が始まっており、人間がすぐに凌駕されてしまう領域であることが確定している

 

資料作り

社内の会議調整

審査のための資料チェック

営業事務の多く

議事録作成

翻訳

コーディング

表計算での作業

SEO記事作成

プレスリリース

広告コピー/クリエイティブ制作

デスクトップリサーチ

 

おそらく8割、9割の「デスクワーカー」はほんの僅かな「トッププロ」を残して、不要になってしまう。

残るのは「お金」を伴う意思決定のみ。だからホワイトカラーには、トッププロと経営管理者しか残らない。

 

では「ホワイトカラー」ではなくなった人々はどこに行くのか。

それが現場仕事、エッセンシャルワーカーだ。

 

少し前から、ホワイトカラーは人が過剰供給になってきており、エッセンシャルワーカーが、代替として雇用の受け皿となってきた事実がある。

例えば下は、介護職員数の推移だが、待遇があまり良くないにも関わらず、増加してきた。

 

 

人対人、物理的な物を扱う仕事。

具体的には、看護師、介護士、農家、運転手、土木作業員、フィールドセールス、ツアーガイド、ホテルマン……

このような仕事は需要があるし、書類仕事のデスクワークと比べて、すぐにはAIに代替できない仕事だ。

 

現在はまだ、給与が低い水準の会社が多い。

しかし、経営者が交代し、DXやAI化で、業界の生産性が向上すれば、「待遇の悪さ」も徐々に改善するだろう。

だから冨山氏は、「人手不足で潰れそうな会社を助けるな」と言っている。

 

事実、最近では生成AIの利活用について、地方の中堅企業からの問い合わせがとても増えた。

そして、問い合わせの理由を尋ねると、「人手不足」と回答する企業がとても多い。

 

東京の大手企業よりも、生成AIの活用に真剣に向き合わざるを得ない。

そういう状況が、ひしひしと伝わってくる。

これまでのどんなことよりも、社会の変化が間近で感じられる、そんな時代に我々は生きている。

 

 

 

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・生産性を爆上げするプロンプティングの技術
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【登壇者】
梅田悟司
コピーライター / ワークワンダース株式会社 取締役CPO(Chief Prompt Officer)
武蔵野大学アントレプレナーシップ学部 教授
代表作:ジョージア「世界は誰かの仕事でできている。」、タウンワーク「バイトするなら、タウンワーク。」ほか
著書『「言葉にできる」は武器になる。』(シリーズ累計35万部)


日時:
2025/4/4(金) 14:00-15:00

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【著者プロフィール】

安達裕哉

生成AI活用支援のワークワンダースCEO(https://workwonders.jp)|元Deloitteのコンサルタント|オウンドメディア支援のティネクト代表(http://tinect.jp)|著書「頭のいい人が話す前に考えていること」82万部(https://amzn.to/49Tivyi)|

◯Twitter:安達裕哉

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頭のいい人が話す前に考えていること 頭のいい人が話す前に考えていること

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Youtubeで、「昔のドキュメンタリー映画」を見るのが好きだ。

 

例えば、「こだま高速度試験」

国鉄が昭和34年に制作したドキュメンタリーだが、新幹線が開通していなかった時代に、東海道線の主力だった「こだま」が時速160kmにチャレンジするという動画で、当時の人々の仕事ぶりに圧倒される。

 

Youtubeのコメント欄にもあるが、終戦が昭和20年だから、それからまだ14年しかたっていない。

戦争が終わって10年ちょっとで、現代でも通用しそうな車両が走っていたのは凄いと思う

そんな時代に、アナログな計測機器を用いて、最高の鉄道を実現しようとした人々には尊敬の念しかない。

昔の映像作品といえど、シナリオもとても良くできている。

 

しかし、わたしが最も感銘を受けたのは、上のような「すごい話」ではなく、一人の女性の努力に焦点を当てたものだった。

タイトルは「窓ひらく — 一つの生活改善記録」。

端的に内容を言えば、夫が出稼ぎに出ているある地方の村で、子どもの面倒を見ながら一生懸命に生活水準の向上を図る母親の話、ということになる。

「地味そうで、何が面白いのかわからない」という人もいると思うが、まずは動画を見てほしい。

 

舞台は山梨県

男性たちは農閑期には出稼ぎに出てしまい、女性は家を守るということが語られる。

この貧しい村で取り組まれているのが「台所からの生活改善」だ。

 

といっても、大したことではなく、活動の中心は「台所に窓をつけて、明るくする」というだけのことだ。

いまでは台所が明るいのは当たり前だが、当時の炊事は暗い土間のかまどで行っていた。

主人公のタマヨさんは、台所を明るくすることを夢見て一生懸命貯金をし、

ついに台所のリフォームに成功する。「バンザイと叫びたいほど」だという。

わたしがこの動画を見てまず思ったのは、「わかりやすい生活水準の向上」が、これほどまでに働く意欲を高めること。

そして、そのために必要な、日々の努力「労働」「倹約」「貯金」が、村中で協力して行われていることだ。

 

ここで取り上げられている人々は、言ってしまえば、本当に「普通の人」である。

しかし、極めて強い意志をもった「生活レベルの向上」への取り組みは、現代で語られることの少なくなった話だ。

 

 

話は変わるが、「ワールドトリガー28巻」を読んで、わたしはちょっと驚いた。

登場人物の一人である、ヒュースが漫画ではなく自己啓発書のようなことを言っていていたからだ。

 

「刻むんだ。それが努力だ」

 

「他人は関係ない。」

 

「それが自信になる」

なぜ突然ワールドトリガーの話かといえば、これこそまさに昭和の「生活改善」につながる精神だったと思うからだ。

 

上のYoutube動画「「窓ひらく — 一つの生活改善記録」。では、「生活改善は、一足飛びにできない、一つ一つの積み上げである」ことが、何度も繰り返し語られる。

足踏みはあっても駆け足はできないのが貯金である

そのアドバイス通り、村の主婦たちは努力と倹約を積み上げ、自分の欲しいものを得る

 

こうした「成功体験」は、日本人の自信をどれほど高めたか。

想像に難くない。

 

他の人がやったように、自分もやっていく。

わたしは、「はたらく意欲」について、最近良く考える。

 

なぜ「山梨県の貧しい農村」の女性が、あれほどまでに働く意欲が高いのか

逆になぜ、遥かに高い生活レベルを有しているはずの、現代の我々が、働くことに対して悩むのか

 

「昔は給与がどんどん上がった」という人がいる。

そうかもしれない。

だが、上を見て分かる通り、この映画が制作された1958年当時、高度成長の入口の時代ではあるが、実は平均所得の伸びは、実は大したことがない。大きく所得が伸びたのは、65年以降だ。

実際、上の動画に出てくる貧しい農村のタマヨさんも、「日々生活が楽になっていく」と思ってはいなかっただろう。

むしろ「日々、大変厳しい」と思っていたはずだ。

 

では何が彼女を駆り立てたのだろうか。

おそらくそれは、「眼の前のことに集中できる環境があったこと」だったと私は思う。

 

タマヨさんの世界は、せいぜい小さな農村の中で完結し、目指すべきものも、すべて村の中にある。

そしてそれは、5年、10年と頑張ることを要求されるが、決して手の届かないところにあるわけではない。

「この手で、どうしても明るい台所を手に入れたい、そう考えると、自然と力が入ってくる。他の人がやったように、自分もやっていく。それより他にない

こういったナレーションが動画に入るが、これが本質を示している。

 

「生活レベル」と「労働意欲」はあまり関係ない。

実は、「生活の絶対的なレベル」と「生活の満足度」は、あまり関係がないことがわかっている。

実際、日本人の「生活そのもの」への満足度は、ここ70年くらい、6割前後でほとんど変化していない。

(厚生労働省 https://www.mhlw.go.jp/wp/hakusyo/roudou/08/dl/09.pdf)

 

では、何が意欲を削いでいるのだろうか。

実は、おそらくそれは「収入・所得への満足度」だ。

 

そしてもっと言えば「収入」に紐づく「社会的な地位」である。

不満の対象は、「下がる収入/所得が示す、自分の社会的な地位の低下なのだ。

「カリフォルニアでは1000万円でも低収入」といった言説が定期的にバズる理由は、米国人の生活レベルを羨んでいるわけではない。

日本の地位低下を嘆くものなのだ。

 

人は、多少の生活レベルの低下であれば、柔軟に対応できる。

「みんなで貧しく」は、普通の人には、問題ない。

 

ところが「自分自身の相対的な地位の低下」ということになると、恐ろしく敏感で硬直的だ。

 

例えば、昔の年功序列賃金の運用のコツとして、「同期でほぼ同じように賃金が上げていく」というのがあるが、実は全く同じではない。

同期の中でも、数百円、数千円という、生活レベルとは関係ない、わずかな差をつける。でも皆、その「数百円」に一喜一憂するのだ。

なぜならば、それは「地位」をしめすから。

 

それを使って若手のモチベーションをコントロールすることが、年功賃金の会社ではよく行われていた。

 

さらに、現代は地域コミュニティが衰退し、「自分と近い境遇の人」の姿が見えづらくなっている一方で、webやテレビなどのメディアに目を向ければ、話題になりやすい上位1%の人々の生活が紹介される。

「2億の豪邸」

「5000万円のクルマ」

「世帯年収2000万でタワマンを購入」

こうした経路で観察できる情報は「自分の社会的地位の低さ」を意識させられるものも多く、「多少積み上げたところで、貧富の差は埋まらない」というメッセージが発信されている。

 

言うなれば、諦めの境地。

これらすべてが「意欲を削ぐ」大きな原因となっている

 

 

多くの人は、生活レベルが低いことには耐えられるが、見下されることには耐えられない。

これが真理である。

 

だから、「社会的地位の低い仕事」は、生活ができるくらいの給与であっても人気がないし、給料が安くとも「なんかかっこいい仕事」は、「やりがいの搾取」の被害者を生み出す。

 

良くも悪くも、昭和は「隣人」しか見えなかった。生活レベルも同じ、住む世界も、家も、持っているものも同じ。

頑張れば、隣人の持っているものを、すべて手にできた。だから頑張れた。

 

しかし現代は異なる。

「コンサルティング会社では新卒の年収が600万円、投資銀行では新卒の年収が1000万」

という情報が、多くの人の意欲を削ぐ。

 

知ることは、必ずしも良いこととは限らない。視野が広いことは、良いこととは限らない。

「一歩一歩、がむしゃらにできる」のは、身の程を知らないからである。

 

 

 

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安達裕哉

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バック・トゥ・ザ・フューチャーは「今の子供が観てもおもしろい」んだね。すごいね。 https://blog.tinect.jp/?p=89160 https://blog.tinect.jp/?p=89160#respond Mon, 10 Mar 2025 23:07:38 +0000 https://blog.tinect.jp/?p=89160

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ちょっと前に金ローでやってたバック・トゥ・ザ・フューチャーシリーズを録画したまんまだったので妻と2017年生まれ小学1年生の息子との家族3人で観るなどしていた。1986年生まれの率直な感想を書く。寄稿で!?

 

いや、面白いね。俺は「今観てもおもしろい」んだけど「今の子供が観てもおもしろい」んだね。すごいね。

 

そもそも父親と母親の恋のキューピッドをやり遂げないと自分の存在がヤバい!という設定はむしろ小学校低学年くらいの方が気兼ねなく楽しめるのではないか。うちの夫婦は僕がわざわざ北海道から大阪の大学に進学して妻の方も一度進学を諦めて社会人を経験してから大学に入り直して年齢は妻の方が上なのに僕の後輩として大学で出会ってそこから恋仲に落ちて今に至るという経緯なので、お互いの結構な決断と偶然がなければお父さんとお母さんは結婚してなかったしそうなるとお前は生まれてなかったんだぞという話を兼ねてから息子によくしていたので息子もバック・トゥ・ザ・フューチャーのストーリーの大筋を抵抗なく受け入れていた。なんで片方のじーじとばーばが北海道なんてクソ遠方にいるかなどの説明をするうえでの必然ではあったのだが図らずしもバック・トゥ・ザ・フューチャーを見るうえでの事前学習になっていた格好だ。

 

何より家族みんなで見れるタイミングとしては最適ではなかろうか。「赤ちゃんはどうやってできるの?」を限りなくふんわりしか知らないタイミングじゃないとあんまり親と観たい映画ではない。昔の若いお母さんが俺に恋愛的アプローチ積極的に仕掛けてきたりするし。俺じゃねえけど、思春期の中学生男子が観るとマーティ=俺になる。

 

でも今のキッズたちってそこらへんどんな感覚なんでしょうね。20世紀末の僕が中学生の時はクラスメイトに弟が近々生まれるってやつがいてそいつはまー「お前の親セックスしてるんだ」ていじられまくってましたけどそういうのってまだあるんでしょうか。インターネットでは中年夫婦のセックスやセックスレスの話題がたくさん見かけられる2025年、キッズにとってそこらへんどういう処理になってるのか中年のおじさんには知る由もありません。でもさや香の漫才で自分が生まれた時の親父がかなり高齢だったことを話す人にもう片方が「めっちゃエロいやん」と返してるのがウケてたので全くなくなってはないのでしょうか。ただ最近の若者がM-1を面白く見守ってるのかどうかもおじさんにはよくわかりません。

 

何にせよ「お父さんとお母さんが出会ってなかったらお前はこの世にいなかったんだよ」くらいのふわっとした認知の時にこの作品に触れられる小学1年生はかなりちょうどいいんじゃないかと思う。自分がそういう偶然の産物であるという前提を事前共有できてたところも含め。実際問題、マーティの「親の恋のキューピッド達成できなかったら自分即消滅ミッション」って心の準備できてなかったらかなり怖いよね。小学4年生の時に地獄の概念怖すぎて毎晩布団の中で震えて泣いてた俺には耐えられなかったと思う。

 

そしてやっぱシナリオがすごい。タイムリープとかタイムパラドックスの概念を教える教材として秀逸。日本においてここらへんの概念を前提としたコンテンツをみんな当たり前に受け入れて理解できる土壌を作ったのはバック・トゥ・ザ・フューチャーとドラえもんと言っても過言じゃないでしょう。そして過言だったらいつでもケツバットの罰を受ける準備が俺にはできている。え、今ってケツバット駄目なの!?

 

余談になるんですけどテレビなどのバラエティ番組では令和になった今でも罰ゲーム文化はまだ全然普通に残ってるんだけど、めっちゃ苦いお茶を飲ませたりとか電流を浴びせたりとか、ちょっとカネと準備の手間が大変なのでYouTuberは実現できるけど学校の教室ではサクッと実現できないくらいの罰ゲームがポピュラーになってきてる気がしている。子どもが安易に真似して事故が起きないことが重要であって、人が酷い目に遭ってるのを笑う文化を無くそうみたいな方向性には全然なってない気がする。あと、僕が学生だった20年前はマーティの真似してスケボーとか自転車で車に掴まるやつは存在しました。めっちゃ危ない。そういう意味では子どもが真似しにくい演出に寄ってるだけで世界は多少はマシになってるのかもしれない。

 

話をバック・トゥ・ザ・フューチャーに戻しますが、2017年生まれの小学1年生と一緒に観るとなるとPart2からがグッとややこしくなります。そもそも舞台が1985年始まりでそこから父親と母親が出会う1955年にタイムリープするPart1はなんとか説明できたとしても、息子からすると自分が生まれる2年前にあたる2015年が「未来」に設定されてるPart2はかなりややこしい。だって2025年現在、空飛ぶ車とかホバリングできるスケボーとかまだ無いし。大阪万博?知らねえよ!ジュラシックワールド観てても「これは本当にあった話?」と確認してくるような小学1年生に作品中の時系列と現実との関連を説明するのはかなり骨が折れるわけで、ドラえもんを俺から見ても100年後くらいの遠い未来から送り込んでくれた藤子・F・不二雄先生には説明の手間が省けて複雑さが簡略化されて感謝しかありません。

 

またPart2になるとタイムパラドックスに留まらず平行世界の概念が登場して、Part1ではあえて触れなかったところも含めて粋だなと感じる一方さらに難しくなっている。Part2まで見届けた時点で小学1年生の息子も必死に全体のストーリー構造を理解しようとして「ちょっと待ってドク何回死にかけてる?」とか一生懸命リビングに備え付けのでかいホワイトボードに時系列を書いて整理しようとしていました。そうなんですよね、ドクの一番かっこいいところって、自分は何回も死にかけるのに今の自分は大事にしつつ一番最初のデロリアンが走り出す前のマーティを元の1985年に戻すことを第一優先にずっと躍起じゃないですか。もともとはドクの発明から始まった話なので自分で蒔いた種じゃねえかトラブルメーカー的ポジションではあるはずなんですが、自分の引き起こしたトラブルを収束させようと責任感をもって真摯に向き合い年の離れた若い友人のあるべき未来をなにより最優先に慮りつつそれでも未知なる冒険への好奇心を抑えきれないしワクワクを隠しもしないドクというキャラクターは中年になってみるとまた違った感慨があって胸が熱くなります。もちろん、今回の金ローではかつてマーティを演じた山寺宏一がドクを演じるというのも、自分自身の年齢を重ねた作品の見方に重なってグッとくる。

 

Part3は、まぁなんか基本的に1985年に帰って来るために頑張るだけの話だしまぁいいか。いや、本当はPart3はドクが主役だよねみたいな話をめちゃめちゃしたいんだけど。それでもやっぱ触れなくちゃならないのは、1885年でのマーティの経験で2015年のマーティーの未来が変わって、そしてドクが「未来は君たちが決めるんだ」って言葉を残してどこかへ去っていくのはもちろん作品全体の総括として最高の流れで、三作品をかけて過去に行ったり未来に行ったりしっちゃかめっちゃかのタイムトラベルだったけど結局は17歳のマーティ少年の大冒険からマーティ少年は多くを学び大いに成長して少しだけ考え方を改めて結局これからもそういうふうにアドベンチャーと日常を繰り返しながら一本道に自分の未来を進んでいくんだな。それを教えてくれたきっかけがたまたまデロリアンだったからあっちに行ったりこっちに行ったりに見えるだけで、マーティみたいな若者の人生もドクみたいな中年の人生も誰の人生もそういうふうに真っ直ぐ真っ直ぐ進んでいくんだって思って、真っこと改めて素晴らしい映画でございました。宮野真守がドクの役をやる頃にまた観たい(みんな長生きしような)。

 

あと最後これ余談なんですけど、すでにPart3制作が決まってたのかすでに撮影中だったのかPart2のラストで「Back to the Future Part III coming summer 1990」って予告みたいなのが表示されて、1985年と1955年と1885年と2015年の物語を2025年に生きる立場から必死に時系列を整理してなんとかついてしていこうとしていた小学1年生の息子はどういうcomingなのかわからない1990年の追加によって頭パンクしていて面白かったです。

以上です。

 

 

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【著者プロフィール】

著者名:ズイショ

関西在住アラフォー妻子持ち男性、本職はデジタルマーケター。
それだけでは物足りないのでどうにか暇な時間を捻出してはインターネットに文章を書いて遊んだりしている。
そのため仕事やコミュニケーションの効率化の話をしてると思ったら時間の無駄としか思えない与太話をしてたりもするのでお前は一体なんなんだと怒られがち。けれど、一見相反する色んな思考や感情は案外両立するものだと考えている。

ブログ:←ズイショ→ https://zuisho.hatenadiary.jp/
X:https://x.com/zuiji_zuisho

photo by Roger Ce

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