上司の命令、拒めるか 薬害は問う アイヒマン裁判に通じる普遍性

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藤谷和広
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 この夏、薬害教育をテーマに取材し、記事を書いた。「被害者にも加害者にもならないために」。薬害を学ぶ目的は、よくこんな言葉で表される。それは、「集団における個人」と「社会における個人」をめぐる普遍的な問いに向き合うことでもある。

 「おかしいと思ったときにたとえ上司であっても率直に言えるのか、正直今は自信がない」「そういうものだから仕方がないと思うようになってしまうかもしれないことが恐ろしい」

 大学で薬害の授業を受けた医学生の感想である。講師を務めたのは、1990年に陣痛促進剤による出産事故で長女を亡くした勝村久司さん(62)だ。

 勝村さんの妻は説明がないまま陣痛促進剤を投与され「陣痛が強すぎる」と訴えたが、医師は追加投与を指示した。医師らが経過観察を怠り、仮死状態で生まれた長女は8日後に死亡。妻も生死をさまよった。

 陣痛促進剤は感受性の個人差が大きく、投与後に母親や胎児が死亡したり、胎児が脳性まひになったりする事故が相次いだ。

 薬害の授業を通して、学生たちが考えたのは「集団における個人」のあり方だった。患者の側に立ち、上司の指示を拒むことができるか。ある学生はナチス・ドイツによるユダヤ人の大量虐殺を連想した。

 ユダヤ人の移送を指揮したアドルフ・アイヒマンの裁判を傍聴した哲学者ハンナ・アーレントは、命令を実行しただけと弁明するアイヒマンの罪を「考えない」ことと結論づけた。アイヒマンは組織の論理に従い、自分の行為を他者の視点から見る想像力に欠けた凡庸な人間だった。そんな人間が巨悪に手を染めた。アーレントはこれを「悪の陳腐さ」と表現した。

 その学生は、こんな感想を寄…

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この記事を書いた人
藤谷和広
くらし報道部|厚生労働省担当
専門・関心分野
災害、民主主義