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「自分の仕事が好き」。心からそう言い切れる人は、どれくらいいるのだろうか?
単に賃金を得るための手段ではなく、人生を賭するライフワークとして仕事に打ち込む。結果、一般的な幸せやレールから外れることになっても、おかまいなしに没頭し続ける。そんな、少しはみだした「クレイジーワーカー」の仕事、人生に迫る連載企画。今回お話を伺ったのは、関東を拠点に庭師として働く村雨辰剛(むらさめ・たつまさ)さんだ。
伝統的な日本文化に魅せられ、18歳で母国・スウェーデンから来日。一生の仕事に庭師を選び、26歳で帰化して「日本人」になった。厳しい職人の世界でもまれること7年。作業着姿もすっかり板についた村雨さんの、"クレイジーな生きざま"に迫る。
まずは、そのご尊顔をアップでご覧いただきたい。かっこいいのだ。おまけに筋肉もムキムキである。
映画スターのように端正な顔立ち、そして、アスリート顔負けの肉体美を持つ庭師。それだけでも衆目を集める存在だが、加えて「ルーツはスウェーデン」「和服や歌舞伎、落語など日本文化に傾倒」「帰化」、さらには「村雨辰剛」という名前。
情報が多過ぎて、逆にどんな人なのかよく分からない。一つ一つ、本人に伺ってみよう。
村雨さん(以下、敬称略)「子どもの頃から海外に興味があって、いずれは母国や西洋とは全く文化が異なる国で暮らしてみたいと思っていました。それで、インターネットでさまざまな国の歴史や文化を調べていくうち、私の中で特に引っかかったのが日本。それまでは、漫画やアニメの印象しかなかったのですが、日本の神道や仏教、また、歴史好きなので戦国時代だったり、古い建物、伝統文化にも惹かれました。スウェーデンにいると日本の情報はほとんど入ってこないので、東洋の秘境をのぞき見ているようなワクワク感もありましたね」
村雨「第一印象はとてもよかったですね。16歳の時に3カ月、神奈川のお宅にホームステイしたのですが、そこは昔ながらの日本家屋で、仏壇の前で毎朝お経を読んだりするようなご家族だったんです。古いものをしっかり大事にしていて、日本ってどこの家もこんな感じなのかなと思いました」
村雨「そうだと思います。それで、もっともっと深く知りたくなった。ホームステイが終わりスウェーデンに帰る頃には、もう自分の心は決まっていて『いつかは日本で暮らそう』と。高校卒業後、半年ほどアルバイトをしてお金を貯め、18歳で再来日しました」
村雨「それが、父も母も反対しなかったんです。そもそも子どもの頃から『海外で暮らす』と言い続けてきましたし、日本語を熱心に勉強している姿なんかも両親は見ていたので、むしろ応援してくれました。スウェーデンは自由主義ですし、両親も自由に生きてきたからか、子どもにも好きな道を歩ませようという思いが強かったのではないかと思います」
村雨「語学講師は『やりたい仕事』というよりは『自分の能力を生かせる仕事』だった。だから、そろそろ本当にやりたいこと、一生を賭けられる仕事に挑戦したいと思いました」
村雨「もともと、日本の伝統文化に関われるもの、さらには師弟関係や昔ながらの徒弟制度が残っているような仕事に憧れていましたから。23歳であればまだ若いから、今から修業しても間に合うのではないかと。たまたま求人雑誌で見つけた造園業の仕事を調べたら、『日本庭園を造る仕事』だということが分かって、ぜひやってみたいと思ったんです。すぐ面接に行き、採用していただきました」
村雨「いえ、そこはあくまでアルバイトとしての求人で弟子はとっていなかったので、その後、愛知県西尾市の『加藤造園』に入り、初めて親方に師事することができました。西尾市は古くからの植木山地ですし、庭師として本格的に歩み始めたのはそこからですね」
村雨「確かに厳しいです。仕事はきついし、給料も安い。若いといっても我慢の限界がある。『日本庭園の仕事を覚えたい』という気持ちがなければ、とても続かなかったでしょうね。でも、徒弟制度ならではの良さもあると思うんです」
村雨「やはり伝統的なものを学ぶには、理にかなった方法だと思うんです。庭師の基礎を身に着けようと思ったら、例えばガーデニングの専門学校に通う手段もあります。でも、期間が決まっている学校で、全てがきちんと伝承されるのか? 伝統文化の重みや深さまでしっかり学ぶことができるのか? 私は難しいと思います。世代ごとに受け継がれてきたものを後世に残すには、たっぷり時間をかけて熟さないと"ちゃんと"伝わらないのではないでしょうか」
村雨「先生と生徒の関係というのはどこか味気ないし、学校にいる間でしか学べない。師匠と弟子は生活をともにし、ずっと一緒にいるわけです。実際、親方には家族のような絆を感じています」
村雨「厳しかったです。頭ごなしに怒鳴る人ではありませんが、親方が大事にしている基本をおろそかにするとやはり叱られます。また、作業に気持ちがこもっていないとき、悩み事を抱えているときはすぐにバレますね。そういうのも、ずっと一緒にいるから分かるんだと思います」
村雨「意味はあると思います。なぜなら、これまでそのやり方を続けてきた先に、今の日本、今の文化がある。技術を残すため、基本を残すために必要な期間なんだと、実際に自分で何年かやってみれば実感できるんじゃないでしょうか。もちろん、『なぜそれをやるのか?』と自身に問うことは大事ですが、やらないまま外から無意味だと決めつけるのは違うんじゃないかと感じます」
村雨「はい。雑草を刈ったり、掃除をしたり、雑用ばかりです。でも、雑草をひたすら刈ることで忍耐力が養われる。それは、庭師の全ての仕事の基本なんです。下積み時代の単調作業は我慢強さが必要と思われがちですが、じつは最前線の作業、例えば『剪定』などの方がより高いレベルの忍耐力が必要になる。絶対に失敗できませんから、一つ一つの枝を辛抱強く観察して見極めなければならないわけです。きちんと下積みをして忍耐力を育てなければ、その境地に達することは難しいでしょう」
村雨「してくれませんね」
村雨「そうですね。だから弟子は親方のことをちゃんと見ていないといけない。親方がやっている仕事をしっかり見ていれば、分かると思うんです。自分の雑用と親方の仕事、どっちの方がしんどいのか? 親方の立場になって考えられるようになる。自分で気づくというのも、大事なことだと思います」
村雨「現場が毎日変わるので、毎日違う刺激を得られることですね。扱う植物も、その都度違いますし。庭師の仕事って、設計・施工・管理と幅広いので、飽きることはありません。また、私自身はやはり『和を感じられる環境』で仕事をするのが、何よりの喜びですね」
村雨「仕事自体でしんどいことは特にないのですが、日本庭園が減っているのはつらいですね。せっかく立派な日本庭園があるのに、『洋風のガーデンに変えたい。だから和の要素を削ってほしい』という依頼も増えました」
村雨「確かに庭は贅沢品ですし、絶対に必要なものではないかもしれません。でも、日本庭園は鑑賞用の庭としての"極み"なんじゃないかと思うんです。木だけでなく、石、水、コケ、全ての自然要素を使い尽くし、統一感を生む。素晴らしい芸術作品です。その価値について深く考えず、無駄なものと切り捨てるのはもったいない。合理性がないと決めつけるのではなく、まずは興味を持ち、知ろうとすること。そして、それを何とか自分の生活にあてはめてみようと試みることが大事なのではないでしょうか」
村雨「もちろん、すごく悩みました。でも、このまま日本に住み続けるなら日本人として生きていきたい、そうでないと納得できないと思ったんです。きちんと投票もして、自分が暮らす社会に影響を与えられる、一人前の人間になりたかった。でないと、胸を張って『日本にずっと住んでいきます』とは言えないんじゃないかと。そんなこだわりと責任感、そして何より最初に訪れた時からずっと変わらず日本が好きだから、帰化は自然な選択でした」
村雨「そうですね。親父には『ちゃんと考えているのか?』、さらには『もし戦争になったら、日本のために戦って死ねるのか? それくらいの覚悟はあるのか?』とまで言われました。それは想像しづらいことではありましたが、自分の覚悟、考えは両親に伝え、許してもらいました」
村雨「日本ほど特徴のある国って、そうはないと思うんです。それは島国で、孤立していた時代が長かったからこそ、古来の文化が数多く残っている。グローバリゼーションが進んで世界中が一つの国のようになっていく時代においては、より自らのアイデンティティを持つことが重要です。自分が何者かを知ることは、自信にもつながる」
村雨「特に戦後の日本人は、長くアイデンティティを引き抜かれたような状態でしたよね。こういう教育は駄目だ、思想は危険だ、と。確かに反省すべき点も多くあったかもしれませんが、大和魂や武士道など、いいものまで失われてしまった印象です。右だ、左だという極端なレッテル貼りをせず、道徳としての武士道みたいなものは純粋に残していくべきではないかと」
村雨「あ、いいですよ」
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村雨「まあ普通に、フリーウエートを使った筋トレですね。自宅で週5~6回程度。基本は筋トレだけですが、体脂肪を落としたい時は有酸素運動も」
村雨「2年前に出ました。ボディービルの分野の一つで、よりファッション要素が強いやつに」
村雨「大胸筋ですかね。でも、ベンチプレスはそんなに上がらない。僕は重さよりも回数を多くやるタイプなので。上げる時は早く、下げる時はゆっくり」
村雨「2~3年、サボらず徹底的にやれば誰でもこれくらいにはなれますよ。食事は基本的にたんぱく質と野菜多めで、炭水化物はその日の活動に必要な分だけ。白米は1食あたり茶碗半分~1杯分くらいですね。僕も元々はガリガリだったんです。筋肉に才能は関係ない。だから、諦めないでください」
村雨「自分の中のテーマとして『常に不慣れな状態でいたい』というものがあります。常に新しいものにチャレンジすることで、成長につながると思うので。たとえ庭に関係なくても、自分の器を広げたり、これまでにない視点を持つチャンスになれば面白いんじゃないかと。こんなふうにインタビューに応えるのも、私が日本について語ることで少しでも社会に影響が与えられたら面白いんじゃないかと思うからです。ただ、あくまで本職は庭師。それが自分の軸であることは、生涯変わりません」
村雨「まずはとにかく、庭師としてもっともっと成長したい。最近はやればやるほど、まだまだ足りない部分があると気付かされます。そして、自分の技術や、こういう機会を得ることで、日本庭園の良さを広く伝えていきたい。文化を伝承する、守る力になれたらと思っています」
取材・文:榎並紀行(やじろべえ) 編集:はてな編集部 撮影:小野奈那子 ロケ地協力:小石川大正住宅
取材協力:村雨辰剛
1988年7月25日、北欧スウェーデン生まれ。18歳で日本に移住、23歳で造園業に飛び込み、見習い庭師へ転身。26歳で日本国籍を取得、村雨辰剛に改名する。 日本語、スウェーデン語、英語の三カ国語を操るトライリンガル。趣味は肉体改造と盆栽
Twitter:@MurasameTatsu
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