国家情報長官ジェイムズ・クラッパーが公の場に姿を現すことは、そうあることではない。
米国の“トップスパイ”というべき彼は、低くしゃがれた声で話す75歳の老人だ。がっしりした体に禿げ上がった頭。その風格は、スーツを着る人生をしぶしぶ選んだ老齢のバイカーを彷彿とさせる。
彼がとりわけ苦手なのが、キャピトル・ヒル[ワシントンDCの、連邦議事堂がある丘]だ。そこでは議員らが待ち伏せし、彼を「吊るし上げ」ようとしている。「わたしにとって、証言、それも特に公開のものは、歯を治療したりシーツを畳んだりするのと同じなんだよ」
他方、逆にクラッパーが好きな仕事のひとつに、彼の“秘密帝国”を構成する諸機関のエージェントとのミーティングがある。そこには、CIAやNSA、DEA、FBIなどはもちろん、あまり知られていない「財務省情報分析部」なども含まれる。
6年の在職期間中、彼は国内および世界を飛び回り、情報担当官、分析官、諜報員らとのタウンホールミーティングを多数開催した。イヴェントの多くは控えめな内容で、特定の時事問題にフォーカスするというよりも、込み入った諸問題を取り扱うことが多かった。クラッパーにとって、そのイヴェントの目的は、どちらかといえば軍情報部の官僚たちをなだめることにあったのだ。
その年の8月下旬も、彼は同じ目的で臨んだ、核戦力の拠点であるネブラスカ州オマハ近くの米国戦略軍のホールで、180人の市民および軍職員からの質問を受け付けた。いつも通りに中国、採用情報、諜報機関同士の連携など、お決まりの質問が出続ける。
そのとき、スーツを着た、クラッパーと同じ職業軍人風の高齢の男性がマイクを手に取り、クラッパーがその国家情報長官としての任期において、誰もしたことのなかった質問をした。
瞬間、クラッパーの動きは止まった。その質問とは次の通りだ。
「スパイ行為にモラルはありますか?」
1970年代初頭、若きジェイムズ・クラッパーは、NSA長官の軍事補佐官を務めていた。そのころ、米国の情報機関全体に大変動が起きた。反戦活動家のチームが、ペンシルヴェニア州メディアのFBIオフィスを強襲し、何千ものファイルを奪ったのだ。
そのなかには、J・エドガー・フーヴァー率いるFBIが、国に盾突く左翼勢力の無力化を目的に実施していた違法な国内諜報プログラムの数々を示す証拠が含まれていた。冷戦中のCIAの卑劣な手段ですでに失墜していた米国の情報機関に対する一般国民の信頼は、さらに悪化した。議会はその後、国内監視に関する法律や基準の強化に踏み切った。
それから約40年が経過したいま、クラッパーは70年代に仕えたどの上司よりも広範な情報を統括している。
彼の任期に付きまとうのが、米国のスパイは再び一線を超えてしまったという印象だ。いまでは多くの一般国民が、NSAの契約職員だったエドワード・スノーデンを、新時代の国内監視を暴露した内部告発者であり、ヒーローとみている。
すべての情報を閲覧できる政府は、報告義務がないまま上空から人を殺し、法を犯してもいない世界中の人々から大量のデータを盗み出し、バックドアやマルウェア、業界内だけの取引によってパーソナルコンピューターのセキュリティを揺るがすという、陰鬱な未来にこの国を導こうとしているのではないか──。クラッパーはいつの間にか、そんな疑念をかけられた自らの機関を守らなければならない立場になっていた。
それでも彼は、今日のスキャンダルは過去のものに比べれば影響力が小さいと語る。スノーデンが暴露したプログラムは、「政府の三権によってあらゆる監督が行われていたし、取り扱うデータ量は限定的で、かつアクセスできたのはごく一部の幹部のみだった。70年代(の諜報プログラム)は、そのいずれも当てはまらなかったはずだ」
クラッパーは、自分の職業のモラルを疑ったことはないと言う。彼いわく、インテリジェンスコミュニティの仕事は、尊敬に値するほど裏表がない。その仕事が目的とするのは、合法的に集めた情報をもとに、政策立案者に客観的分析を提供することだ。
そこは複雑に入り組んだ悲惨な戦場でもある。米国は常に、多方面の顔の見えない敵との戦争状態にある。なぜならいまや、たった1人の職員が、数十年分の機密情報を入れたUSBドライヴを持ち出すことができる時代となった。核のデタント時代はいまに比べれば単純だったと、彼がノスタルジーを感じるのは無理もない。「冷戦時代の穏やかな日々が恋しいよ。敵はたった1つで、われわれは相手を把握できていた」
クラッパーが憂慮しているのは、部下であるスパイたちが度を超えた行動をとることよりも、ワシントンのリーダーたちに、米国全土に転移していく脅威に対応できる準備が整っていないことだ。彼は年に1度、キャピトル・ヒル──そこはIS(Islamic State)、サイバー戦争、北朝鮮の核計画、ロシアと中国による武力侵略に関する議論に満ちている──に姿を現して「Litany of Doom」と呼ばれる年次国際脅威評価の結果を述べるが、その内容は決まって悲観的だ。
現政権には常に予測不能な不安定性があり、次の政権でもそれは続くだろうと彼は言う。数週間後に新政権が発足すれば、これらの問題は他人事になる[記事初出は、米大統領選中の11月17日]。クラッパーにとって、移行はまだ当分先のことなのだ。
彼はこの1年の大半を、文字通り残された日々をカウントダウンしながら過ごしてきた。「Intelligence Customer Number One」として知られる最高司令官への朝のブリーフィングでは、バラク・オバマ大統領が最新の記録を聞き、クラッパーと拳を合わせてきた。
彼の役職における最後の数カ月間に、われわれ『WIRED』はクラッパーとその側近、アドヴァイザーらに一連のインタヴューを実施した。米国の情報機関がいまどんな状態にあるのか、そして、1月20日に発足する“新政権”に引き継ぐことのもつ脅威について聞くためだ。6年在職したとはいえ、この引き継ぎはそう簡単ではない。彼は言う。「この仕事で学んだのは、わたしはできるだけ話さないほうがいいってことさ」
初代国家情報長官のジョン・ネグロポンテは2005年、ホワイトハウスからほど近い場所に小さなオフィスを開設した。そこには11人のスタッフが詰めることになった。9.11の影響を受け、米国の諜報活動を一手に監督する必要があるという認識のもと、国家情報長官の役職が新設されたのだ。その後スタッフは増え、5年後にクラッパーが就任するころには、ヴァージニア州マクレーンに51エーカー(20万平メートル)もの複合施設をもつようになっていた。
道路沿いに掲げられたサインは控えめだが、「1550 Tysons McLean Drive」は、レーガン・ナショナル空港に着陸する乗客からもよく見える場所にある。空から見ると、L字とX字の2つのビルがある。これは、ポスト9.11の愛国的呼称である「Liberty Crossing」、略して「LX」を表している。
同施設には、国家情報長官オフィスと国家テロ対策センターの職員1,700人が勤務している。国家テロ対策センターはやはり9.11後に設置された機関で、その高層オフィスは、キーファー・サザーランド主演のドラマ「24」の指揮所を模している。施設全体が町を形成しており、警察部隊が常駐し、ダンキンドーナツやスターバックスもある。
クラッパーのオフィスは、L字ビルの6階にある。広いオフィスだが、政府高官向け標準仕様のダークウッドの家具を除いては殺風景だ。しかし、目立つ例外が1つだけある。それは、ハクトウワシをあしらったドアの近くに貼られた「I am smiling」という文字が躍るポスターだ。
クラッパーほどインテリジェンスビジネスにどっぷり漬かった米国人はほかにいないだろう。彼の父親は第二次世界大戦中、シギント(傍受による諜報活動)に携わっていた。若き日のクラッパーは1962年、21歳の空軍ROTCの生徒としてジョン・F・ケネディ大統領に会い、最高司令官である大統領に、自分も父のような情報担当官になりたいと宣言したこともある。
彼はずっと、その道だけを志してきた。妻とはNSAで出会った。妻の父親も情報担当官だった。ヴェトナムでは、当時NSAの作戦副部長だった父と同居していた。彼はこれまで半世紀以上、この分野に専念してきたのだ。2007年には、当時のロバート・ゲイツ国防長官にペンタゴンの情報担当国防次官に任命され、国防に関係する4つの情報機関すべてを監督することになった。
2010年には、情報コミュニティの強硬姿勢と、クリスマスに発生したノースウエスト航空機爆破未遂事件の犯人が同機に搭乗するのを防げなかったことに業を煮やしたオバマが、クラッパーに白羽の矢を立て、わずか5年のうちに4代も代替わりすることになった国家情報長官に任命した。クラッパーは、方々に触手を伸ばしている複数の諜報機関の連携を取りながら、舞台裏で在職期間を過ごすのだろうと考えていた。
クラッパーの生活は、ヴィデオカンファレンスと特徴のない空間──地下のブリーフィングルーム、フラットスクリーンに囲まれた司令室、盗聴防止を施した機密情報隔離施設(SCIF)──との連続だ。屋根にアンテナを備えた、武装した黒のSUV──乗用車というより戦車に近い──には、クラッパーがDCのどこを走っていても確実に連絡が取れるよう、パラボラアンテナまで付いている。出張時には、特別チームがホテルの部屋を傍受不可能な通信室に改造する。彼のデジタル補聴器は、外国の敵が聞いていないことを確認するため、セキュリティが定期的にチェックしている。また、オーヴァル・オフィスで大統領へのブリーフィングに使うiPadは、通信や傍受ができないよう、対諜報チームが機能制限をかけている。
クラッパーの業務内容は、政府のなかでも群を抜いて多岐にわたる。あらゆる選挙、経済動乱、技術的進歩、テロの陰謀、外国首脳の不運など、対象は全世界だ。「わたしがミーティングで合格点をもらうことは、まずないよ」
スノーデンがリークした文書によって、クラッパーの帝国がウィスコンシン州グリーンベイの人口とほぼ同じ10万7,000人の職員を抱えていることが米国民に知られている。その予算は合わせて520億ドルを超える。うちNSAが100億ドル、CIAが140億ドル、ドローン攻撃やイランの核計画妨害などの秘密工作が26億ドルを占めている。
クラッパーが最も成功を収めたのは、調達改革やITのアップグレード、外国政府や国内機関とのパートナーシップ構築などの分野での前進など、組織内部の仕事だ。クラッパーは組織内のダイヴァーシティ向上に取り組み、情報コミュニティにLGBTを雇用するという推進派でもあったが、まだやるべきことは多いと言う。
「組織とコミュニティの改善にすべての時間をかけることができていたら、もっと満足のいく仕事ができていただろうね」。しかし、彼の功績としてそれを思い起こす部外の者たちは、ほとんどいない。
それよりも、彼は組織内部で発生した別の問題で記憶されることになるだろう。米国史上最大級となる、情報侵害問題だ。
2013年6月8日土曜日、クラッパーは珍しく、オフィスでテレビインタヴューに答えていた。インタヴュワーはNBCのアンドレア・ミッチェル。米国のポスト9.11監視プログラムについての『ガーディアン』紙と『ワシントンポスト』紙を通じた一連のリークに対する論争を鎮静化するのが目的だった。
「このような事態は、文字通り──比喩ではなく、文字通り、はらわたをえぐられる思いです。これによってわれわれの諜報能力が被った打撃は計り知れません」とクラッパーは語った。数分後、クラッパーに緊急電話が入ったため、彼の警護特務部隊──グロックを装備した私服のCIAガードで、各人が米国特別捜査官であることを示すバッジをつけている──がインタヴューを中断させた。緊急電話に出たクラッパーは、彼の在職期間をほかの誰よりも定義する人物の名前を初めて耳にした。それが、エドワード・スノーデンだった。
スノーデンによるリークは、大きな衝撃をもたらしただけでなく、クラッパーの個人的な問題も明るみにした。NSAがコードネームPrismのもとで世界中のインターネット通信を吸い上げていたことを知るや否や、マスコミはその3カ月前にクラッパーと上院議員ロン・ワイデンの間で行われた、一見するとなんということのない議会でのやり取りにスポットライトを当てたのだ。
遡る2013年3月12日の公聴会で、ワイデンはクラッパーにこう尋ねている。「NSAは、何百万、いや何億の米国人について、何らかのデータを集めているのですか?」
クラッパーは、「していません」と答えた。
ワイデンはいくらかあきれた様子で、「本当ですね?」と尋ねた。上院情報委員会のメンバーでもあるワイデンは、それが真実でないことを知っていたからだ。
「故意にはしていません。もしかすると、気づかぬうちに収集をしてしまうケースはありますが、故意ではありません」とクラッパーは発言した。
公聴会ではこのやり取りは特に注目されなかったが、ワイデンとその情報職員、スノーデンは、あからさまな嘘に困惑を隠せなかった。
ワイデンは、上院議員のダイアン・ファインスタイン、マーク・ユーダルとともに、ポスト9.11監視が行っている暴挙を押しつぶそうと、何年もの歳月をかけきた。ワイデンは、クラッパーの部下であるNSAの情報リーダーらが、自組織のプログラムについて、故意に誤解を招く発言を繰り返しているのを目撃していた。彼らはすでに、何年にも及ぶ「欺瞞の宴」に興じていたのだ。
「彼は、前例だらけのインテリジェンスコミュニティを何年も統括していました」とワイデン。これが2012年、当時のNSA長官キース・アレクサンダーによる、Defconハッカーコンヴェンションでの発言につながった。アレクサンダーは、NSAが何百万もの米国人の調査書類を収集してはいないと述べたのだ。ワイデンは、これを「米国の諜報活動に関する、最も誤った発言の1つ」と呼ぶ。
スノーデンの堪忍袋の緒が切れたのは、ワイデンに対するクラッパーの返答がきっかけだった。スノーデンはこの記事のためのインタヴューには応じなかったが、2014年に『WIRED』が行ったインタヴューにおいて、クラッパーの嘘があまりにもあからさまで陳腐だったことにぞっとしたと述べている。「彼は、米国民を欺くことが自身の仕事であり、職務であり、まったく普通のことだと考えていました」とスノーデンは語っている。
クラッパーは、議会でのワイデンとのやり取りがスノーデンにとってリークする動機になったというアイデアについて、ぶっきらぼうに切り捨てた。「彼はストーリーを売りたかったのかもしれないが、あんなのは出まかせだ」。クラッパーの指摘によると、スノーデンの文書収集は、クラッパーが上院委員会に登壇する数カ月前から始まっていたというのだ。
「どんな理由であれ、スノーデンがいわゆる『国内監視』と呼ばれるものを悪用と感じて暴露しなければならない使命感をもっていたのであれば、わたしも彼の行為を理解できたかもしれない。しかし、彼は国内監視と無関係なものをあまりにも多く漏えいした。あれは大きな損害となった。彼はナルシストなんだと思う。わたしは、彼の掲げる理想主義には賛同できない。これっぽっちも、賛同できないよ」
クラッパーは覚悟している。ワイデンとのやり取りとスノーデンによる暴露が、彼の遺産の大半を占めることを。「『ワシントンポスト』に載るわたしの死亡記事の見出しは、確実にそれになるだろうね。でも、人生なんてそんなものさ」
それよりも、むしろ彼を驚かせたのは、スノーデンのリークを受けての一般国民──とインテリジェンスコミュニティ全体──からの反発だ。「影響は、衝撃的だった」。彼が統括する機関には、合法的なツールを使って米国民に望まれた仕事をしているという自負があった。クラッパーはこの秋、情報関係のリーダーたちの前で、「わたしが個人的に気に入らない収集機能に出合ったことはないよ」と、冗談めかして話している。
クラッパーの考えでは、反発を呼んだ原因の一部は、9.11後に秘密裏かつ無秩序に展開していたテロとの戦いに、当時のブッシュ政権が力を入れ過ぎたことに起因する。スノーデンの暴露の中心であった無差別国内監視プログラムも含めたさまざまが公の場で議論され、議会の承認を得ていたなら、事態は違っていたかもしれないのだ。
一般国民と議会は、9.11後であれば、国家のスパイが望むものを何でも与えたであろうと彼は言う。「おそらく、望み通りの法律を得られただろうね。Prism計画の内容と必要性をきちんと説明していれば、FBIが大量の指紋データを蓄積していることよりも、確実に反発は少なかったはずだ」
実際、スノーデンによる暴露後に実施された法改正では、プロセスは煩雑になったものの、NSAが合法的にアクセスできるデータ量は大幅に増えている。「いまや、NSAはデータを蓄積する代わりに、企業に出向いてデータ提供を求めている。おかげで、当初の計画よりも幅広い提供者へのアクセスを得られている。人々は、自分の市民権とプライヴァシーが提供者によってきちんと保護されていると思えば、納得してくれるんだよ」
スノーデンの裏切り後、クラッパーは、情報コミュニティの仕事について公の場で語り、より多くの記録を公開することに注力している。その理由の一部には、やむを得ない現実に対する妥協もある。クラッパーは、新たなスノーデンの出現を防ぐことはできないと考えているのだ。事実、NSAの新しい機密プログラムの情報を吸い取っている内部告発者が、少なくとも1人はいる証拠があるという。
政府がいままでよりもずっと隠し事ができない時代においては、彼の機関こそが先陣を切っていかなければならないとクラッパーは考えている。彼は2016年の秋、「機密区分システムには、どこかの時点で抜本的な変革が必要になるだろう」と情報関連の幹部に警告している。現在のシステムは、「紙のハードコピーの時代に生まれたものだ。いまのルールは、技術やビジネスのやり方に合っているとは言えないからね」
これは、ワイデンが長年続けている主張と同じだ。この10年で、秘密は守られないことが証明されたとワイデンは言う。騙されていると悟った米国民は政府を信頼しなくなり、モラルや倫理を問い始める。「いつか必ず真実が露呈する、というのが米国の歴史の常です。わたしはずっと懸念しています。インテリジェンスコミュニティにおいて、米国民に知らされる内容と、わたしが個人的に見聞きする内容が一致しないことが多すぎる。これは、正しいことではありません」とワイデンは述べている。
情報公開に向けたいくつもの小さな取り組みのなかで、クラッパーはドローン計画に関する情報の一般公開を少しずつ進めてきた。同計画には反対意見が多く、特に2011年9月のアンワル・アウラキー殺害以降、反対が増えている。
アウラキーは米国出身のイスラム聖職者で、アルカイダを信奉し、イエメンでその支部の指導者を務めていた人物である。この攻撃で、もう1人の米国人サミール・カーンも死んだ。さらに数週間後、2回目の攻撃で、アウラキの16歳の息子が誤って殺された。その結果、米国の情報機関と軍隊が、司法による監視なく外国で米国市民を殺すことに対し、注目が集まった。
クラッパーは7月、敵対行為のない区域でドローンに殺された一般市民の数を、政府として初めて開示した。独立記念日の週末にかかる金曜日の午後6時に発表された数値によると、2009〜15年の間に、米国は473回のドローン攻撃を行い、「戦闘員」約2,500人と「非戦闘員」64〜116人を殺害したという。これは、パキスタンだけで450人の市民が殺されたとするNPOによる概算に比べると非常に少ない。
しかし、クラッパーは自らの値が正しいと主張する。彼は、「公開したのは、完全な真実だよ」と筆者に述べたあとで、こんな興味深い“注釈”を付け加えた。「公開できる範囲では、これが公正かつ正確な説明だと考えている」
ワイデンは、このところクラッパーの帝国が透明化を進めている様子を実際に目の当たりにしていると言う。NSA新局長のマイケル・ロジャースは、議会に対して非常にオープンだ。ワイデンは言う。「マイク・ロジャースのアプローチには、とても励まされます。彼は、いままでとまったく違う」と。
しかし、クラッパーを批判する者の多くは、インテリジェンスの世界がどれだけ周辺部における透明化を進めても、その哲学には変化がみられないと述べている。ACLUの主任技術者、クリストファー・ソグホアンによると、クラッパーのオフィスはTumblrを始め、重要な歴史文書──ドローン犠牲者レポートや、長年隠されていた28ページに及ぶ9.11攻撃の資金調達および調整におけるサウジアラビアの役割を調べた政府調査を含む──の機密解除を進めているものの、スノーデンによって暴露されなかった1つの監視プログラム/ツールを公開していないし、その存在も認めていない。ソグホアンは言う。「事情を知らない人から見たら、国家情報長官の透明化は進んでいるように見えるかもしれません。でも、わたしが思うに、国家情報長官のオフィスは透明性を演じているに過ぎません」
スノーデン後にクラッパーが行った一大プロジェクトの1つが、ケネディ政権時代から毎朝オーヴァルオフィス(大統領執務室)に届けられているトップシークレットの情報書類「President’s Daily Brief(大統領日例指示)」の機密解除だ。クラッパーとCIA長官のジョン・ブレナンは、この1年間でフォード政権までの資料の大半を開示している。
2人は8月、リチャード・ニクソン大統領図書館を訪問した。ニクソン政権──とフォード政権──時代の日例指示およそ2,500件の公開を記念するためだ。クラッパーはカリフォルニアまでのフライト中、ラップトップを抱え込み、機密解除された文書を読み続けた。クラッパーによると、それは奇妙な経験だったと言う。というのも、多くの書類に手が加えられていたからだ。文章の断片あるいは段落が塗りつぶされている。このように改訂されたた書類を読むのはクラッパーにとって何年かぶりのことだった。「読みながら、こう考えていたと言わざるを得ない。『なぜ、手を加える必要があったのか? もっと多くを公開できたのではないか? そこに何を隠していたのか?』と」
ニクソン図書館でのイヴェント前、2人は大規模修繕中の博物館を非公式に訪問した。ガイドの説明では、工事が終わるとツアーのスタート地点はニクソンの誕生ではなく、激動の1960年代になるそうだ。「ツアーは1968年のカオスからスタートします。ツアー終了時、参加者はその時代に大統領になりたい人がいたことを不思議に思うでしょう」と、エネルギーにあふれた若きガイドが説明してくれた。
2人の情報関係長官は次のギャラリーに歩みを進めた。クラッパーは、小声でブレナンにささやいた。「いまでも通用する疑問だな」
クラッパーの任期に付きまとう警戒すべき脅威の1つに、米国自身が開発したある形態の戦争がある。2008年、イスラエルと米国の工作員から成る秘密チームが、イランのナタンズ核プラントにStuxnetウイルスをまいた。ワームを使って、プラントのウラン遠心分離機を物理的に破壊したのだ。これが、世界初の近代的大規模サイバーウェポンとして広く考えられている。この秘密攻撃は、ちょうどクラッパーが就任した10年に明るみになった。
それ以降、米国は他国からの攻撃を受け続けている。2014年にはイランがラスヴェガスのカジノSandsから顧客データを盗み、北朝鮮はソニーのEメールサーヴァーをハックした。2016年の大統領選挙日の数週間前、クラッパーはロシア当局者による米国政治への干渉、選挙運動および政党へのハッキングを非難した。クラッパーによると、これらの攻撃は、今後数年で米国が直面する攻撃に比べれば些細なものに過ぎない。彼は、データ破壊や盗難だけでなく、彼が言うところの「次なる既成概念の枠を越えるもの」、すなわちデータ操作を懸念しているのだ。データ操作とは、敵が米国のコンピューターシステム内の情報をわずかに編集および破損させ、政府や業界の記録の信頼性を損なわせる行為である。
政府および民間のネットワークは十分に安全ではないとクラッパーは言う。同時に彼は、NSAとペンタゴンの攻撃能力こそがオンラインの平和を保つ鍵であると考えている。
クラッパーは、エンドツーエンド暗号化を提供するアプリおよびサービスの急速な普及を嘆いている。スノーデンによる暴露により、最新の暗号方式の採用が7年ほど「加速した」というのがクラッパーの主張だ。彼いわく、彼とFBI長官ジェームズ・コミーは、個人情報へのバックドア・アクセス──第三者が同じバックドアを発見して突破することは避けられず、誰もがハッキングに対して脆弱になるとする批判がある──を擁護したことは一度もないという。政府とテック業界が手を組んで、セキュリティーに対する社会の要求と個人のプライヴァシーに対する懸念のバランスを取らなければならないというのが彼の考えだ。
「業界にあるすべてのクリエイティヴィティと知能を集結し、心をひとつにして、ある程度のリソースをつぎ込めば、解決策が得られるだろう」。彼は、暗号キーを複数の当事者が保有するエスクロージャーシステムが功を奏するのではないかと考えている。「いまの絶対主義的な方法よりも、ポルノ製作者、強姦犯、犯罪者、テロリスト、麻薬中毒者、人身売買関係者を通過させないような、優れたやり口が必ずあるはずだ」。クラッパーは、サイバー攻撃への防御手段としての暗号化をあまり信じていない。それよりも、答えは抑止戦略のなかにあると考えている。
だから彼は、米国がサイバー戦争時代を始めたことを問題視していない。「本当にわれわれがその最初だというなら、それは喜ばしいことだ」。彼は、Stuxnetのような武器の使用──およびそれらが実証したリアルワールドへの破壊力──が、いずれ敵国間の平和維持に役立つときが来ること、そして冷戦時の相互確証破壊方針と同様の戦略が生まれることを願っている。サイバー攻撃行為を認識した国家が確実に報復攻撃を行い、先制国の重要なシステムを破壊するのであれば、そもそも行動を起こすことはないという理屈だ。
「抑止力の内容が確立され、浸透するまでは、このような攻撃が繰り返されるだろう」と彼は言う。その彼にも、戦略的抑止力がどのようなものになるかはほとんどわからない。「核抑止は人々から理解されている。でも、話がサイバー領域となると、とたんに理解されにくくなる」。彼は、後継者にその責任を転嫁できることにほっとしている。「わたしは、そんな宿題をやりたくないよ」
米国はほかの点でも、もっと先を見なければならないと彼は言う。米国はテロリズムに気をとられすぎており、もっと厄介な長期的脅威に注目していない。中国とロシアは衛星攻撃能力を確立し、GPSなどの米国独占技術を脅かしている。あるいは、人工知能やヒトゲノム改変が国家安全保障を危険に陥れるかもしれないのだ。米国民は、パリやカリフォルニア州サンバーナーディーノのようなテロ攻撃にただ慣れるしかないのだろうか。そう聞くと、彼は早口でこう答えた。「わたしは、冷戦に慣れた。冷戦は長い間続いた。数十年だ」
クラッパーはスノーデン事件で自身の評判が落ちたことを渋々ながらも受け入れているが、それよりも深く心配しているのが、事件が情報機関の職員に与えた影響だ。彼の部下たちに米国が敵意を示すかもしれないという考えを、彼は嫌っている。国家と議会が「秘密軍事施設」や9.11後の拷問プログラムを運営するCIA職員に背を向けたのと同じように、ドローン攻撃を遂行する職員に対して国が敵意を示すことを恐れているのだ。
「ドローンによる殺人は間違っていたと、過去にさかのぼって決められることが心配だ。そうなると、ドローンによる殺人に関与した人々が批判され、告発され、試練にさらされることになってしまうからね」
「過去にさかのぼって道徳基準を確立するのは非常に厄介なことだ。これまで米国がしてきたことに対し、人々はあらゆる善なる質問を投げかけるだろう。いまなら、第二次世界大戦中に日本人(日系米国人)を拘留したのはひどかったと誰もが賛同すると思う。でも当時は、国益にとってそれが最良であるかのように思えたはずだ」
CIAの拷問プログラムに対する4,000万ドルの上院調査と糾弾に耐えたクラッパーが懸念しているのは、現代のスパイがこのような政治的風向きの変化というリスクにさらされていることだ。風向きが急変すれば、誠意をもって遂行したはずの合法行為が、政治的魔女狩りの根拠になってしまう。彼は主張する。この15年間、インテリジェンスコミュニティは間違いを犯してきた。でも、故意に法を犯したことは一度もないと。
クラッパーにとって同じくらいつらいのが、そのような魔女狩りによって、部下たちが自身の仕事の価値や誇りに疑念を抱いてしまうことだ。オマハのタウンホールミーティングでの質問に、彼が困惑したのはそのためだ。スパイ行為にはモラルがあるか? スーツや軍服の聴衆を前に答えを組み立てるクラッパーは、その部屋にいる誰もが知らないことを知っていた。ちょうどその週、機密指定されているNSAの監視プログラムをリークした人物と考えられるBooz Allen Hamiltonの契約職員を、FBIが追い詰めていたのだ。
逡巡の末、クラッパーはモラルについての問いに対し、こう答えた。「われわれは自らの職務に、明確な良心をもって取り組んでいる。でも、気をつけなければならないこともある。インテリジェンスコミュニティの歴史は、米国人の信頼を裏切る行為に満ちているということだ」
その職務にモラルがないわけではない。ただ、その職務は正しく行われなければならないだけなのだ。「わたしはずっと、情報業務を誇るべき職業だと思ってきた。われわれの誰もが、自身の道徳観と法律を遵守しなければならないことを意識している」
クラッパーの孫──ちょうど、クラッパーが情報士官として空軍に配属された年の頃だ──は、CIAで技術職に就いたばかりだ。53歳離れたクラッパーとこの孫はこの1年間、テクノロジーや米国の諜報活動の未来、およびその労働力について長い対話を続けてきた。クラッパーの考えでは、情報の世界は新規採用には困らないが、職員の定着には苦労するだろう。特に科学技術者は、民間部門の高給と制約の少なさに惹きつけられるに違いない。
「空軍配属時のわたしは、キャリアをかけて組織に尽くしたものさ。でも、彼やその世代は、そうは考えていない。彼らは組織に執着しないんだ」とクラッパーは言った。
クラッパーには、ジントニックやマティーニを楽しめる夜はあるものの、本当にリラックスできる機会はほとんどない。彼は筆者にこう聞いてきた。「過去6年間で、1日でも休みを取ったことがあるかい? 本当の休み、という意味だが」
彼が答えを待つ間、その質問は、居心地が悪いものとなった。わたしたちは、ニクソン図書館でのイヴェント帰り、空軍のガルフストリームに乗っている。すでに午後10時を過ぎたが、アンドルーズ空軍基地に着陸するまで、まだ1時間はかかるだろう。彼は答えを待ちきれず、こう続けた。「わたしにはないな。この6年間ずっと、少なくとも1日のうちいずれかの時間で働いている。この会話が終わってからもずっと仕事。今夜はそれからSCIFに行ってまた仕事だよ。明日の朝にはオーヴァルにいなければならないしな」
彼の同僚たちの多くは、退任後のことを心配しているが、クラッパーはすべてを置いて去ることを楽しみにしている。秋には、公の場でこう発言している。「多くの人がナーヴァスになっている。いままで慣れ親しんだものよりも派手な選挙で、新しい大統領と新しいセキュリティリーダーを、この状況に押し込もうとしていることに」
新任者たちは、彼いわく集会時に流されるサウンドバイトのように小さく見える世界と対峙することになる。「わたしはいつも、選挙遊説の単純さに衝撃を受けます。しかし、ホワイトハウスのシチュエーションルームにいると、それが突然、複雑怪奇なものになります」。数週間後に退任を迎えるとき、彼は喜んでSCIF、ブリーフィングルーム、武装自動車の列、常時警戒態勢のセキュリティーにさよならを告げるだろう。地下室を空っぽにして去ること、そして何よりも、再び自分の意志で動けることを心待ちにしている。
「24時間365日監視下にあるというのは…」。 少し間を置いて、彼はこう続けた。「なんともストレスが多いよ」。彼が束ねている機関が監視する国内外の標的とは違って、彼は自分自身が監視されていることを知っているのだ。
(WIRED US/Photograph by Jared Soares/Text by Garrett M. Graff/Translation by Taizo Horikomi)