転出者が転入者を上回る『転出超過』。新潟県は、若い女性の東京圏への転出を少子化の遠因と捉え、対策を強化している。なぜ、若い女性は東京を目指すのか?就職を機に新潟から上京する女性と、子育てを機に東京から新潟へUターンした女性に話を聞いた。
若者の東京圏流出…新潟県の現状
総務省が発表した2024年の新潟県の転出超過数は5782人と、全国で9番目の多さだった。

内訳を見ると、進学や就職のタイミングのある世代の転出が83%で、その中でも女性の割合が多い。若い世代の女性の東京圏への流出は、人口減少の遠因と言われている。
地方の学生も目指しやすい“ハードル下がる”東京圏への就職
新潟大学・経済学部4年のSさんは、インフラ設備を扱う東京の大手メーカーに就職が決まり、3月中旬に上京を控えている。

新潟県長岡市出身で、もともとは新潟県職員を目指していたが、大学時代の出会いなどから、より広い視野で就職先を考えたいと思うようになったという。
「今の機会を逃したらもう東京に出ることはない。就職を機に、一度東京に出てチャレンジしてみたい」との思いを胸に、就職活動では東京に本社を構える一般企業15社の選考に臨んだ。
Sさんが東京を選択した理由には、自身が希望する“多くの人の生活に関わる仕事”であるという業種、給与や福利厚生に加え、就活中にも東京の企業を向きやすい環境があった。
東京の企業はインターンシップに積極的で開始時期も早く、就活の初期段階から働くイメージをつかめたこと。また、選考はリモートで進み、上京が必要だったのは最終面接のみだったこと。
かつての就活生が面接のたびに上京する必要があったことに比べると、東京圏で就職することへのハードルは格段に下がっている。
県が目指す“女性に選ばれる新潟” 求められるのは“切れ目のないキャリア”
東京に本社を置く企業に就職するSさんが就活中に最も重視したのは、キャリアの継続性だ。
「育休・産休が取れるのはもちろん、復帰した後のキャリアをどのように積んでいけるのか、お手本となる女性社員がいる企業はすごくいいなと思った」
結婚し、子どもを産み育てながらも、自身のキャリアを諦めたくないという女性の思い。
ここが満たされなければ“女性に選ばれる”ことは難しいと捉え、新潟県は2025年度予算に『女性が切れ目なく活躍できることを目指す事業』を盛り込んだ(放課後児童クラブ支援に2・5億円/女性にとって魅力ある新潟の実現に8368万円)。

新潟県の花角知事は予算案発表の場で、「若い世代の女性が出ていくことは少子化の加速にもなっている。女性に選ばれる、女性が活躍できる環境作りが重要」と強調した。
209万人の県人口が2100年には60万人に?共有されるべき危機感
新潟県の人口は2025年2月1日時点で209万人あまり。前年同月と比べると約2万7000人減少した。
花角知事は「人口を増やすのは簡単ではない。むしろ不可能。人口減少のスピードを遅くすることくらいしかできない」と現実を見据える。
新潟県は2025年度に、最上位の行政計画となる『総合計画』を更新。その最終案における『新潟県の人口ビジョン』の章では、2つの達成目標を掲げた。
■2050年に一人の女性が生涯に産む子供の数・合計特殊出生率…2.07
■2050年に転出超過…0

県の推計には、2100年の県内の人口が現在の3分の1以下の“60万人ほどになる”という衝撃的なデータもあるが、『総合計画』では2つの目標を達成することで「2100年ごろの人口は100万人程度で安定する」というビジョンを描いている。
花角知事は、目標の実現可能性は非常に難しいと前置きした上で「それでも、その姿を目指さなければならないという思いがある。少ない人口でも活力を維持した社会をつくらなければならない」と述べ、県民に危機感の共有を求めた。
東京への“憧れ”は上京の大きな理由
東京圏を目指す女性がいる一方で、子育てをきっかけに新潟へのUターンを決めた女性がいる。新潟市西区の木村愛子さんだ。

東京での14年間の会社員生活を経て2020年、ふるさと新潟でシステム開発会社『Pepo』を設立。代表である自身を含め、現在7人が働いている。
新潟市西蒲区の出身で、高校卒業後に千葉大学に進学した木村さん。
「高校生のころ、映画やお笑いなどサブカルチャーが好きだった。当時はインターネットもなく、東京に行かないとそういう文化に触れられない。東京への憧れが強かった」と振り返る。
“最新の流行や文化に触れたい”という思いは、女性が東京圏を目指す大きな理由の一つだ。
公益財団法人・東北活性化研究センターが行った『人口の社会減と女性の定着に関する意識調査』は、18歳~29歳の女性に“地方から転出する理由”を尋ねている(複数回答可)。

「やりたい仕事が見つからない」「東京(東京圏)と比べて年収が少ない」といった回答のほかに、「若者が楽しめる場所や施設が少ない」という声も53.5%に上っている。
Uターンが初めて浮上したきっかけは“住居と子育て”
憧れを持って東京で就職し、充実した生活を送っていた木村さんも「新潟に戻ることは一切考えていなかった」と言うが、初めてUターンが選択肢に浮上したタイミングがあった。それは「2人目の子どもを出産後、マイホームを考えたとき」だ。

木村さんは、「『東京ではペンシルハウス(狭小住宅)にこんなにお金がかかるんだ』とすごく驚いて。『地元だったら自分が思っているような家が手に入るのに』と考えるようになった」と当時の心境を語った。
夫婦共に仕事の節目を迎えていたことから、準備期間を経て新潟での起業を実現。現在は家族4人で庭つきのマイホームに暮らしている。
東京時代の子育てについて尋ねると、ハードな日常が語られた。
「2人の子どもはそれぞれ別の保育園に通っていた。自転車の前と後ろに子どもを乗せて、布団の持ち帰りがあれば布団も積んで、雨が降ろうが、風が吹こうが、自転車で行かなくてはいけなかったので相当大変だった」
生活のしやすさは仕事のパワーに…Uターンで手にした理想の暮らし
現在は、仕事を終えると職場から車で数分の放課後児童クラブに小学1年の長女を車で迎えに行く。
「子育ての悩みが減って、仕事により力を注げるようになった」と話す木村さん。同じ職場で働く東京出身の夫も、新潟生活を満喫しているという。

経営者である木村さんが考える女性が働きたくなる企業とはどんなものだろうか?
「ワークライフバランスを大事にしながら伸び伸びと働ける環境がもっと増えると、新潟に戻って働きたいと思ってもらえるのかな」
木村さんの会社には、子育て中・介護中のスタッフが在籍している。今後も全員の働きやすさを大切にしながら、会社の規模を少し大きくすることが目標だ。
上京する女性を見送る一方で地方は何をするべきか
新潟大学のSさんは、上京のときが迫っている。
「なぜ若い女性は東京を目指すのか?」この問いにSさんは、「もちろん東京は企業の数が多いので、自分のやりたい仕事を求めて東京に出ていくことはあると思う。でもそれだけではく、就職のタイミングで県外に出ても地元がある。戻る場所がある。その安心感があるからこそ、できる挑戦なのかなとも思う」と柔らかに語った。

「春からは東京生活を満喫しながら社会人として精一杯チャレンジしたい」と話すSさん。
その背中を見送る一方で、「若い女性に選ばれる新潟をいかにしてつくり出していくのか」、人口減少問題のカギを握るこの問題に、行政だけでなく県民全体で向き合い、知恵を出し合うべきときに来ている。
(NST新潟総合テレビ)