3月3日午後3時33分、京都の国宝・蓮華王院三十三間堂。

この日、この時間、この場所で長すぎる『待ち合わせ』をしていたのは、仏像鑑賞を愛する2人、みうらじゅんさん(67)といとうせいこうさん(63)。
■【動画で見る】三十三間堂で“33年後の待ち合わせ”果たす…みうらじゅん・いとうせいこう 「また33年後に」新たな約束も
■果たされた『33年後…』の約束

「みなさんもお堂で逢いましょう」と題されたこのイベント。三十三間堂にはファンも大勢駆け付ける中、無料のトークショーが開催された。
一体なぜ、この2人のトークショーは開かれたのか?その訳は、実に33年前に遡る。
■“待ち合わせ”の約束は33年前…三十三間堂近く京都駅で

イラストレーターなどで知られるみうらじゅんさんと作家・クリエイターとして知られるいとうせいこうさんの2人は、仏像好きの友人(仏友)として、各地の寺や仏像を見て歩く「見仏記」を30代から共同で執筆。これまでに第8巻まで刊行されている。

その「見仏記」第1巻のラストには、最初の“見仏ツアー”を終えた2人が京都駅構内の喫茶店で交わした何気無い“約束”について次のように書かれていた。

「三十三年後の三月三日、三時三十三分に三十三間堂の前で会いましょう。そんなおかしな待ち合わせを、我々はしていたのだった」(*いとうせいこう、みうらじゅん「見仏記」第1巻 角川文庫より)
◆本とテレビで続いた2人の「見仏」旅

実は、この待ち合わせの約束をした時(1992年)は、みうらさんもいとうさんもこの「見仏記」の取材(*雑誌の連載)が続くとは思っていなかったそうだ。しかし、縁あってその後も取材などで見仏の旅は続いた。

2001年以降はテレビでも「テレビ見仏記」そして「新TV見仏記」で近畿を中心に各地へ拝観。 2017年にはタイへの見仏の旅も実現するなど、2人は行く先々でこれまでにない斬新な目線で仏愛を伝道してきた。

そして今、ともに還暦を過ぎ、ついに33年後の長い待ち合わせの約束を果たす時が来たのだ。
■ファンや千手観音立像が見守る中“奇跡の再会”果たす

やって来た“長い待ち合わせ”。「見仏」コンビ2人のファンらも各地から駆け付け“奇跡の再会”を祝った。

三十三間堂の国宝・千体千手観音立像も、2人を優しく見つめているかのようだ。
■「33年後の待ち合わせ」そして2人は…
みうらさんが、冒頭、なぜかいとうさんに造花のバラの花を捧げた後、記念トークが始った。

このような場を用意してくれた三十三間堂に感謝を述べたあと、みうらさんから約2000人集まった観衆に向かって早々に、「みなさん、では33年後に三十三間堂で会いましょう!」と呼びかけがあった。
トークショーで、いまの気持ちを聞かれたみうらさん…。
(Q. 待ち合わせを実現して、いまのお気持ちは?)
みうらじゅんさん:…やっぱ、長生きしてよかったですね。
みうらさんは今回の約束を果たし、「生きることの大切さ」を聴衆に語りかけ、ドっと笑いが起きました。そしてさらに…。
みうらじゅんさん:これ今回で終わりじゃないですからね。次の33年後に…。
この言葉で、大きな拍手が湧き起こった。ちなみに33年後、みうらさんは100歳になる。

みうらさんは、この日のために伊勢丹でフォーマルスーツを用意してきた。
いとうせいこうさん:みうらさんは、この日のために新スーツをあつらえてきた。
みうらじゅんさん:『ちょっと儀式があるので』とスーツ屋さんで相談した。『どんなパーティ?』と聞かれて、『法会…、いやパーティです』と。
また、みうらさんからバラを渡された、いとうさんが理由を聞くと…。
いとうせいこうさん:なんで僕にバラをくれた?
みうらじゅんさん:感極まって。枯れないように、造花を調べて用意した。
本番が近付いてきた時には、お互い緊張で黙るようになったそうで、「まるで新郎新婦のように」と笑い合った。
■そして2人の「見仏」の旅は続く…

これからも、2人の「見仏」の旅は続いていく…。
(関西テレビ報道情報局・澤田芳博 2025年3月3日午後3時33分過ぎ)