江戸時代の中級武士の住宅として、無料で一般公開されています。シンボルのカシワの木にパワーをもらいました。
- 4.0
- 旅行時期:2023/04(約2年前)
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by Lily-junjunさん(男性)
角館 クチコミ:27件
「武家屋敷通り」に入り、300mほど道なりに進むと、右手に三箇所目の「武家屋敷 岩橋家」があります。「武家屋敷 岩橋家」は、江戸時代の中級武士の住宅として、無料で一般公開され、秋田県の文化財に指定されています。「武家屋敷 岩橋家」は、屋敷は江戸時代末期に改造、屋根も茅葺きから木羽葺きに変えられ現在の形になりました。明治33年(1900年)に発生した火災により、この辺りは焼き尽くされましたが、その時、焼失を逃れました。母屋の部屋数は4室で、木羽葺きの屋根に切妻造りで、質素で実用本位の生活ぶりを伺い知ることができます。特に、板張りに小さな囲炉裏や桶を降ろして水をくむつるべ井戸には生活感が溢れ、印象に残りました。そして、庭にはしだれ桜、松、栗などが植栽されていますが、なかでも推定樹齢300年余りの「カシワの木」は内陸部では非常に珍しいとされ、パワーをもらいました。「武家屋敷 岩橋家」は、建物だけでなく木々の織り成す自然の雰囲気も満点の武家屋敷となっています。また、映画「たそがれ清兵衛」撮影場所としても有名で、今では、映画から情報番組まで幅広くロケに利用されているそうです。「岩橋家」の歴史を遡ると、「岩橋家」は「芦名家」の重臣で、禄高は75石でした。「芦名氏」が「伊達政宗」に敗れた後には常陸「江戸崎城」(現在の茨城県稲敷市江戸崎)へと移り、関ヶ原合戦後の慶長7年(1602年)に、「佐竹氏」の出羽移封による「芦名氏」角館城入城に伴って角館へ入っています。「芦名氏」断絶後角館支配となった「佐竹北家」に召抱えられその後廃藩になるまで仕えました。
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦(シニア)
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 桜の時期、そして武家屋敷通りということで比較的混雑していました。
クチコミ投稿日:2023/10/19
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