「大阪延伸ルート」という難題を抱えていますが、この10年、新幹線は紛れもなく富山を変えました。
2015年3月14日、それは富山県にとってまさに「悲願」が叶った日でした。
この10年、北陸と東京をつなぐ新幹線は、多くの人を乗せ、交流を促進してきました。
新幹線は富山に何をもたらし、今後どう生かしていくべきか。14日は県都の玄関口、富山駅をめぐる10年と今後の行方です。
富山駅前の商業施設、「マルート」や「マリエとやま」などを運営する富山ターミナルビル社長の水田整さんです。
*富山ターミナルビル 水田整社長
「こんな駅になるとは10年前は想像もつかなかった。新幹線が通ることをきっかけにまちづくりが進んだ結果」
水田さんの目に映る富山駅、それは、単なる「駅」ではなく、新幹線と地域交通の結節点から賑わいが広がるまちづくりのプラットフォームです。
水田さんは、10年前、北陸新幹線開業を経た後も富山駅の周辺を含めた整備が現在進行形で、続いていることに着目しています。
*富山ターミナルビル 水田整社長
「(富山駅が未完の聖堂)サグラダ・ファミリア。要は完成しない」
新幹線開業から2年後の2017年、富山駅北の富岩運河環水公園のそばに近代アートで高い評価を得ていた県美術館が新築移転。観光コンテンツの開発も進められました。
東京と富山を最速2時間あまりで結ぶ新幹線の利用が日常化するなか…。
富山駅周辺で続く工事、その槌音が常に響いていました。
明治時代から続いた富山駅による街の南北分断。2020年、ついに解消されます。
駅の南側を走っていた路面電車と北側を走っていたLRTポートラムがつながりました。全国でも富山駅でしか見ることができない新幹線ホームの下を路面電車が通る光景。
鉄道ファンの間でも大きな話題となり、駅の構内を自由に行き来できる南北自由通路も賑わい創出につながりました。
「つながっていなかったのに、まさかきょう来たらここまでつながるとは思わなかった。駅の南北を突っ切る通路が非常に広く、普通、駅を利用する人たちの通路というイメージだが、ここはそうではなく、イベントをして賑わいを出す通路。通路というより広場。そこが大きな特徴。面白いことにぎやかなことをやっているのが見える。非常にいいつくり」
「それでは、マルート、ただいま開店します」
コロナ禍の真っ只中にあった2022年、水田さんの会社は、駅の目の前に、ホテルを併設した新たな商業施設をオープンさせました。
*来店した人
「駅から近いから電車とかでも来やすい。場所としては最高」
「どんどん発展していると思うのはうれしい」
そこには、単なる商業施設ではない、富山駅を起点に賑わいを創出する、まちづくりの視点がありました。
「中心市街地が常に新陳代謝することによってコンパクトシティとしてより成長していく。富山駅が山の一番てっぺんだと思っている。その裾野で中心市街地全体が発展する。てっぺんが頑張れば頑張るほど裾野が大きくなるので、我々も頑張る…」
富山駅前の商業地で県が継続して調べている地価の変動率は、人口減少などを背景に地価の下落が続く中でも富山駅前は北陸新幹線の開業前から10年以上にわたって、上昇し続けています。
*不動産鑑定士 竹田達矢さん
「長く(整備が)続けられてきたところ。どんどん環境が良くなっていく。商業施設が新しくできたり、新しいホテルの投資が出たり、蓄積していくかたちで、地価が上昇を続けている。いい面で(新幹線の効果が)出てきている」
新幹線開業から10年、富山駅の整備はまだ終わっていません。
「柵の向こうに市道が通る予定。市道が通る時に富山地方鉄道も東口をつくる。この(現在の)駅からも東口へ抜けられるようになる。人の流れが変わる」
「南北」の次は「東西」。
富山駅の東側で4年後の完成を目指して工事が進められている富山地方鉄道の高架化事業。
富山駅に新たな東口が誕生する計画です。
さらに、そのまた東には県サッカー協会が街中のサッカー専用スタジアム建設を目指しています。
「今は南北方向で発展している富山駅だが、我々も牛島パークで西側の賑わいを持たせたい。今度は東側。将来的にはスタジアム構想もある。東に向けても富山駅の賑わいがつながっていく。東側にいろんな投資がうまれるといい」
北陸新幹線開業から10年。
未だ完成しない「県都の顔」
今後、市全体に、そして県全体にどのような波及効果をもたらすのか。
富山駅の進化が続きます。