死ぬかと思った(2001年6月の投稿)
 

カビクッキーを食べる

朝起きて、寝呆けながらお茶の間にあったクッキーの箱を開けて食べた。

が、何やらスッパイ味がする。しかし思考回路が鈍っており「こういうモノだ」と勝手に納得して咀嚼をし続けた。 そこに母親が来てクッキー箱を覗き一言。「あんた、そのクッキー色が変よ」と。 賞味期限を見ると五年前の表示。クッキーを見てみると緑の藻のようなカビちゃんが。 既に半分以上間食。死ぬかと思った。

18歳 女 はまり

   

クルマに跳ねられる

私が小学生の頃、道路で遊んでいると、車が猛スピードで私に向かってくるではないですかぁ!

「ぎょえぇ〜っ」という私の叫びもむなしく、ドンッという音とともに、私の体は空中を一回転してボンネットに落下。 「おい、大丈夫か?」と声をかける運転手の顔を見て、意識とびました。 なぜって私の親父だったから。のちに親父から聞いた話によると、青白い顔をしながら、「ケロンパァ〜」と叫んだそうな。 何が言いたかったのだろう・・とにかく死ぬかと思った。

匿名希望 17歳女

 

朝にしてこい!と怒るおじいさん

あれは27歳の大晦日でした。 バイクで事故って100mほどスライディングして死ぬ思いしたのは、どこにでもある話。

私の死ぬかと思ったのは、救急車で運ばれた病院での出来事でした。外科病棟はいっぱいだったらしく、 俺は脳神経外科で入院生活を送ることとなった。朝、目がさめると前のベットのおじいちゃんがすごい勢いで食パンを食べている。 「朝ごはんおいしい?」ときくと、かえってきた言葉は「まだごはんきてないよ」とのこと。

どーもおじいちゃんはボケているようだ。その日の夜中、「おーい、おーい」の声で目がさめた。 「どないしたん、おじいちゃん」と聞くと「わしの神様といっしょに太陽をだして、朝にしてこい!」と背中を指さして、怒り出していた。 あまりのこわさに死ぬかと思った。

ちなみに数ヶ月後、通院でそのおじいちゃんに会ったけど、俺のこと覚えてなかった...。

29歳、男

   

顔を赤くする特技

12歳離れている友人の話です。友人が小学生の頃に自己紹介の「特技」の欄に「いつでも顔を赤くする事ができる」などというのが大流行し、 クラスの大半が顔を真っ赤にして、得意げだったそうです。 負けず嫌いな友人は、その特技ができなくて、とっても悔しかったらしく、家に帰り自分の部屋で1人でこっそりとその練習をしたそうです。 ベッドの上に立ち、んーっ!!!んーっ!!!と、必死に力んで頑張ったそうです。

・・・・・ふと、目が覚めると、なぜかベッドの脇にうつぶせに倒れている自分に気付き、 バリバリにヒビの入ったガラス戸を発見!!!何が起こったのかわからない友人・・・・・。

ここからは推測ですが、あまりに力みすぎたため、酸欠になり軽い貧血を起こし、 倒れた瞬間にガラス戸に頭を思いっきりぶつけそのせいでのうしんとうをも引き起こしたらしいのです。 死ぬかと思った、というよりは、死んでいたのかと思ったらしい・・・。

もちろん、その特技は取得できなかったらしいです。

21才 フリーター

 

めつぶしオウンゴール

幼稚園のころ、昆虫採集に夢中になっていた時期があったのですが、追いかけていた蝶がどうにも捕まえれないので、 子どもなりに知恵を絞って、その頃、再放送でやってた忍者ドラマの『目潰し』という技を蝶にかけることにしました。 粉は、転がっていた赤レンガを擦って準備万全。 蝶にこっそり近づいて、粉を蝶にぶちまける。 「かかったな、チョウ!」と思ったけどチョウは何事もないように飛び去りました。

かかったのはぼくのほうで、向かい風で目潰しのオウンゴールをくらいました。 「うぎゃー!」 忍者ドラマでは目潰しを食らった者は目から血を流して崖から落ちたりして死んでいったので、 きっとぼくもそうなるのだろうと、絶望的な気分で泣き叫びながら家に帰り、母に「目がつぶれたー!」と訴えました。 もちろん、その原因はうやむやにしました。

たまげた母は自転車の後ろにぼくを乗せて目医者まで連れていってくれました。 わんわん泣いているうちに目の中に入ったレンガが涙と共に流れてすっかり良くなってしまったのですが、 大騒ぎした手前、目をつむって、まだ目がつぶれているフリをしました。

目医者さんはぼくの目を見て、全てを把握したようで 「はい、それじゃあ、一応、目薬差しておきますね。ところで、何の粉が入ったの?」 全てお見通しな言い方に、ここは正直に答えないとマズイと思い、正直に答えました。

「・・・レンガ。」 「は?」 「レンガの粉。」 「・・・」

帰りの自転車の母は無言でしたが、出来れば崖から落ちて死んでしまいたいと思いました。

アルミはにかむ

   

死体の上でキャンプ

街中や山中など陸地で見つかった死体は、殺人とかでふつう警察沙汰になるわけですが、 海で見つかった土左衛門や海岸への漂着死体は、なんと「遺失物」扱いになります。

いわゆる「落し物」と同じらしいんです。しかも所轄は警察ではなく、地元自治体(町や村)なんです。 で、漂着死体は一応警察が検分したあと、落し主(遺族)が現れるまで、町で預かることになります。 ところが、どこの町にも死体保管所などという施設はありません。ですからどこで保管するかというと、仮に砂浜に埋めてしまうわけです。 (もちろん波に洗われてしまわないようにして)

ところが最近はアウトドア・ブームでキャンプが大流行。海外沿いの砂浜なんかでテントを張るみなさんがけっこういらっしゃるわけです。 しかもちょっと奥まっていて、大波でも届きにくいような場所はキャンプには最適なんです。 でもそんな場所は死体を埋めておくにも最適なわけで、結果として、死体の上にテントを張ってアウトドア・ライフを楽しむ皆様がおいでのようです。

わたしが昨年そういう場面に遭遇し、キャンプの人に「きのう、その下に死体を埋めたばかりです」と話そうがどうか迷いました。 でも、せっかく楽しいアウトドア・ライフを送っているのだから、おせっかいはよそう・・・と、そのままにしておきました。 キャンプの人、死ぬかと思ったけど、翌日見に行ったら元気でした。

田舎の公務員 30歳 男

 

彼女のうんこ嗅ぐ

転職をした初日。夜8時。新しいオフィスからマンションに帰ってきた私。 緊張でくたくたになりながらも、不安と期待が入り交じった今の思いを、同居している彼女に早く聞かせたかった。 まもなく仕事から戻った彼女。まだ帰ってきたまんまの格好の彼女にしがみつく。 ロングパンツ(いわゆるズボン)にしがみつく犬のような私をあやす彼女。ふいに私の指先が彼女のおしりの あたりに達したその時。スルッとそこにあった穴に中指が吸い込まれてしまった。 ??「おい、このパンツ穴があいてるぞ」「えー、やだーほんとだ。気がつかなかったわ」(私は今どこさわってんだ?) 指先に伝わってくる穴の中は妙に湿っていた。

「だれかに見られたりしなかったかしら」しきりに開いた穴の存在を気にする彼女。 湿り気を感じたことがちょっと気になった私は、なにげなく自分の中指を見た。 (あれ?黒マジックペン?)指先が黒いのだ。第一関節のとこまで真っ黒。 (まさか…)親指でこすってみる。ヌルッ!! 急いで臭いを嗅いでみると、うわっ!!まぎれもないそれはうんこではないか。

「パンティーはいてないのか?」「ばかじゃない、はいてるわよ」 必死で手を洗ってもなかなか落ちない臭いにクラクラしてくる。 「Tバックだろ?」「そうよ、どうかした?」 「今日下痢だったのか?」 「あら、なんでわかるの?ほんとにめずらしく今日お腹いたかったのよねえ」 よりにもよってパンツの穴、Tバック、下痢、そして偶然の行為が 私の指に彼女のうんこをつけさせるとは。 まじであの臭い、死ぬかと思った。

会社員 32歳 男

 

    意識不明になった

中学の入学を間近に控えていた頃です。 もともとノドが悪い私は、肺炎で入院し、前日退院して家に帰っていました。 朝、祖母が私の部屋に行くと、私の様子がおかしいのです。 私は当時寝ていた二段ベッドに座り、うつろな瞳で虚空を見つめていました。 呼びかけても反応がありません。 祖母はあわてて母を呼びました。 その後病院へ向かう車の中の記憶と、病院へ着いてから歩けなくて車イスに乗せてもらった所で、私の記憶は途絶えます。 そしてそのまま再入院。その晩に私は全身けいれんを起こして意識を失ったそうです。

気が付いたとき私が見たのは、集中治療室で数本の点滴と鼻チューブをされた自分の姿と、付き添っている母の顔でした。 肺炎から脳炎を併発したようです。 後で母から聞いた話ですが、意識のない私は暴れて父や看護婦さんをはね飛ばしたり、幼い子供のような言動をしていたそうです。 本人はその間ずっと長い夢を見ていました。 脳が子供に戻ったかのように、1日ごとに、話せるようになったり、字を書けるよ うになったりしていったそうです。

完全復活してちゃんと中学に通うまでに1ヶ月かかりました。 今はなんともないですが、主治医に「高校に入ると思わなかった」と言われました。 ほんと死ぬかと思った。

みつね 19歳 女

 

エロパンツを万引き

私が万引きにハマってた高1のある日曜日、その日も調子に乗って服や化粧品などを大量にちょろまかしてました。 しかし、悪い事は長くは続かなく、「この店を最後に今日は帰るか」などと思い入った店でとうとう御用となりました。 店員さんに声をかけられ腕をつかまれた時は心臓止まったんじゃないかというくらいビクったです。 でもその後の警察に連れて行かれてからが困りました。おまわりさんに1つずつ「どこで、何を盗んだか」を聞かれるんですが、 その中にクラスのみんなに冗談で見せようとちょろまかした、スケスケレースのアソコがパックリ割れたそれはヒワイなエロパンティー (正式名称がわからん)があったのです。

「どうしよう、正直に答えたら『こんなガキが何に使うんだ』と思われる!」それがイヤだった私は何とかそのブツが 「エロパンティーとバレないようにしなきゃ!」と盗んだ物についてアレコレ聞かれている間も考えていました。 そしてとうとうおまわりさんがエロパンを手に「これは何だ?」と聞いてきました!「・・・リボンです」考えたあげくの答えがこれです。 おまわりさんもエロパンを見つめ「これがリボンねぇ」と一言。 この日は死ぬほどつらくて死ぬほど恥ずかしい1日でした、もう一生忘れられません。

泥棒猫 24才 女

   

水虫薬で歯を磨く

「歯磨き粉が変な味なんだよ。違うもんで磨いたのかもしれん。」 出張先の父が夜電話で聞いてきた。洗面用品をいれた旅行用ポーチ(家族兼用)を持って出たらしいが。 「なんかお前、洗顔クリームとか入れてたか?」 自慢じゃないが私にそんなしゃれっ気はない。 「チューブに入った、白い・・」 「???・・・・!・!!!、とーちゃんそれ、私の水虫の薬!!!」 あの時の父の悲鳴はたぶん一生忘れない。

「とにかく口を消毒しなければならない!」と必死でウイスキーを流し込んだそうな。

「あのときは死ぬかと思った」 十数年たった今でも繰り返し言っている。

ぷーたろーねこ 28歳 女

  父親の隣で彼氏の精子を飲む

この間彼氏と会う時間がなかなか取れなく、車で会う事になりました。 車を私の家の近所の畑地帯の奥まったところに停め、じゃれ合っていたところムラムラしてきてしまいました。 そこで性交渉をしていました。 最後に口に出す時に体を起こしたところ、 車の後方から見慣れた人が遠〜くから歩いてくるではありませんか! それは私の父親でした。

夕方だったので犬の散歩をしているようでした。 不幸中の幸いで彼氏の車はミニバンで 外から中が見えないように窓に加工がしてあったので 父親はこちらに気づいていませんでした。 父は娘が淫らな事をしている車の真横を通り過ぎ犬とたわむれていました。 横を通り過ぎる間私はずっと冷や汗をかきながらミニバンの後部座席に身を隠し(二列あって後ろの方でやっていた)ながら、 彼氏の三億匹を口に出していました。

もし向こうが私に気づいていたら、 きっと死ぬかと思うようなことになっていたんだろうな。。。

(ΘεΘ) 16歳 女

   

麻酔少なめ椎間板ヘルニア手術

あれは僕が8歳だったころ、笑ったり、少しお腹に力を入れるだけで下腹部の腸あたりがポッコリ膨れ上がります。 指で押すと元に戻り、痛みも全くないので、面白おかしく母親に見せました。 「ねぇ、見て見て!」その瞬間母親は冷静にかかりつけのお医者さんに電話。 お医者さんは一言「手術しましょうねぇ。」病名はヘルニアでした。

いざ、手術当日。母親は小さかった僕の体を気づかい先生に対し「なるべく全身麻酔は軽くやってください。 あとで後遺症が残るといやなので」、先生も「そうですね、少し少なめにしましょう」ということで手術台へGO。 もうこのあたりから麻酔が効いていて意識なんてものはないです。 で、しばらくすると、目の前が明るくなってきた。ここはどこ?って思った瞬間下腹部に強烈な痛み。 「ぎゃ〜〜!!」と叫ぶとまた意識が遠のいて・・・・・・。 手術中に麻酔が切れて思いっきり生の痛みを数秒味わいました。

あれ、普通に受けたら死にます・・・。 後年、高校でどこかの国の拷問の話があがった時、僕は一人であの痛みを思い出していました・・・・・。

椎間板じゃないみたい 21歳男

 

激辛オナニー

あれは1年ぐらい前、乾燥させる為に干してあったとうがらしを枝からもいでいました。

1つかんでみると恐ろしく辛い。作業を終え、自分の部屋へ。普段から手を洗う習慣の無い私はそのまま自慰行為をしようと自分の陰部に手を伸ばしました。その瞬間、「!!!?」言いようの無い痛みが私を襲いました。慌ててお風呂に駆け込み洗い流すも一向に痛みはおさまらない。親にも言えるはずがなく、あの時は本当に死ぬかと思った。

ジェニファー 15歳 ♀

   

ちんこにシーブリーズ

私が中1の頃。ちょうどチンチンが大人になろうというときでした。 男性の方なら分かってもらえると思いますが、その頃のチンチンはムケたてで、 亀頭のカリ付近が常に湿ってる感じでそれがコンプレックスでした。

ある日何を思ったか、「消毒しよう」と思い、 シーブリーズ=スースーする=アルコール=消毒 という当時の私の法則に乗っ取り、シーブリーズを湿っている部分に かけてみることに。

消毒すれば乾燥しそうだ。とコンプレックス打破の為に、ビュっと一思いにかけた瞬間。 チンチンがちぎれるんではないかと思うほどの激痛、 あまりの痛さに四つんばいで のたうちまわり その間ずっと手は股間に。 パニックだったのでどれくらい時間が経過したかは分かりませんが、 当時の感覚で5分は究極の痛みを耐えていた気がします。

あの地獄の5分間(体感)本当に死ぬかと思った。

GMバンコク 21歳

 

夜勤明けにおねしょ

看護婦3年目になる23歳のうら若き女ですう。 ある日夜勤明けに彼氏の家に行き、夜勤の疲れをとるべく、真っ昼間からぐうすか寝てました。 眠りも深く、ちょっとやそっとでは全く目覚めません。 いつもなら寝る前にちゃんとトイレに行き、だすもんをだしてから床につくんですが、その日に限って膀胱パンパンのままで眠ってしまいました。 「起きてからおしっこすればいいや。」なんてことを思ってたような気がします。 しかし、夜勤明けの体にそんな芸当はとうてい無理でした。夢のなかでトイレで用をたす私。

なんか、小さい頃こんな夢見てたらおもらししてたよなー、なんて思って、ハッ!!!と目が覚めました。微妙におしっこがでてました。 ぱんつもちょっと濡れてた。横で一緒に寝てる彼氏を押しのけ、トイレへ行き、残りのおしっこを勢いよく排出しました。 この歳になっておもらししそうになるなんて、死ぬかと思った。恐るべし夜勤。 そのあと、この騒ぎに起きちゃった彼氏とえっちしちゃったんですが、「ぱんつなんかシミついてるよ。」と言われ、死にたくなった。

白衣の天使? 23歳

    半ケツマット運動

それは高校の頃、自分はかなりのデブでありました。 そして自分の体型をわきまえず購入したジャージはLサイズでした。そのことがこんな悲劇を呼ぶとは思っていませんでした。

ある日、体育の授業でマット運動のテストを行うことになり一人ずつみんなの前で開脚前転をすることになりました。 ・・・そして私の番!私ははりきってマットに手をつき、ゴロン・・いや、ドスンと一回転したのです。 そして戻ってきた時にはきついジャージがパンツをもまきこんでずり下がりみごとな半ケツでフィニッシュ!!

その時の体育の先生(もちろん男)は学校では笑わない先生として有名だったのですが、 その時一度だけ笑みを浮かべました。そして・・・・「大きいジャージ買えよな・・・・・」と一言

その時私は死ぬかと思った。いや、死にたかった・・・・・・・

ブリーベリー 25才 女

 

うんこのかたち変えられる

先月のある日、職場で大腸から直腸にかけて突然うずくまる程の痛みを覚えた。かなりの大物うんこ様が誕生する予感。 帰宅後早速大汗をかき頑張ること30分。頭のてっぺんは僅かにのぞかせるものの、まったく出てくる気配はない。 肛門周辺部の盛り上がりから察すると、硬式野球ボール大の球体のようだ。 夕食後に再チャレンジ。延べ1時間半にわたり意識が薄れるほどに頑張るも、 大物様の周囲から液状のものが染み出すばかり。

一夜明けて翌朝も早くから、頭の血管切れよとばかりにふんばるが、一向に進展はない。 意を決した僕は、大物様と共に消化器科の病院を訪れた。 「便意はあるものの、どうしても便がでません」と僕。

医「癌かも知れませんねぇ」

いきなり癌の告知なのか!?昨日来の格闘で弱りきった僕は混乱するばかり。そして直腸の触診へ。 35年間守ってきた大切な部分に、お医者さんの骨太の指が挿入されること約10秒。 医(明るく)「これは随分大きいね。しかも丸いねえ。何食べたの。……形変えときますから。」

先生の手でスリムな姿に生まれ変わった大物様は、浣腸に誘われてあっさりお出ましになった。しかも愛らしい小物たちとなって……。 糞詰まりで、死ぬかと思った。

あおちゃん 35才 男

   

痔の手術

ちょうど1年ほど前、痔の手術をした。小学校の頃からポツンとあったそれは、年齢を重ねるごとにたるみ、 明らかに「こいつ、痔だな」とバレるようなシロモノに成長していた。 私には付き合い始めた彼がいた。Hする時は見られちゃ困るので、 「電気消して・・・」なんていうメルヘンチックな逃げ方をしていたのだが、それもそんなに続かない。 ここは思い切って痔の「日帰り手術」をしようと思った。

何度か診察してもらい、いよいよオペ。手術どのものは30分ほどで終わったし、 先生の前でトンでもないポーズをとるのもなれっこになっていた。手術をしたその日に帰れるとは言え、オペ直後なので先生からは「家で絶対安静にしててくださいね」と言われていた。

しかし、その日の夜、彼が電話で「今からホテルに泊まろう」と言ってきた。うーん。。。困った。 先生に思い切って「Hはいつぐらいからしていいんですか?」と大胆な質問をぶつけたところ、 「10日ぐらいは我慢我慢」と言われていた私。「今日、アレなの。だから、Hは・・・」とか言う言い訳も思いついたが、 彼氏はそんなのお構いなしの人。。。他にいい言い訳も見つからず、結局お尻の穴にガーゼを当てたまま、 ホテルに行くことにしました。

駅で彼と合流。「今言わなきゃ・・・。部屋についてからでは遅すぎる。。。」と思い悩んだ私は、 彼に「隠していたことがあるの。」とすべてを話し始めた。彼は最初何を話されるのかとドキドキしていたが、 「痔の手術をした」という内容に大笑いしていた。 本人にとっては一大事だったのにぃぃぃぃ。 あのまま隠してホテルに行ってHしてたら、またオペのやり直しになる所だった。 あ〜、死ぬかと思った。

 

 

におい玉がつまる

私が小3くらいの時匂い玉なるものが流行ってました。 直径3mm位のゴムで出来ていて香料でいろんな匂いがついていて、 何に使うでもないのに女の子はみんな駄菓子屋で買って集めて匂いを嗅いでは喜んでたわけです。

さて、ある日私は直径1cmという匂い玉では最大級のデカさのブツを友達に譲ってもらったんです。 蛍光ピンク、苺の匂いのそれを匂っては感動と軽いトリップ状態に。 …と恍惚状態の私は血迷ったか鼻に玉を入れたい衝動にかられて本能の赴くまま。 さすが直径1cm、ジャストフィットしちゃったんです。 何しろ小3、鼻の付け根から押し出すなどという高度なテクニックがわかるわけもなく、 指をつっこんで取ろうとしてさらに奥にブツは入り込んでいき、パニック状態の私は泣き泣き母にヘルプ。

母は怒りつつも耳かき等で取ろうとしましたが、相当奥に入り込んでいて素人の手に終えないと判断。 恥を忍んで耳鼻科に行くことになりました。 が、運の悪いことにその日は木曜。地元の耳鼻科は休みだったんです。 仕方なくその日は玉が鼻に入ったまま就寝。(寝てる間にもっと奥に入ったらどうしよう…)とものすごい不安で眠れませんでした。

次の日、病院に行く恥ずかしさで泣く私は朝の排便に。 泣き過ぎて鼻水ダラダラになってる中不意にくしゃみをしたら鼻くそまみれになったピンクの玉が勢いよく噴射! あっけない幕切れでした…ほんとあの時は死ぬかと思った。っていうか耳鼻科行ってたら死んでた。

21才 チャッピー

   

3時間顔にションベンつけたまま

去年、大学生の私は東南アジアの一人旅を満喫していた。

タイのバンコクからカンボジアへの列車に乗っていたのだが、やはり東南アジア。 非常に熱い。窓から顔を出して頬に当たる風で涼んでいると、なにやら水しぶきが顔に当たる。

「こら気持ちええわぁ〜」と思って、そのまま涼んでいたんだが、空には雲一つない青空。 どう考えても雨ではない。と考えていたらほのかにアンモニアのような鼻をつく匂いがする。 よく見ると前にはトイレが…。そうです。東南アジアの列車ではトイレは垂れ流しなんですね。

列車にトイレはあれど、洗面所などなく、目的地に着くまで3時間ほど顔にションベンつけたままでした。

あんときゃ、死ぬかと思った。

ほう(20)

 

机の角にちんこ激打

あれは僕が小学校2、3年の頃だったと思います。 机を全部後へやり雑巾がけしていました。 雑巾を取りに行くために机の上に膝立ちで上り、自分の机にたどり着くと、机の隙間に下りようとしました。 足が床につく瞬間10歳にも満たない子供の下半身に強烈な痛みが走りました。 それは床に足が着く前に机の角にタマ〇ンで着地してしまったのです。つまり全体重がタマ〇ンに注がれたのです。 その瞬間小さい手で自分の股間をおさえうずくまり、友達の話し声や机を運ぶ音などその他いっさいの音が聞こえなくり、 頭の中はそのタマ〇ンに走る痛みのことでいっぱいになりました。

何も考えることは出来ません、「痛いの痛いの飛んでけー」何度も何度も頭の中で唱えました。 それからやっと痛みが薄れ、立ち上がった頃には掃除は終わり、 こんな激痛に耐えやっとの思いで手にした雑巾の無意味さとまだジンジンしているタマ〇ンに申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。 その日一日変な歩き方をしたのは言うまでもありません。 みんなが掃除をしている同じ時間に激痛に耐えていたとき本当に死ぬかと思った。 むしろあの痛みから解放されるなら死にたかった。

一年生 男 18才

   

たこやきでやけど

日曜日の午前中、たこ焼きをお持ち帰りで買いました。 家に持ち帰る途中、どうしても食べたくなり、いっこだけなら・・・と思い、車の運転中にもかかわらず経木を膝の上に載せてたこ焼きをほおばりました。 アツアツであることは百も承知だったのですが、冷ましたつもりにもかかわらず予想以上にたこ焼きの中身は熱く、 口腔内は一気にやけど状態になりました。

なんとかしようと水を口に含んで一安心したところで、口の中に残っていた物を再び噛んだのですが、 中の蛸が大きめにカットされていて熱が冷めておらずせっかく含んだ水までもがやけど級の熱さになり、 気が動転した私は何とかなるさとそのまま飲み込みました。

口腔内から咽頭、そして食道に至るまでものすごい熱さのたこ焼きが通り過ぎていき、こらえきれずにもう一口水を飲もうとした時、 膝の上のたこ焼きの乗った経木がひっくり返り、膝の上にアツアツのたこ焼きが散乱しました。 ぴっちり目のジーンズを穿いていた私はアツアツのソースの浸透から逃れることが出来ず、 且つ車の運転中なのでどう対処することも出来ませんでした。

口の中の大やけど、太もものやけど、茶色の染みのついたジーンズ、いろんな意味で死ぬかと思いました。

お嬢 女の子

 

自転車で崖から落ちた

当時中学3年の俺は生徒の一部で流行っていた、下校時にやる自転車チキン・ランのチャンピオンだった。 ルールは、自転車で走ってきて高さ6,7メートルの崖から落ちる直前にブレーキをかけてギリギリで止まった奴が勝ちというもの。

俺はいつも前輪の半分が崖からはみ出た状態で止まることができるほどの達人(?)だったが、その時はいつもよりギャラリーが多く調子に乗り、 いつもよりスピードを出していたにも関わらずいつもと同じポイントでブレーキをかけた。もちろん止まれるはずもなく転落。

空中を何回転かし、胸から地面と衝突。その結果、肋骨の3本にヒビが入り右膝半月版の少し上に直径3cmほどで深さが2cmほどの穴が空いた。 膝の穴の中央部には細くて白い糸のようなものが張っており、「これが筋というものかなぁ...」とかぼんやり思った。

一応歩いて学校に戻り病院に連れて行ってもらったものの、どこの病院も患者が一杯でたらいまわし。 崖のある道は、学校で決められていた通学使用禁止の道であり、しかも俺は自転車通学禁止(家が近いため)の身であったので、 病院まわりをしている間ずっと先生に怒られ続けていた。それにしても、落ちている間は一瞬のはずなのに、すごくゆっくりに感じられた。 まじで死ぬかと思った。

あいう営業 26歳 男

    シャンプー直撃

あれは僕が小学校の3年生頃だったと思います。 その日も終わりに近づき、いつものようにお風呂場へと向かいました。 服を脱ぎお風呂場のドアを開けると、そこにプッシュ式のシャンプーのボトルがあったのです。

当時はプッシュ式のシャンプーボトルは世に出回り始めた頃だったと思います。 実際に目にしたの僕はその時が初めてで、そのシャンプーのボトルを手に取り立ったまま少しの間だけ眺めて、自分の足下に置きました。

そして、湯に浸かる前に自分の体に湯をかけようと、洗面器を手にし風呂桶の湯をすくい、いきよいよくしゃがんだ瞬間、僕の肛門から脳天にいままで味わったことのない激痛が走り、僕の断末魔がお風呂場に響き渡りました。

そうなんです。自分の足下に置いたあのプッシュ式のシャンプーボトルの、プッシュする部分がもろ、僕の肛門に直撃したのです。多分7〜8mmぐらいはめり込んだと思います、しばらく立てませんでした。

小学校3年生にして男なのに処女を奪われるなんて、しかもシャンプーボトルに。 死ぬかと思った。

仁 25才

 

好きな人の電話をピカチュウで対応

ハタチの夏。一人暮らしをしている私が部屋の掃除をしていると、電話がなりました。 「あ、俺俺、おぼえてる?」 おぼえてないし、おぼえもない。 それに私にそういうフランクな異性の知り合いはいない。 「なんだよー冷たいなー、忘れちゃったのー?新宿で声かけたじゃーん」 全くの間違い電話だ。どうも街でナンパされた女がデタラメの番号を教えたらしい。

その後いたずら電話が増えた。 そいつかどうかわからんが、無言電話や、遠くで音楽が鳴ってたり、 ダースベーダーみたいな声がしてたり、私もうら若き乙女なので、怖かった。 撃退できるなら、したい。なんとか電話が怖くない日々に戻るのだ。

夜、いつものように電話が鳴り、留守電になるのも待たずに即効受話器を取り、 出来る限りの鬼刑事風だみ声で思い切り言い放った。 「あ゛いっ、もしもし!こぢらピカチューでずがっ?」 「...」ガチャ。 おお、これは効くかもしれない!! プルルルル ふっふっふ。しつこいやつめ。 「こでぃらピカチュウ!ピッガアアア!!」

「.....えっと、田中です。」 「!!!!!」 そのころ私が恋をしていた男の子である。 一回目の電話も彼からで、クラス連絡を回してくれたらしい。 きっかけがつかめないでいる私に友達が気を利かせて、彼に私に回すように言ってくれたらしい。 死ぬかと思った。というよりかは、いっそ一思いに殺してくださいと思った。

フリーター 23歳 女

   

大阪城からダイブする3歳児

会社が講演会で日本に招いた、オランダ人の講師先生を大阪城に案内したときのことです。 190センチの長身で男前の先生は、奥さんと2人の男の子を連れていました。

天守閣を上り詰め、大阪を一望に見下ろそうとしたその時です。3歳になる下の男の子が、 するするっと手すりをよじのぼり、「やぁ」と叫びながら金網を越えて地上へとダイブを試みました。

間一髪、オランダ人のお父さんが足首をつかんで引きずり寄せました。周りの人たちみんながほっとした次の瞬間、 ぼうやは悪びれもせず、もう一度ジャンプ。今度は胴体を羽交い絞めに捕らえた父親は、息子に締め技を決めたまま、 大阪城の長い階段を無言で一気に降りました。

なんとも勇猛果敢な異国の3歳児。負けずに機敏なお父さんのおかげ、死なんでよかった。

ペンギンジロー 男 36歳

 

うじ虫ラーメン

大学生の頃。とてもお腹が空いてたのに何もなくて、やむを得ず1〜2年前に半分残して置いといたチキンラーメンを食べることにしました。 とりあえず食べられるものを発見できたことに安心したので、私は新聞を片手にテキトーに湯を沸かし、鍋でそれを煮ました。 で、そのまま新聞を読みながらテキトーに器に入れて、テキトーに食べ始めました。

多分、その日はなんか面白い事件があったんだと思います。私はずっと新聞から目を離さずに食べていました。 なんかそれは、いつものチキンラーメンよりまろやかな風味だったのですが、いかんせん、古いものだったので、気にもとめずに、 ほとんど食べました。汁もゴクゴク飲んで、あ〜うまかった、と、フトどんぶりに目をやると・・・ ものすごい大量の麺の切れっぱし? ではなく、ものすごい大量のウジムシが、残り少ない水面にプカプカ浮かんでいました。

煮込んでいたのでしっかりチキン味になっていた。 すっかり食った後だったので、どうしていいのかわかりませんでした。 本当に死ぬかと思った。

たかなし 26才 女

    H しながら死んでしまった

もともと仕事が忙しい旦那は。私をほったらかし。 単身赴任中じゃなくても家では、エッチはしない状況でした。 私の旦那は単身赴任中。 先日旦那は、自宅に帰ってきました 私も半年間もエッチがなかったかったし、ムラムラしておりました。 旦那が床に着いた時、いつもなら横には行かないのですが さすがに半年もこの若さでエッチがなかったら・・・・と思い・・・ 旦那の横に就寝。 モゾモゾモゾ・・・・・ 旦那もシタかったらしく、そのまま続行・・・

いたいっ! 子宮が痛い! 子宮が痛くて私がのた打ち回りその痛さのあまりに声を出してる私を見て旦那は私が感じてると思いこみ、さらに行為は続行・・・ 私は子宮の痛さで耐えられない「うぎゃぁぁ〜」 痛い!痛い!いてぇよ〜〜〜〜〜おいっ!子宮がでんぐり返ししたかの様に痛い。

冷や汗は出る。子宮は痙攣状態!ピクピクピク! のた打ち回る私を見て旦那は状況を把握した。 私はさらに吐き気をもよおしその場でゲロ・・・オエッ! しばらく腰をさすってもらっていたが、さらに痛さは増すばかり冷や汗も止まらない。寒いし、痛い。 はずかしながら、エッチは終了!そのまま救急病院へ

診察後、「子宮は常に使っていただきたい。たまにスルからこんなことになるんだよ。使えるものはつかわなきゃね」と、先生に言われた。

31歳 主婦 美和っぺ

  ゴキブリ裸足でつぶす

小学校高学年の夏の夜のこと。 アイスでも食べようと思って台所へ! 台所は真っ暗で、暗闇の中 冷蔵庫へ向かって行くと

ムニュッ

っと変な刺激が私の足の裏に!! しかも、夏なのでもちろん裸足!! 「ごはんでも落ちてたのかなぁ〜」 っと、その正体を予想しながら 電気をつけると・・・・・ 「ゴッ・・・・・ゴキブリ」 なんと、私の足の裏にはゴキブリの手足がくっつき、 床には胴体らしき黒びかりする物体が・・・。

そこへおじいちゃん登場! 「洗ってやるべ〜」 はっ?おじいちゃん、見てたの? なら、声かけてヨ・・・・。 そして、おじいちゃんはお風呂場で丁寧に 私の足を洗うと、何事もなかったかのように 自分の部屋へ行ってしまいました。

でも、あの時は今までにない感覚に 死ぬかと思った・・・。

KAKO 高1 女

   

イギリスで車にひかれる

イギリスの片田舎に留学していた頃、横断歩道を渡ろうとして白いバンに轢かれた。 周りに人影はなくて当然轢いた車もそのまま逃げた。 あいにく私は全く英語が話せず、さらにお金も全然持っていなかったので、 ホームスティの家に電話をかけることもタクシーに乗ることもできなかった。

10分くらいのところを2時間かかって、泣きながら歩いて帰?た。 歩く姿はマイケルジャクソンのスリラーみたいだった(と思う)。 家に着いても家人に何があったのか説明できず「car」「hit」を繰り返すばかり。 血はどんどん出るし、頭もフラフラしてきたところで、やっと救急車を呼んでくれた。

「轢き逃げ」「語学力ゼロ」「貧乏」の3つの不運が重なって、マジで死ぬかと思った。それほど重傷じゃなかったのに。

30才 女

 

プールで男の子のパンツをずり下げる

あれは私が小学校2、3年生の頃でした。 ある日、近所のお姉さんに連れられて、友達数人とプールに行った時の事。 浮き輪にお尻を乗っけてプールでプカプカ浮いていました。

そしたら、何かのはずみでバランスが狂い、くるっとひっくり返ってしまったんです。 なんとか顔を水面に出そうと頑張ったのですが、浮き輪が邪魔をして、思うようにいきません。 段々と息苦しくなって、パニックになった私は、とにかく何かにつかまろうと手を伸ばしました。 そうして、ようやく何かにつかまり、水面を顔に出せた!と思った瞬間、「この変態!!!!」という罵声が浴びせられたんです。

私がつかんだもの・・・それは見知らぬ男の子の海パンでした。 自分が浮き上がるのと引き換えに、その子のパンツを引き下げてしまっていたんです。 「違うーーー!」と声を大にして言いたかったのですが、まだ鼻や口からは水が流れ出ている状態で、 言葉を発する事ができません。

その間に、男の子は、バシャバシャと私に水をかけながら、怖いものでも見るように逃げ去ってしまいました。 こんな浅いプールでまさか溺れたとは思ってもらえず、すっかり痴漢扱いされてしまった私は、 ショックと苦しさで死ぬかと思いました。

30才 女

   

 

人が入ってるトイレをあける

出張先での仕事も無事終わり、帰りの新幹線で缶ビールを飲み つづけました。そのせいで猛烈オシッコに行きたくなりました。 新幹線のデッキのトイレの和式だけが空室でした。 助かったという思いで、ズボンのジッパーを下げながらドアを開けました。 ところが、そこには何かがしゃがんでいるではないですか!

ぼくは酒酔いのせいかなあ、と目をこすりました。そしてもう一度 よく見てみると、そこにしゃがんでいたのはなんと、女性でした。 パンツを下げてオシッコしていました。きれいなお尻の曲線が 目に焼き付き、ぼくはしばし呆然と立ち尽くしました。

その女性が少し動いたので、ぼくは我に返りました。このままでは ぼくがチカンか変質者に間違われてしまう! そのとき考えたのはカギのかかっていないトイレでなぜ女性が用を足しているのか、ということよりも、 もしここで声でも上げられたらぼくが変質者にされてしまうのでは、という身に迫った危機でした。

ぼくは思いっきりドアを閉めると、猛ダッシュで席まで走りました。 それからしばらくしてズボンのジッパーが開きっ放しなことに気がつきました。 ああ、あのバカ女。おまえのせいで死ぬかと思ったよ。でも尻はきれいだった。

二流サラリーマン 男 30歳

 

 

サラダ油を飲む

私が、年少さんだった頃。 キャンプに行きました。 遊んでいると喉が渇き、水道へ行きました。 しかし、そこはモーレツな臭い・・・・・・。

耐え切れなかった私は、親がいるところへ行きました。 すると、コップに入った液体があって、 「ごくっごくっ」 と飲んだら・・・・・・・・。 油だった。

ツナサラダ 12歳 女

   

さつま揚げをとばす

小学生の給食の時のことです。ある日、おかずにさつま揚げがあったのですが、 これには僕の嫌いなチーズが入っていたのでげんなりとしていました。 といって残してしまうことは先生に許されてなかったのでしばらく悩んだ末、ある方法をおもいつきました。 「一気にのみこんでしまおう!」

僕は当時の僕の握りこぶしほどあるさつま揚げをそのまま飲み込もうとしました。 そいつは僕の喉で見事につまりました。約五秒ほど首を両手で押せえ「うご、ごぇごぉ」ともがいていました。 次の瞬間、ポン、と見事な曲線を描いたかどうかは知りませんが、ぼくの唾液とともに床へと飛んでいきました。 同級生には大ヒンシュクをかってしまうし(特に女子には白い目でみられてた)、先生にはド叱られてしまうし、もう散々でした。

あれは肉体的にも、精神的にも死ぬかと思った。

さんまの川 男 25才

 

硫酸をなめる

中学2年、化学の授業中でした。 教壇のビーカーには、無色透明の3種類の液体。塩酸、酢酸、硫酸の水溶液。 ビーカーには何の表示もないまま、先生は、「手で仰ぐようにして匂いを嗅いで、どれがどれかあててみなさい」。 さらに先生はご丁寧に、「酢酸は、料理に使う酢とはちょっと違うけど、舐めてみても大丈夫や」。 僕は3個あったうちのひとつの軽く匂いを嗅ぐや「あ、これが酢酸や」と軽く叫んで、人差し指をドボッ、 その指をチューと吸ったその時です。

「ヂュー」という音が、そばにいた5〜6人には聞こえたことでしょう。僕の口の中で、サイダーの1000倍パワーの小さな泡たちが弾け回りました。 反射的に口の中の液体を、全部床に吐き出したものの、口の中はカサカサに渇き、なぜか歯がツルツルになりました。

心やさしい女の子約1名は、いまだ事態が飲み込めず、床の上で白く泡立つ僕の唾(だけではない)を見て、「きったないなぁー」と罵る始末。 白目をむいて仰天する先生をあとに、僕は洗面所に一目散。死に物狂いで口を濯ぎました。 うけ狙いでは、少々のことは平気な僕でしたが、あれが硫酸だと知っていたら、とてもあそこまでは・・・。 飲み込まずに済んでよかったけど、僕以上に先生のほうが、死ぬかと思ったことでしょう。

ペンギンタロー 37歳 男

   

生肉をそがれる

16歳の時、バイクで事故を起こしました。 医師に入院を告げられたにもかかわらず、ヤセ我慢をして帰った結果、 傷口はものの見事に化膿していました。

病院に行くと、先生が『あ〜ひどいね。だから入院すればいいのにね〜。』と言われました。 『それじゃ〜、化膿してるところの肉。削るからね。そこに座って。』と言われ、 ベッドに座って待っていました。 しばらくして、先生も看護婦さんも道具をそろえてやって来ました。 『はい!じゃ〜悪いところ削るからね。痛いから、麻酔するか?』 と言われましたが、何せ生意気な年頃だった俺は、格好悪いと感じて思わず。 『いりません我慢できます!(きっぱりと)』と、 言っていました。

その後、メスで肉を削る作業は30分ほど続きました。 それはもう、あまりの痛さで失神するかと思うぐらいでした。 終わったときに、先生が言いました。 『ははは、よく我慢できたね〜♪普通我慢できないよ。 痛いなら痛いって言えばいいのに。ははは』 と、笑っていた先生の顔が今でも忘れられません。 この30分は、本当の拷問のようで痛さのあまりしょんべんも少しチビってました。 この時はさすがに、本当に死ぬかと思った。

俺はピリピン人じゃない 30代 ♂

 

鼻にサロメチールを塗る

小学3年の冬、ひどい風邪をひいた。 私は風邪をひくと、いつも鼻が完全に詰まって息苦しくなる傾向にある。 その時も自分の部屋でおとなしく寝ていると、母がやってきて「どう苦しいか」と聞いてきた。 私はいつもどおり息苦しかったので、「鼻が詰まって息苦しい」と言ったところ、 母は「スース−するものを鼻に塗れば、息が通るかもしれない」と言い出した。

胸に塗る風邪薬もあるわけだから、確かにその考えは一理ある。 しかし母は、信じられないことに、私の鼻の穴の粘膜にサロメチールを塗ったのである。 サロメチールがたくさん付着した母の太い指が私の鼻の穴に入った数秒後、ツーンとくる独特のにおいとヒリヒリする激痛が、 絶妙なハーモニーをかもし出して私の鼻の穴の中に広がった。

私は絶叫し、悶絶した。 あの時は、風邪の苦しさと、2時間近く続いた鼻粘膜の痛みで、本当に死ぬかと思った。

BoostUp 35歳 男

 

   

トラックに挟まって自転車進む

あれは高校2年の初夏のことでした。 学校へ行く途中には、車の往来の激しい長い坂道がありました。 自転車で通学していた私は、その日も、他の自転車で混雑している一段高くなった歩 道ではなく、車がゴーゴー走っている車道のほうを爆走していました。

すると、隣にでっかいデコトラがやって来ました。 わ、ちょっと恐いかも、と、ペダルを踏む足を緩めました。 しかし、なぜか自転車のスピードが上がっているのです。

え?と思って足元を見ると、なんと、トラックのギランギランのごっついホイールと 歩道の縁石が見事に私の左右のペダルを挟んで、火花を散らさんばかりにガリガリと進んでいるのです。 わたしはただ「アアアアアアア!!!!」と叫びながら、トラックがうまい具合に離れてゆくまで、 学友共の視線を感じながら高速で驀進するしかありませんでした。

果たして、あのときのトラック野郎はわたしを挟んでいることを気付いていたのだろうか。 ちなみにトラックの後ろには、「人妻なぐさめ会」と大書してありました。 そんな会作ってる場合じゃねんだよ。

エモ 27才

 

糊を目に入れる

弟が中学生くらいの時の話です。

私が居間でテレビを見ていると弟がやって来ました。 二人でそのままテレビを見ていると弟がテーブルの上に糊が1滴落ちて乾いているのを見つけました。 そのうち、それを爪で剥がし始め、人差し指の上にのせ「兄ちゃん、コンタクト!」と言って目に入れるまねをしていました。 「バカなヤツ」と私があまり相手にしなかったら、くやしかったのか弟は本当に目の中に入れてしまったのです。 「痛い!痛い!」ところげまわる姿を見て、ふざけていると思って笑っていたのですが、 弟のただならぬ騒ぎように心配になり見てみると目に入ったコンタクト(糊のかたまり)は、 水分が加わり目にくっついて指では簡単に取れない状態でした。 (黒目の上にシッカリとくっついていた。)

どうしようもないので様子を見てると、しばらくのたうちまわった後、涙で流せないと思ったのか、洗面所にかけこみ水で流してました。 目を真っ赤にしてもどってきた弟は「死ぬかと思った。」と言ってました。

見てるだけ〜 34歳 男

   

電気スタンドに小便して感電

保育園に通ってる時のこと。 その日は母はママさんバレーがあって寝るのが遅く先に父と寝てました。 普通に朝起きて下に下りたら母に「あなた夜どこでおしっこしたの?」と 「うげぇ?(まさかおねしょしたっけ?)昨日は夜おしっこしてないよ!」。

でも話を聞いたら、母が寝ようと寝室に入ったら「バチバチ」と音がしてたらしい。 なにかなーとおもったら枕元の電気スタンドが感電してる。 母も驚いて電気スタンド行ってみたら液体がかかっていたらしい。 そう!まさに僕のおしっこであった。 かすかに夢心地におしっこをトイレにいってした記憶が…トイレではなく自分の枕元だったとは…。 母曰く「あとちょっと遅かったら家事になってたわね」。 新聞に「子供のおしっこで家全焼!」なんてでなくてよかった。 死ぬかと思った。

コロ助 24歳 ♂

  薬の銀のケースを吐く

何年か前のことです。風邪をひいて医者に行き、そこで薬をもらいました。 銀色のアルミのようなケースに入っていて、プチッと押し出す、よくあるタイプの薬です。 私は処方された薬はまじめに飲むたちで、その日の朝も、ねぼけながらもきちんと服用しました。 ところが、その日に限ってなんだか飲みにくいのです。

おかしいな〜と思いながら水で流し込んで数分後、突如ものすごい吐き気と脂汗が。 胃がけいれんしているような痛さと、せりあがってくる苦しさで、文字通り喉に指をつっこんでしまったほどです。 「なんで? なんでこんなに痛いのか?薬を飲んだだけなのに・・・。もしかして変な薬がまぎれこんでたんじゃ・・・」 もうろうとする頭でそんなことを思いつつ、目からは目やにと涙を流し、やっと吐き出したものは、なんとアルミケースに入ったままの薬。

そう、そのまま飲んでしまい、胃にたどりつくまでに食道がそれを逆流させた痛みだったのでした。 今だになぜケースから出すのを忘れたのか思い出せません。 下手したらあの時死んでいたのかも、と思うとぞっとして、死ぬかと思いました。

くろにゃん 33歳 女

   

全身にばらのとげが刺さる

小学校低学年の時に体験した事です。 朝の5時起きして近所の山にカブトムシを取りにいった帰り、あまりの睡魔に自転車で半居眠り運転をしでかしてしまいました。 見事にハンドル操作誤り道の脇の綺麗に咲いてる大量の薔薇にブレーキもかけずだいヴっ! 何が起きたか分からないまま友達に手差し伸べて「助けて…」なんとか引きずり出してもらったはいいけども全身傷&刺地獄!痛い…全身痛い! もう家までの帰り道「なんで、なんで…」と自分が寝たことと運転センスのなさに疑問を抱いてた。

見事家に帰ったら母親に大目玉くらいました、しかしこっからがまた悲惨。 刺に引っかかれた傷にオキシドールを、「うぎゃー」しみる!顔やら手のひらなどの刺抜くため、ピンセット&注射針を使用。 それが痛い!全身に20くらい刺が刺さってて、もー深く刺さったのは悲惨なもんでした。 針の先で皮膚を切って刺を出す、これがまた恐怖で号泣しながらとってもらってました。

その日はあまりにも治療に時間かかったため学校はサボりました。 その日以来早朝カブトムシ取りは行かなくなりました。 あんな刺ささってたとは…でも目に刺さらなくて良かった。 死ぬかと思った…

ベルサイユの薔薇 24歳♂

  アルコールランプ爆発

大学の化学実験でアルコールランプを用いました。 実験も終了を迎え、フタをひょこっとかけてランプの火を消しますです。 小学校から扱っていたアルコールランプだったので、我ながら手慣れた感じでフタをしました。 「カパッ」「ッッポーン!!」アルコールランプ大爆発。 飛び散るガラス片と広がるアルコールと燃えさかる火。 もうパニック!!涙目で「せんせぇぇええ!!」

先生は慌てずに離れなさいとだけ言って火を消してくれました。 原因はフタに入っていたヒビだそうです。 非常に怖い思いをしました。

んで、次の週の実験で。 今度は慎重に。うん。ちょっと緊張しながらも。 「カパッ」「ッッドーーン!!」「!せんせぇぇええ〜!!!」(泣き入ってる)

もう金輪際、アルコールランプなるものには手を出しません。 2度目の原因は分からないです。またヒビだったのでしょうか? あ、あとジッポの火も怖くいまだに消せません。

20歳 さくら

   

でかいうんこを友人の親に見られる

あれは、私が高校生の時のこと。 私には、毎日毎日家に行くとてもとても仲の良い親友がいた。 その日もいつものように放課後家に行った。 で、いつものようにトイレに。 でも、その日は「大」がもようしてきた。 まあ、そんな事を気にする様な関係じゃなかったから、な〜んにも気にせず、もう「フ〜ッ」って声が出るほどの素晴らしいのが出たっ!!

写真に撮りたいくらいに良いのが!!そこまでは良かった。 普通に流して鼻歌を歌い、「ちょっと〜今最高のうんこが出たわっ!!」とか言いながら、と、その時に親友Yのママが帰宅。 その日ママは家に入った瞬間トイレットへ! すぐにトイレから「ギャ〜ッ!」って声。 その時、私はいや〜な予感が。そうです、あまりにも立派すぎたため流れず、目があったそうです。

23歳 ヘアメイク 女

 

腐ったおにぎりを友人にあげる

中学校の時部活をやってて朝練があるときのこと。 おにぎりを作ってもらいそれが朝飯代わりだった。 その日のおにぎりはあまりにも巨大すぎて2つほど残して部室に放置してました。 次の日にクラスの友達が「腹減った〜」というので、部室まで行って友達にその1日部室で熟成された巨大おにぎりをあげた。 まぁ1日くらいだから平気だろーと思い、昨日のおにぎりとは言わなかった。

友達は「このおにぎりうまい!納豆の味がする!」とほざく。 土曜の最後の3時間目の授業が終わった。 おにぎり食った友達は野球部の子で午後試合があったらしくみょ〜に気合がはいってた。 そんな姿を見て、1日たったおにぎりでもへいきなもんだなーと思い。 その友達に何気なく「さっきくったおにぎり昨日のなんだよね〜」といった瞬間、 顔色が青くなって立ち尽くす友達。「え?え?嘘だろ?」「イヤ…マジ…」。

その後その友達は嘔吐&下痢に襲われたのは言うまでもない。 その事件はイロイロな人の耳に入り、PTAの懇談会でうちの母親はえらい恥じかいたらしい。 母親は馬鹿な息子のために父兄の前でそんなこと言われて死にたいと思ったことだろう。

アフロ犬 24歳 雄

   

生足で太ももまで雪に埋まる

高校3年生の真冬。その日は北海道北部だけあってむちゃくちゃに吹雪いてました。 授業は昼で切り上げられ臨時下校に。みんな親に「車で迎えに来て」と電話をかけたりしていましたが、 進路等で親に迷惑かけてるから歩いて帰ろうと思い歩いて帰る事にしました。

家まで1キロなので問題無いだろうと思ったのが間違いでした。途中、近道をして帰ろうと思いあまり人の通らない小道を選択しました。 だんだん行く手を阻む雪が深くなってきました。気がつくと膝下までありました。めちゃくちゃ冷たいです。 女子高生なので素足にハイソックスなのでした。北国に住んでいても生足。女子高生の意地。今思うと馬鹿ですが。 感覚が鈍くなってくる足をむりやり進めていましたが、そのうち動かなくなりました。

何ごとがと思うと雪が太ももの半分まで。 それに、雪の冷たさのせいで体温が下がってきているのか呼吸も変になってきていて頭もポ〜っとして眠気がきている事に気づきました。 「ヤバい。眠ったら死ぬ!」と慌てて近くの民家まで転がって行き、電話を借りて結局親に迎えに来てもらいました。 その時、ツノのついた妙な帽子をかぶっていたので民家の人は凄い驚いた顔をしていて「いっそ殺して」と思いました。

こんなんだったら初めから電話かけてれば良かった...と後悔しつつ親に文句言われつつ帰宅。 家に帰ってもその日1日心臓がおかしくて死ぬかと思いました。北海道は怖い所だと思いました。

Jericho 19歳 女

 

入院費を課長に立て替えてもらう

24才のときのことです。ひどく呑んだ次の朝、目覚めると病院のベッドの上でした。 オムツをさせられていて、右手はベッドに縛り付けられ、点滴の針が刺さっていました。 さらに大事なチンチンから管(カテーテルというらしい)がのびていました。 ベッドの上で狼狽していると、近くのスピーカーから看護婦さんの声がしました。

看護婦「○○さん起きましたかー?」 私「すみません、ここはどこでしょう?」 看護婦「○○市の○○病院です。救急車で運ばれてきたんですよー。会社に は連絡を入れておきました。課長がお昼にくるそうです。」

昼に課長がやってきました。後で聞くと会社では結構な騒ぎになっていたようです(病院が会社に連絡をいれたから)。 課長はくるなり「金はあるか?」と聞きました。「2万円ほどなら。」と答えたのですが返事はなく、保証書を手渡されました。 それは4万円の入院費の保証人にさせられた課長の名前が自筆でかかれていました。 自分でも署名し、まったく会話のないまま、課長は会社にもどりました。会社人生が終わったと思った瞬間でした。

会社には始末書を提出させられました。もう呑みませんとは書いたのですが、 さすがにその約束は守られていません。

34才 男

   

いも虫たべる

あれは確か僕が中学一年か二年の時のことです。 その夜、祖母が久しぶりにうちに遊びにきていたので、家族とみんなでレストランに行きました。 そこで僕は、セットメニューを注文し、始めにでてきたサラダを食べていました。 しばらく食べていると。フォークの先に何かプ二っとした感覚があったのですが、余り気にせずにそのまま口に運びました。 そして一口かんだ瞬間、それまで経験したことのなかったにがくてなまぐさい味が口中に広がりました。

あわてて吐き出すと、そこにはからだをつぶされて変な色の汁を出しているイモムシちゃんが! なんとサラダの中にイモムシちゃんが潜んでいたのです。 テーブルの空気がとまり、私は水をかぶのみしてなんとか口の中に残った味を消そうとしました。

そんな時、祖母が言った一言、あれまぁ、野菜が新鮮な証拠だねぇ。 それ以来、僕はサラダを食べるとき、必ず一回よくかき回して虫がいないかどうかチェックしています。 今でもあの味が忘れられません。ほんと、死ぬほどびっくりした。

 

金魚ラーメン

高校の頃、駅からちょっと離れたとこにラーメン屋があってそこによく行ってた。

ある日友人と二人でラーメンを2つ頼んだ時のこと。 「はい。おまたせねー。」と言って、おばあちゃんがやっと持ってきたラーメンを食べようとしたその時。 ラーメンに、目の前の友人には乗っていない赤い奇妙な物体が。 「辛めのメンマかな。」と思いよく見ると、 「、、、、金魚?」 そうです。 厨房からできあがったラーメンを置く台が、水槽の脇に置いてあるため 金魚ちゃんが元気いっぱい飛び出しちゃったみたいで。

少し白く茹で上がった金魚が一匹。ラーメンの上に乗っているのでした。 「、、、、ダシ?」

目の前の友人がすぐさまおばあちゃんを呼んでくれました。 「ありゃりゃ、こりゃ食えないねえ。」 、、、当たり前だ。 そんなトッピング頼んでない。 卵やらホウレン草やらと一緒で見た目はなんかきれいに見えるけど。 「よくあるんじゃよ。ごめんねえ。」 おばあちゃんはそういってラーメンを取り替えにいきました。 じゃ、水槽動かせよ。

死ぬかと思った。

sada

   

空港でピンクローター見つけられる

当時遠距離恋愛していた彼女に逢うあため、飛行機に乗ろうとしたときのこと。

搭乗手続きをしてから荷物を係員のお姉さんに渡した時、「金属検査してもよろしいですか?」と聞かれた。 別に刃物や麻薬が入ってるわけでもないのでその時点では何も考えずに「あー、いーですよー」 とOKしたら金属探知機がピコピコ鳴り出した。

「お客様、こちらへどうぞ」なんて言われる。初めての体験なのですごく焦った。頭の中で荷物の中身を考える。 着替えとお土産と・・・何も鳴るはずがない・・・あ、思い出した!前回彼女が来た時にうちに忘れていったピンクローターが入ってる!! 一気に血の気が引く。「中を確認してもよろしいでしょうか?」と聞かれてももちろん断ることもできない。 カバンを開いて「あーこの手帳の金具が反応したのかな?」なんてごまかすように自分でガサガサやってしまい、 怪しさ200%である。「こちらで見ますのでー」とお姉さんが僕を制止しようとしたその瞬間、僕の手はローターのスイッチを触ってしまった。

ガガッガガガガガガッ!

最悪の不審物が紙袋の中で動き出した。「あっ、あのっ、あのっ、携帯が、携帯がっ」支離滅裂のフォローをするが万事休す、 お姉さんに紙袋を開けられてしまった。お姉さんは冷静な声で「もう結構ですから行ってください」と言いつつもすごく冷たくてきつい視線だった。

恥ずかしさのあまり、死ぬかと思った。

tac 25歳 男

 

 

まんこ針で刺す

18歳の時のこと。彼との行為が原因で、私の股間のもっとも敏感な部分に傷が。 しかもばい菌が入ったらしく、尋常じゃないぐらいに腫れた。 おしっこもできない、パンツも履けない。そんな状態になった時にはじめて鏡で確認。 なんじゃこりゃ!子供のオチンチンぐらいのもんが成長している!これはヤバイ! 覚悟を決めて看護婦の母に告白したところ、刺して膿を搾り出すことに。

翌日、母が勤務先から持って帰ってきたのは恐ろしく太い注射針。 「しよか。パンツ脱いで。そこ(リビングの床)に寝て」 私は18歳・・・。この年でこんなとこで母親に股を広げるとは・・・。 そして針が患部に触れた途端、 「いやぁぁぁぁぁぁぁ!!!痛いぃぃぃぃぃぃ!!!」 私は何を思ったか彼氏に電話。股は広げたまま。 「痛いねん!痛いねん!!」 母は隙をみて「ブスリ」! 「うぅぎゃあぁぁぁぁっ!!!やめてぇぇぇぇ!!!」 私は泣き叫ぶ。彼氏は実況中継(叫び声)を電話で聞くのみ。母は心なしか楽しそう・・・。 そして・・・その後の記憶はさだかではない。

それから数週間、トイレに入るたびに目に涙をためながら膿を搾り出し、消毒液を患部にチョンチョンした。 ・・もう死ぬかと思った。

22歳 女 大学生

   

サンタさんの贈り物

小学校3年のクリスマスイブ。 今晩サンタさんがソリに乗ってやってきて、プレゼントを置いてくれるもんだと 本気で信じてた。

そのサンタさん、つまりうちの親父なんだけれども、イブの晩、 ベロンベロンに酔っ払って帰ってきたらしくて、 グデングデン状態で僕の枕元にプレゼント置いたらしいんだよね。

その朝、ツーンという臭いとともにさだ起床。 枕元にはプレゼントとゲロがそろって置いてありました。 その光景にあ然とした僕は、 「そのままもう一度寝る」 という現実逃避に走ってしまいました。 子供なりに耐えられなかったみたい。 許容範囲超えてたんだね。子供なりの。

父は二日酔いで倒れたままでしたが、 母は僕に「ごめんね」と何度もあやまってました。

でもプレゼントの中身が、 ほしかったファミコンのカセットだったので、 僕はごきげんだったはず。

とにかく死ぬかと思った。

sada

  犬の屁を嗅ぐ

この前、犬の散歩に行った。家の犬は最近下痢気味なので、糞を取るのも一苦労。 そして事件は小学校前で起きた。例のように犬が糞を出したので、仕方なくとっていた。 『下痢は本当に取りにくいなあ・・』とため息をつきながら取っていた。周りには小学生がたむろしてこっちを見てる。 犬の尻も糞で汚れていたからついでに一生懸命拭いてあげてた。

その時、まさにその時。『ぶう』という大きな音とともに、馬鹿犬が屁を放ったのである。まさに鼻先数センチ。 ため息をついた直後で思い切り息を吸ったまさにその時・・。一瞬めまいがした。もう、この世のものとは思えぬ臭さ。

犬のやつは一昨日、残り物のカレーを食わされていた。それを思い出させる臭さ。 『いやーあの犬屁ばふりよったばい』と馬鹿小学生が大声で言いやがった。馬鹿犬と下痢袋を置いてダッシュで逃げそうになった。 いそいで馬鹿犬を引っ張って連れて帰った。それから散歩コースを変えている。カレーもまだ食べる気がしない。 あー死ぬかと思った・・。くさかったよう・・。

23 女

    ラジオ体操連続24回

夏と言えば夏休み。 小学校ん時、 早朝に近所の公園でラジオ体操させられた。 首から下げたカードにハンコ押してもらうやつ。

僕は当時から朝がめちゃめちゃ苦手で 夏休みが終わるまで結局3日くらいしか行かなかった。 そこまではよかった。夏休み中はよかった。

夏休み終わって学校初日。 体罰の神こと村上守先生(死亡済)が 僕のカードを一目見た瞬間、 「ラジオ体操。欠席分、今日中にやれ。」

授業がすべて終わって放課後のグラウンド。 僕一人職員室から見下ろせるグラウンドの端に立ち、 ラジオ体操連続24回。延々。 みんな部活とかやってるなか、一人。 あたり暗くなってくるし、さびしいし、恥ずかしいし。

そのころCDなんてなかったから 一回ラジオ体操終わるたびに また自分でカセット巻き戻して。

たまに巻き戻しすぎて 「♪あたーらしい朝が来た。きぼーうの朝ーだ!」 なんて曲を聞いちゃったりして。 しかも希望も何もない状態でこの歌詞。 しかも夕方。 一人。 とにかく、生き恥としてラジオ体操連続24回。やりとげました。

屈辱と疲労の中、すべて終了し、 村上先生に報告するため職員室を訪れると、 村上先生は帰った。とのことでした。

泣きました。

それからラジオ体操の音楽を耳にするたび、 今でもなぜだか涙が出てきます。

 

ハイターの風呂

沖縄県はの某離島出身なのですが 中学校の時に、キャンプに行き自然探索を して浜辺を歩いていました

枯葉が激しい所を歩いていると突然視界が真っ暗に・・・・ その次に遅いくるこの臭いは・・・。 そうです、ふたの開いたままの肥溜めに落ちてしまいました。

友人に引き上げてもらったのですが水で洗っても落ちず、臭いも取れず。 そこで、ドラム缶を探してきてそのドラム缶に近くのスーパーで買って来た台所用漂白剤(ハイター)を4本分ほどと、 水を入れ漂白剤風呂に・・・。

しかし、全身かぶれて激痛の一夜でした

死ぬかと思った!

おじぃ 34歳 男

   

彼氏の家でうんこ

私がまだ18歳だったころ、 彼氏の下宿先へ遊びに行きました。 その日朝から大きな方のトイレを済ましていなかったので、 気になっていたんですが、 まあ、いいかと気にしなかったんです。 そしたら、やはり、彼氏の下宿先で、もようしてきてトイレ借りますと言って大の方をしてしまったんです。 そしたら彼が、 「あっ!今 水流れへんから そのままにしといて!」 と言われ、 うそ〜〜〜〜この大きなうん○を彼氏に見られるの?と真っ青。 「すぐに 私 自分で流したいから バケツ貸して下さい!」 とお願いすると 彼氏が 「え〜〜〜ひょっとして うん○したの?」 と言われたとき 死ぬかと思いました。 適当にごまかして、バケツを借りて 流しました。

主婦 ハニ−アップル

 

死んでたおじいちゃん

あたしがちっちゃい頃の死ぬかと思った体験です。

ある日の朝、お姉ちゃんと一緒にその事件はおこったのです。 あたしとお姉ちゃんが母に「おじいちゃん起こして来て!」と頼まれ、当時70代前半だったおじいちゃんを起こしに行きました。 おじいちゃんの部屋に入ってみると、まだ寝ていたので4歳だったあたしと、6歳だった姉はてっきり寝ているものだと思い、 おじいちゃんの上に乗ったり、まくらやピコピコハンマーなどで叩いていたのですが、 ピクリともしないので母に「おじいちゃん動かないし、起きないよ〜」とノン気に言うと、 母は血相を変えて部屋まで走り出し、おじいちゃんを呼びました。 そして母は、「おじいちゃん!!お母さん!救急車!!」とか何とか言って、すぐ救急車を呼びました。

のちのちお姉ちゃんと気付いたコトは『おじいちゃんは死んでいた』ということです。 今思うと本当におちゃらけていた自分に反省します。 おじいちゃん、あたしはいつおじいちゃんに呪われるかとても心配です。 本当に死ぬかと思いました!というか、死にたくないです!

おちゃらけ少女 女 14歳

   

BB弾が足にめり込む

小学校高学年の時、仲間内のボンボンがガスガン(ハンドガンタイプ)を買ってもらい、 自慢しにもってきた。当時ガスガンは高価で普通の小学生では、 買えないか、親に反対されるかだったので、一躍そいつはヒーローに。

「これはねぇ、お店の人に特別に改造してもらったからさぁ、当たったらヤバいよ〜」調子にノリまくる友人。 何だか無性にムカついて来て、「そんなもん、大した事ね〜よ」と、ガスガンを取り上げ、 銃口を自分の「すね」に当て引き金をひいてしまいました。

バスンと大きな音はしましたが、ちょっと熱くてジンジンするくらいで、「ほら、全然大丈夫だよ」と言ってみた所、 みんなの目が点に。ガスガンで撃った所をみると、BB弾はすねに埋もれ、血が盛大に流れておりました。 ホントに強力に改造されてました。

ここで焦ってはカッコ悪いと思い、平静を装って「なんだ、結構威力あるじゃん」とかいいながら、 BB弾を指でほじくり出そうとしても、どんどん埋もれて行って取れないし、血は止らない。

それでも平静を装って、家が近所の奴にピンセットを取ってこさせ、無理矢理ほじくり出しました。 そんな男気を見た仲間内から今度は僕がヒーローに。

僕が死ぬかと思ったのは、 翌日ガスガンの持ち主がライフルのガスガンを持って来た 時の、みんなの期待の眼差しを感じた時です。

土管職人 28才 漢

 

ブランコから落ちる

小学生のころ、ある日の下校後、一人で校庭のブランコに乗り遊んでいると 何故か次第に自分の中のボルテージが上がって来た様で、 「このまま立ち漕ぎでどの位の高さまで漕げるのか?」と 変なチャレンジ精神が沸いてきて、ブランコをを吊り下げているポール (支柱?)と水平なくらいまでブンブン漕ぎまくりました。

ふと気づくと、必死になり過ぎたせいでブランコの鎖を握る掌がじっとりと汗ばんで滑りがちになってきたので、 「このままでは危ない」と幼心に思った私は次の瞬間履いていたスカートの腿の部分で思いっきり両手を拭きました。 運の悪いことにちょうどそのときブランコは後ろに向かって振り切るときだったので遠心力で思いっきりブランコから放り出された私は、 ブランコの後ろにある自転車練習用のコース(勿論アスファルト舗装済)に顔から着地しました。

濡らしたハンカチを鼻に当て家に帰りました。共働きの母が帰ってくる頃には鼻血も止まっていたのですが、翌朝目覚めた私の顔は部分別に 七色に変色しており、慌てた母にその時点で病院に連れて行かれましたが、お医者さんは赤と青の注射を一本ずつ私のお尻に打った後、 「(地面に顔から落ちた際)打った場所がもう少しずれていたら即死だった」とさらりと言い、私達親子をビビらせました。

実際にちょっと死にかけギリギリでしたが、それよりも医者からの帰り道に立ち寄った近所の商店で 私のレインボーカラーの顔色を見て只でさえビックリしている商店のオバちゃんに「見て見てーこんな七色になっちゃって」 と娘の不幸をネタにしてテンション高く喋り続ける母の姿を目の当たりにした時は、あまりの恥ずかしさに死ぬかと思った。

ののり ♀

   

家が火事になる

福岡のボロアパート4階に住んでた10年前の冬。 夜明け前。 そろそろ起きる頃と思ってたら、生木が 「バリバリッ!」「キー、キャヒー」と裂ける音。 「あー、洪水で家が崩れてる、流されてんなぁー、 大雨か。今日は・・・」(長崎で洪水体験済み) 「・・・ん?そんな訳はねぇだろッ!!!」と、 ガバッと起きて外を見ると何と夕焼け空より真っ赤ッか! 窓を開けたら火柱ドォ〜ン!! 誰かが1階の階段入り口を放火しておりました。

あわてて着替えて階段に向かうと、階段の鉄製手スリは 熱風と炎で「ダリの絵」みたいにシュールに ネジ曲がって垂れております。 テレビや映画のように水かぶって火の中に突入する なんてとんでもない。もちろん非常階段はなく、 土足で部屋にあがりこみ、 「向かいのビルまで飛んでみっか」 (5m以上:命がけなら何でも出来ると思い込む) と部屋から外を見ると、下の3階では飛び降りようとする人が炎で錯乱状態。(何か言ってる母ちゃん) 「やっぱダメか」と変に冷静になり。電話がまだ つながってるので、どうせ死ぬんだら好きな女の子に 「いっかいヤリたかった」と言ってしまえ。 と電話かようとしたら、消防車団体様ご入場。

連続放火の2軒目で近くにいたのが幸いしました。 家事に気づいてほんの10分前後だったけど 本当に死ぬかと思った。

ミゲ〜ル 42歳 男

 

ACアダプターが足に刺さる

最近ゲーム好きの私は懐古趣味というか、温故知新というか、いわゆるファミリーコンピューターにはまっています。 中古ゲーム屋さんに行っては昔自分がやったであろうソフトを買い、楽しんでいました。 もともと無精な私はコンセントタップなんてモノは使わずいつも差し替え差し替えで、その場をしのいでました。 その日は得に部屋が汚く、部屋の中もマリオよろしくジャンプで移動していました。 外に出ようとドアの近くに着地したとき、かかとに妙な違和感を覚えました。足をあげると「重い」。 おそるおそる足を見てみるとファミコン専用のあのでかいACアダプターが足にくっついているじゃありませんか。

速攻でアダプターを引き抜き、強くなってきた足の痛みに耐えきれずその場(汚い部屋の上)にうずくまりました。うずくまること数十分。 血はあまり出ませんでしたが数時間後部屋を地面がきちんと見えるまでキレーに片づけたのは言うまでもありません。 情けないのと足の痛みで死ぬかと思った。

ヤマグチジュン 26歳 男

    ゴキブリ入りサラダオイル

大学に入学して一人暮らしで自炊を始めたのですが、、1年経ち、2年も経つころには、すっかり自炊熱も冷めほとんど外食か、ホカホカ弁当になっていました。

大学4年になったころ、また少々自炊するようになり、 入学した頃に購入した四角い1リットルくらいの缶入りサラダオイルが再び日の目をあびることになりました。 フライパンに油をチョット垂らしてみると、いやに茶色い。

「まあ、4年も経てばアブラも酸化するしなあ、まあ、火を通すからOKだよね」なんて一人で納得して気にもとめず、そのまま使い続けました。 大学も卒業間近になって、ようやくそのサラダオイルも無くなりそうになってきて、缶を大きく傾けなければ油が出ないようになってきました。 ある日、缶の口から油と一緒につぶ餡の小倉の皮のようなものが2〜3枚出てきました。 「ゴミでも入ってたかなあ」などどと軽く考えていたのですが、次の日もまた次の日もアブラを出すたびにつぶ餡の皮がどんどん出てきます。 不信に思った私は、意を決して、サラダ油の缶の蓋全体を缶きりでキコキコと開けたのです。 その瞬間、目に飛び込んできたものは… 百匹はいるであろう大小のゴキブリの大群。 まだ、半分くらいは息がある様子でウヨウヨとうごめいていました。 そう、私が使用していたサラダオイルの缶は4年の間にゴキブリの巣と化していたのです。 そして、つぶ餡の皮はゴキブリの死骸からもげた羽だったのです。

その事実を悟った時、一瞬にして顔面蒼白になったのを感じました。 そして4年間、ゴキブリエキスの入ったサラダオイルを食べ続けたことに改めて気づいた瞬間…死ぬかと思った。

パパ大介 34歳 男

 

ソープで気を失う

3年くらい前,仕事で高知に行ったときのこと. ソープ街近くの屋台で地元の友人と飲んでいました. さすがに高知の人間は酒が強く,僕は勧められるままいつもよりかなり多めに飲んでしまいました. 酔った勢いで「一発抜いてっか!」となるのは自然の成り行きでした.僕はへべれけな状態で入店しました. 値段は覚えていません.普通だったと思います. ソープ嬢も普通だったと思います.ただ,浴槽のお湯が少し熱めでした. 「上がってくださーい.」という女性の案内にしたがって, 浴槽から出ました.ソープ嬢が黄色いバスタオルで私の体を拭きはじめた瞬間,シャッターを閉じられたように目の前が突然真っ暗になりました.

気が付くと浴室の床に仰向けに倒れていました. ソープ嬢が「お客さん!大丈夫ですかお客さん!」とひどく慌てた様子で僕の顔をのぞき込んでいました. 気を失っていた時間はホンの数秒だったようですが立っていた状態からまともに後ろに倒れ, タイルの床で頭を打ったので,後頭部に大きなたんこぶが出来ました.

ソープ嬢は「死んだんじゃないか.」と本気で心配したようです.しばらく脳が痺れているような感じがしましたが, お金がもったいないのでちゃんと一発抜きました. 日本酒と熱すぎる風呂のせいで「のぼせ」+「立ちくらみ」が一度に来たようです.あんなに一瞬のうちに意識を失ったのは 初めての経験でした.あのときは本当に死ぬかと思った.というか3秒くらい死んでいたと思う.

かずちん 36歳 男

   

顔がはれる

長女を出産して3ヵ月ぐらいたったある朝、顔を触るとなんか変・・・ 飛び起きて鏡を見るとほっぺが少し腫れている・・・主人を叩き起こし見せると 確かに腫れている・・・同居の主人の両親も首をかしげていた。 と思っているうちに顔全体がブクブクと腫れだしてきたので慌てて病院へ・・・ 子供を預けに兄の家へ。私の顔を見るなりあとずさり・・・「・・・ど・・どうしたんだ?」と恐がっている。

腫れ続けた私の顔は目も開かなくなっていた。主人も目を合わせない・・・ 鏡に映ったその姿はまさに昔映画で見たことのある「エレファントマン」そのものだった・・・半泣きで大きな病院に到着。 一歩入るなり人の視線が突きささる・・・「こりゃ〜紙袋もかぶりたくなるよな・・・」と妙に納得。

紙袋はなかったので持ってきたタオルで顔を隠したがそれがまた目立つ。 主人と二人何時間も待たされてすがる思いで診察室へ・・・先生もエレファントマンに目が釘づけのよう・・・ 血液検査もしてもらい半日がかりの検査結果は原因不明・・・死ぬかと思った。 追伸・・・紹介してもらった皮膚科も原因不明・・やけっぱちで行った産婦人科でやっと産後の食べ合わせと判明しました・・・

アフロ♪ 22歳 女

 

好きな女の子にうんこ見られる

小学生のとき、学校でうんこをするというのは絶対のタブーだった。 今は普通に「うんこしてくる」と仲間うちでも言えるから今考えると不思議だが。

小学2年のある日、うんこがしたくなった。しまった!と思ったがガマンして家でしようと思ってた。 しかし下校までまだ4時間以上ある。そして昼休みの掃除の時間、第一次陣痛、第二次ときてそろそろやばいかなーと真剣に思ってたとき、 当時好きだったコに「顔色よくないよ」と言われた。「なんでもないよ」と言ったのだがホントにやばかった。 そのままぎこちなく掃除をしてたらしばらくしてさっきのコが「○○君(おれ)、ズボンが茶色いよ」と言われた! そう、なぜかその日は体操着で掃除をしていたのだ。もう死ぬほどはずかしかった。 結局そのコとは中学卒業まで一緒だったがそのコを見るたびに死ぬほど恥ずかしい思いをした。いや、まじで死んだ。

ブッダ 17歳 男

   

ピアスで貧血

あれは初めて一人暮らしを始めて間もない頃。ピアスの穴あけに挑戦。 アパートのユニットバスで血がついたらいけないので上半身裸でドキドキしながら『プスッ』と刺したが良いは、 途中まで刺して躊躇してしまい針を耳たぶの半分まで刺したまましばらくホントにあけてしまってもいいものか考えた。 2〜3分後覚悟を決めて最後まで貫通。

『あ〜・・・良かっ・・・』た、と思ったら急に意識が遠のいて生まれて初めての貧血に襲われ目の前が真っ暗に。 でもその状態で私の頭を霞めたのは、この服装と散らかり放題の部屋激安のパンツと救急隊員との出会いのシュミレーションでした。 救急隊員の『何でこんな格好で・・・』と言うせりふ。 でも、このまま倒れても発見されるのは明日仕事を無断欠勤ということになり誰かがこのアパートにこない限り発見されない。 『死ねない・・・』と心に固く誓いましたが意識は遠のく一方でとうとう倒れてしまいました。 数十分で意識は戻りましたが、ホントに死ぬかと思いました。

マリオットン 27歳 女

  剃刀で穿られる

小学校の頃、友人と田んぼの周りで遊んでいた時だったと思う。道端に、10センチ位の太さに切られた角材が積み上げられていた。 風雨にさらされたのか、角は小さなささくれが大量にあった。

遊び道具にと思ったのか、その木材を持ち上げて、縦にした時であった。 結構重かったので、”ズルズルッ”と力いっぱい押さえつける両手の中を木材は滑り落ちていった。 両手には激痛が走り、見ると大量の木片が刺さっていた。泣きながら、一つ一つその場で抜いていったわけだが、 一つだけ特大の木片が奥深く刺さってしまい、どうにも取れない。

仕方がないので、帰宅して親に事情を報告した。家には、母とたまたま来ていた叔母がいたのだが、あまりの状態に二人で「うわ〜」。 ピンセットではどうにもならない深さまで入っているため、剃刀で手のひらの皮膚を切って取り出すことに。 母はこういうものは苦手のようで、叔母が処置してくれることになる。

剃刀が皮膚を切り裂き始め、それに合わせて、刺さっている木片が押されてさらに内側を刺激する二重苦である。 叔母は、できるだけ傷つけないようにと、少しずつ切開していくのだが、それがまた地獄のような痛さである。 結局、5分ぐらいは切り続けていたのであろうか。

本当に死ぬかと思った。

Ned 男 23歳

   

理科室にあるウラン

僕が卒業した山形の某高校はすごい! 理科室にウランある。 原石で。

なんか放射能計る機械があってそれを使って実験やった時のこと。 最初は太陽に検針棒みたいなの当てて放射能値を計ってた。 そんとき機械はピ、ピ、ピ、ってゆっくり一定の反応示してた。 「日光にも放射能ってあるんだー」とか感心してたら、

先生が裏から小さめのダンボールの箱出してきて、 その時点でもう「ビビビビ!」って異常な反応示してんのよ。機械が。 今にも「エマージェンシー!エマージェンシー!」ってランプつきそうな勢い。 で、中から石出して棒向けた瞬間 「ビーーーーーー!」って針振り切れた。放射能多すぎて。

で、先生「だれにもいうなよ」とか言って箱に石しまったのね。 そのダンボール箱のふたには、「ウラン」ってマジックで書いてあった。 とにかく死ぬかと思った。

sada

 

ラジオ体操でカツラとれる

小学校んとき毎日全校集会があって、 毎回ラジオ体操してた。 そんときの担任だった石井先生(御老体)のラジオ体操がすごいの。 この世のものとは思えないほど体中しなってる。

その動きがある時 校長先生の目に止まって、 次回の集会から石井先生が壇上に上がって お手本としてみんなと一緒にラジオ体操することになったのね。

当日、石井先生はりきっちゃって 音楽鳴るとともに壇上でいつもの倍くらい激しく しなりだしたの。 途中までよかったんだけど、 上半身を横に投げ出すみたいな動きの時に、 やっぱ張り切り過ぎたんだろうね。

体を真横に投げ出した瞬間、カツラ ポーン! 全校の前で。 石井先生あわててかなり遠くに飛んだヅラひろって、まだ体操続けてんだけど、 全校生徒がもう倒れちゃってんのよ。笑って。 校長もひざ叩いて笑ってた。 あんな笑ったことはあの時以来ないね。

石井先生、その日からヅラなしで登校するようになりました。 笑いすぎて死ぬかと思った。

sada

   

マラソンでうんこもれる

中学校のとき耐久レースってのがあって、 5キロ走ってタイムを競うっていうやつ。春夏二回。

運命の耐久レースは中三の春。 その日めちゃくちゃ体調悪かったんだけど出るしかなかった。

で、走り始めて五分で腹痛くなってきちゃって。 一人で「うんこ耐久レース」演じちゃってるわけよ。 耐久の対象がみんなと違ってるわけ。五分で。

もうほんと死にそうで、 油断してお尻の力抜くとうんち出ちゃう状態だったもんだから ケツしめながら。 周りからみたら一人だけ競歩。 精神力を集中してなんとか1キロほど走ったんだけど、 永井君っていうデブに抜かされアウト。 抜かされた瞬間全身の力が抜け、

結局、 うんちさんこんにちは。

こんにちわ した瞬間「いけないっ」とキュって肛門に力入れたのがまずかった。 しめた力でうんち切っちゃて。 そん時、短パンにトランクスはいてたもんだから その隙間からうんこがコロコロ。 道の真ん中に。 おむすびコロリンみたいになっちゃって。 でも、次から次と産まれてくるのよ。子供たちが。 そのたびに収縮して切っちゃって。 ニュッパチン。ニュッパチン。 アメ工場みたいになっちゃって。 で、どんどんころがっていくわけよ。コースに。 ちょっと見 ちいさめの折り返し地点 みたいになってんの。

結局全部うんこ出し切っちゃってスッキリ。 そのあとは爽快に走りました。

死ぬかと思った。

sada

  ヤクザさんとのひと時

もう10年以上も前のこと、大阪での仕事を終え東京へ帰る新幹線に乗った。 あいにく指定席がいっぱいだったので自由席に乗ったらこちらも満員御礼で、車両の中で立っている人もたさんいた。 前日徹夜で仕事をしていた私はどこかに空いている席はないかと探していたら、2人がけの席がまるまる空いているではないか! でも、その席の周りには立っている人がいる。その中の一人に「この席空いてます?」と聞いてみたら「通路側なら空いているみたいだよ」の返事。 ラッキーと思いつつ通路側の席へ腰を落ち着けた。「フーッ」と一息ついてタバコをふかしていたら窓側の席の人が帰ってきた。

なんとその人はあきらかにその筋の人と分かる恰幅の良いおじさん。しかも真っ赤なスーツに金のネックレス&ブレスレット・・・ どうりで周りの人はこの席に座らないんだなと思いながらも、寝てしまえば大丈夫と、いそいそとタバコを消し寝る体制へ。 しばらくして、うとうとしだした時車内販売がやってきて隣のヤクザさんはビールとおつまみを購入しているのが薄れかけていた私の意識の中にかろうじて入ってきた。

と、次の瞬間、頬に冷たい感触が! 「うわ!」とびっくりして起きると、ヤクザさんが私の頬に缶ビールを押し当てて一言「飲まんか?」 驚きながらも、ここで断ったらとんでもないことになると瞬時に判断した私は、「いただきます」とありがたくビールに手を伸ばした。 それから東京までの約2時間30分、ヤクザさんと楽しい(?)ひと時を過ごした。 結局、ビールを3本もゴチになった。 あの2時間30分はこれまでの人生の中で一番長いのもだった。 死ぬかと思ったーって言うより、死ぬほど眠かった。 ヤクザさん、お金あるんだから今度からグリーン車に乗ってよ!

ヘルニア 34 ♂

   

ナプキンでうんこ拭く

南国生まれの南国育ちのぼくが、仕事で埼玉に出張したのは真冬のことでした。 その地方のターミナル駅で、ローカル電車を待っていた僕は、余りの寒さのためか急に下腹が痛くなってきたので、 同僚に荷物を預けてトイレに直行しました。 ところが、あいにく男子トイレは「清掃中につき使用禁止!」のカンバン。その下には小さく「女子トイレをお使いください」とのメッセージが。

地獄に仏、ぼくは女子トイレに飛び込み、一気もんで済ませようとしましたが、ひどい下痢で、何度も発作に襲われる苦痛。 ようやく完了してトイレットペーパーを見ると、これが芯だけしかなかったのです。 おまけに持ってきたはずのティッシュは全部同僚に預けたかばんの中・・・。 ぼくは、その芯で尻を拭きました。人差し指を筒の中に入れるとうまくできました。 でも、そんな紙筒だけできれいになりません。 でもここは女子トイレ。「汚物入れ」という白い容器があるではありませんか。 ぼくは恐る恐るふたを取りました。中には白いティッシュペーパーに包まれた何かが・・・。これぞ地獄に仏、 とそのティッシュですかさず拭き取り続行、玉ねぎの皮をむくように1枚ずつ丁寧に使いました。

が、運悪くそこでまたもや悪夢のような発作が・・・。 残ったうんこを全部放出した快感とは裏腹に、「ティッシュねえのにどうするんだよ〜」という後悔が・・・。 さっきの玉ねぎをさらにむくと、中から出てきたのは血まみれのナプキンでした。 しかもまだ時間が経っていないらしく、毒々しいばかりに赤い血が光っていました。 数分後、ぼくは何もなかったかのように戻ることが出来ました。

ただ、あの掃除のおばちゃんはきっと不思議に思ったことでしょう。どうして汚物入れの中のナプキンがうんこまみれなのか・・・。 男子一生の恥でした。この時ばかりは死のうかと思った。

一流サラリーマン 30歳 男

  ケンカで頭にボールペン刺す

数年前、姉とケンカになり、普通のケンカをしていました。 よくは覚えていませんが、いつもよりエスカレートして、髪の毛を引っぱったら、髪の毛が数十本抜けました。 そこまではよくあること…。 そのあとに、何か無いかと辺りを見たら、ボールペンが1本…。 「これだぁっ」 と、ボールペンを手にとり、姉の頭にとがったほうで刺していました。 ぐりぐり…………と、頭にボールペンを刺しています。 当たり前ですが、姉は泣き、血がタラタラと垂れてきました。 しばらくすると、家族が止めに入りました。 大量に血が出て、やっと我に帰りました。 家族は病院に連れて行くでもなく、家で治療していました。 まあ、姉の頭は治りましたがもっとやってたら死んでたかも。 死ぬかと思いました。

雄 若いです

   

しましま棒で複雑骨折

10年くらい前、奥多摩まで単車でツーリングに出かけた。 天気もよく気分も上々だった僕は、センターラインにプラス チックの棒(赤と白のしましま棒)が立っているのを発見し、 ためしに片足を伸ばして当ててみたら、これが妙に面白く ポコポコ鳴らしながら、しばらく走っていた。すると突然、 ガツンと来て大転倒。

参りました、プラスチックだと思いこんでいた中に本物の鉄で出来た棒があり、無残にも右足 複雑骨折。本当に死ぬかと思った。

27歳 ♂ ビタミンZ

 

うんこしてるところを見られる

それは真夏の日の早朝のことでした。 寝台特急で上野駅に着いたものの、時間が早すぎて得意先の会社が始まる午前9時まで時間をつぶす必要がありました。 喫茶店でゆっくりとモーニングをとり、ちょっとぶらつこうかと外へ出たときでした。 下腹が猛烈な痛みに襲われました。ゆうべ夜行でビールを飲みすぎたのでした。 あわてて駅に戻りトイレに駆け込みました。夏の朝のトイレって本当に活気に溢れています。 次々とサラリーマンが出入りし、洗面の前ではプー太郎のおじさんがパンツ1枚になってタオルで身体を拭いています。 もちろんうんこをしたい人が行列となって順番待ちでした。このままでは、 うんこ、ちびってしまう(小学校2年以来20数年ぶりの悪夢!)

ところが、なぜだか1つだけ使われていないトイレが・・・。何故だろう、と見るとカギが壊れています。だから誰も使わないのです。 「ラッキー」ぼくはその壊れたトイレに飛び込み、用を足すことにしました。 カギが壊れていても、ドアを手で押さえていればいいのです。 そこで一気に下痢を放出、恍惚の瞬間を迎えようというとき、恐れていた事態が・・・。 誰かがドアを開けようとしたのです。放出しながらもぼくはドアを押さえました。 これで中に人がいるって分かるだろう! ところがその人は開けようとしたドアが勝手に閉まるので、余計に力をいれてドアを開けようとするではないですか。 『おのれ、何をするか・・・』声を出せばいいものを、僕は腕で押さえてこの難局を乗り切ろうとしたんです。 大の男が思いっきり押すドアを、下痢を放出中の男が片手で支えられるはずがありません。

ドアは開き、放出中のぼくは、うんこ待ち行列の皆さんとご対面!「だから、入ってますって・・・」ぼくが一言つぶやくと、 その男は「し、しつれい」とひとこと言い残し、猛ダッシュで人ごみに消えました。 この時ばかりは死ぬかと思った。

一流サラリーマン 30歳 男

   

洗浄されてイク

高校生の頃でした。 うすうす気が付いてはいたものの、恥部が妙に腫れている気が。 心なしか何か痒い気もする。知らないふりを決め込んでいたのですが、日に日に腫れが増して、時に痒さのあまり、しゃがんでしまうぐらい痒い。 見るとおちんちんでも生えてきたのかと思うほど、パンツの上からでも分る程もっこりしている。腫れていました。 覚悟を決めて、婦人科に学校帰り行きました。

診察台の上で先生は一瞥すると即座に、言い放ちました。 先生「あー何でこんななるまで放ってたのー、これ完全にガンジダ。わかる?カビの一種、カビ!」 完全にカビ、カビ、あのね、カビが生えてるの、繁殖してんのね、こりゃぁかなりすごいよと恥辱の果てまで説明されて、 これから洗浄と塗薬を2日に1回通院しなさいと命令され、その場で洗浄する事になりました。

洗浄とは膣の中に蒸留水を数分流し込み、膣内を文字通り、洗浄するのです。 にょろっとなにかが挿入されて膣内が生暖かい水で満たされるのがわかりました。 看護婦「このまま暫らくの間、洗浄しますからねー」と言い残し、先生も看護婦もどこかに行ってしまいました。 誰も居ないと思ったら、何だか腫れていて敏感な所為なのか屈辱的なポージングだった所為か、 急にすごいエロい事されているような錯覚に陥ってしまい、さきほどの先生のサディスティックな言葉も甦り、 「ああ。私って最低な女で最低な恥部を曝け出しているんだ」とさらに自虐的に興奮してしまい、 なまあたたかい温度と水流の流れに負けて、とうとう興奮のあまりイってしましました。

ところが。イった瞬間にサーッとカーテンが開く音がして先生が診察台の向こう側に来てしましました。 慌てた私をよそに暫らく様子を見られていた様なのですが、だからと言ってこちらも途中で止めれるものでもなく、 ケイレンしっぱなしのまま、洗浄の管を抜かれ、無言のままに先生は恥部を拭いてくれたのですが、 イって痙攣しているので、膣内の水がちょちょぎれになってしまい慌てた先生が何度もぐりぐり拭うので、 「あっ」と言った途端、はずみでもう1回イってしまったのです。

明らかに倒錯している私の下半身の反応に本当に死ぬかと思いました。 通院していた間、先生は2度と私の顔を避ける様になりました。 ダブルの屈辱で死ぬかと思いました。

あやらん 25歳 女

  こんにゃくゼリーで窒息

大学に行くのが面倒だったのでサボり、 一人のんびりと、こんにゃくゼリーを食していた。 カップからポンッと飛び出したゼリーがそのままの状態で 舌の上を通り越し、喉の奥に詰まってしまった。 普段ならここで深呼吸でもして落ちつけるとこだが 鼻と口はつながってるので、呼吸ができない。

たとえこのまま窒息死したとしたら 死亡時刻は大学に行っていた時間だから 大学をサボっていたことが家族にバレる。 葬式の席で「なんでアイツは大学をサボッたんだ」と嘆かれる。 そんな情けない死因はいやだ。

喉の異物を吐き出すか、飲み込んで胃に入れるか? 息が吐けない。 しかし飲み込むにしても胃に届かなければ最悪なので却下。 そのとき腹をコンコンと叩く「人間ポンプ」の映像が頭をよぎった。 娯楽番組だろうとTVは見ておくべきだ。 頭をぐっと下に向けて、力の限り腹を殴る殴る殴る。 ……何故このとき掃除機を持ち出さなかったのか。

それ以後、こんにゃくゼリーの食べ方には余念が無い。 今は笑い話だけどそのときは本気で死ぬかと思った。

スクドラ 21歳 男

   

マッサージ椅子で窒息

ある親戚の家に行った時、マッサージ機を発見。 今の様に寝転ぶタイプでは無く旧式の座るタイプで革張りの大きな椅子でした。 当時小学生だった私は遊び気分でその椅子に座ってぐいんぐいんとマッサージしてたのですが、 何を思ったか「あ、首も揉んじゃおう」と一旦スイッチを切り、マッサージ機の飛び出してる野球ボール大のぐりぐりを首の横にセット。 スイッチをいれるとぐりぐりがむぎゅーって私の首を締め付けてくるではありませんか!!

しかも顔と肩につっかえて上にも下にも動けず、首の部分で締まったきり。 スイッチを切ろうにも手が届かず、パニック状態に陥り数分後に弟が止めに来てくれるまで、 『このまま死ぬんだ・・・』と虚ろに考えてました。あ〜、死ぬかと思った。

@はな 25歳 女

       

もらいもののパンで食中毒

夏の部活の帰りに学校の近くの駄菓子屋へ その駄菓子屋は毎日行ってるのでもう顔なじみ。 帰ろうとしたらおばちゃんが「このパン1つ残ったらあげるよ」とチーズメルヘンと言うパン。 「これまたラッキー」と思いタダより美味い物はない!とパンにむさぼりついた。 帰宅後どーも腹痛が…その時は「プールでおなかが冷えたのかな?」と思っていた。 そこで腹=乳酸菌=ヨーグルト!とかってに連想してヨーグルトをこれでもかと食いあさる。

そして晩御飯の時間、まぁ腹の調子は微痛、平気かとおもったとたん、強烈な吐き気&腹痛&眩暈! トイレにダッシュ!「おぉぉぉえぇぇぇ〜〜〜」出る出る!俺こんなに食ったっけな? というくらい口から逆流!親もいつも健康な息子の姿に驚きビビリまくってた。 うちは薬屋で薬には苦労しない、しかし今回だけは別!腹痛いし、嘔吐は続くしもー いきてる心地はしなかった。親は「救急で病院いく?」としかしかなり我慢強かったので「行かない!」と… んで布団に入ったけどももちろん寝れない熱も39度くらいに上昇!もー無理無理!!

夜中1時に「病院連れてってくれ!」とそのまま車で救急の病院へ直行! んで採血などイロイロして医者に「今日何食べました?」えーと、昼飯と…あっ!チーズメルヘン! 「チーズのパン食いました」と医者「あ、それだ!食中毒だねぇ〜」と… どーも40度の気温にチーズがやられたらしくそれにあたった…その後点滴3時間く らいして収まったけども下痢!学校は2日くらい休みました。

あの苦しみと来たら忘れられない!その駄菓子屋のおばちゃんに言おうとしたけども 悪いからいえなかった…ホントに死ぬかと思った…

んで数日後練習後にいつものとーりにその駄菓子屋へそしたらまたおばちゃんが「1 個あまったら上げるよと…」ぎゃー!「いいよいいよ、かえってご飯食べれなくなるし …」また殺されかけるとこだった…

嘔吐下痢症 24歳男

 

まんこにヘルペス

5年前くらい前の体験です。 ヘルペスという皮膚に水泡のようなオデキが出来る病気にかかってしまいました。 運悪く私の場合、アソコにできてしまったのが死ぬかと思った体験に繋がりました。

体などにできた場合はどうなのかわかりませんが、私の場合、場所が場所だけにおしっこをする時痛みを伴いました。 恥ずかしいので病院にも行かないでおくうちに、日に日に痛みは増していきました。 少しおしっこを出すだけで「痛っ!」てなかんじで、膀胱はパンパンなのに身体がびびって出せないというような状態になってしまったのです。 更には追い討ちをかけるようにうんちまでも難を要するようになってしまいました。 うんちが出る場所と患部は遠いのですが、 なにしろおしっこを少量ずつしか出せていない状態なのでトイレに座った時に最初に出ようとするのはどうしてもおしっこの方で、 結局びびって、どっちもひっこんでしまうのです。

「うんちだけ!」とがんばっても、あたしが先!とばかりにおしっこは出てきてしまうんです。 トイレでする時みたいじゃなくすれば患部におしっこも当たらないかも!と、お風呂場で試してもあまりうまくはいきませんでした。 したいのに・・・出せない・・・。私の下腹部は満員御礼で・・死ぬかと思った!!

なんこ 25歳

   

ウキワで窒息

小学校低学年の時、ウキワを買ってもらった私は、嬉しくてずっと持ち歩いていた。 お風呂に入る事になり、ウキワを持って入ることにした。 ウキワを持って遊んでいる時である。洗面器が私の目に入ったのは。洗面器はウキワの穴にぴったりハマるサイズ。 洗面器でウキワの穴を塞いだら、船になるのでは? ひらめいた私はさっそく実行に移すことに。思った通り洗面器は穴にピッタリ。 船遊びができるとワクワクしながら洗面器に座った時の事である。一瞬にして回りの空気は水に変わった。

どうやら回転してしまったらしい。当然息ができないので、私は水面に顔を出そうともがく。 が、洗面器にピッタリなサイズのおしりが洗面器からはずれない。ウキワを水中に沈めるのは至難の技で、当然私のオシリも水面に居続ける。 息も続かなくなり、ますます焦った私は、腕を突っ張って体をひねってなんとか水面に顔を出すことに成功。 その時一緒にお風呂に入っていた弟の、呆然とした顔が忘れられない。

死ぬかと思った。

ゆー 19歳 女

 

1秒で退場

僕が小学6年生の時の話です。サッカーの試合に、僕はセンターフォワードとして起用され、ジャンケンで、相手のキックオフ。 僕は、「相手がキックオフしたら、すぐにボールを奪ってやろう」などと目論んでいたのですが、 相手は僕の予想に反して、キックオフをするなり、ロングシュートを打ってきました。

放たれたサッカーボールは、僕のゴールデンボールへと一直線。3つのボールは激しくぶつかり合いました。 当然、僕の2つのボールの方が弱いに決まっています。僕はその場にうずくまり、監督は交代を指示。 キックオフ後1秒で退場する羽目になりました。 あまりの痛さに死ぬかと思った。

まこっちゃん 21歳 男

   

カブトムシとりのお兄さん落ちる

僕が小学校低学年の時。僕はよく近所の中学生のお兄さんと近くの山にカブト虫を採りに行っていました。 カブト虫を採るには、木を思いっきり蹴って、落ちてきたのを採るのですが、 小学校低学年の僕には、カブト虫が落ちるほど木を揺らすキック力はありません。 そこで、目を付けた木は、全部その中学生のお兄さんに蹴ってもらっていました。

ある日のこと。私は、崖っぷちに立っている1本の木に目を付けました。 そしてお兄さんに、あの木にカブト虫がいそうだと報告したところ、少し太い木だったので、 お兄さんは走って勢いを付けてその木を蹴ろうとしました。

しかし、あろうことか、お兄さんは蹴りを空振りしてしまったのです。お兄さんは僕の視界から消え、崖の下へと転落していきました。 名前を呼んでも返事がないので、僕はこれは大変だと思い、家に帰って、親にそのことを告げました。 結局は骨折ですんだのですが、僕はその時、お兄さんを殺してしまったと思いました。

まこっちゃん 21歳 男

 

3階から落ちる先輩

もう10年近く前、僕が中学2年生の時のことです。 学校は3階建てで、学年が上がるごとに上の階の教室になるのですが、ある日の休み時間のこと。 その日僕は、同じサッカー部の友人とふたり、2階の校舎と校舎をつなぐ渡り廊下にいました。 3階から、雨で足を滑らせたサッカー部の先輩が落ちてきました。 落下中の先輩と目が合いました。

僕の頭は混乱しました。 (この状況はいったいなんだ?) 僕たちの間の時は、普段の10倍くらいゆっくり流れました。 先輩は何か言いたそうでした。 僕も何か言おうと思いました。 でも、言葉が出ないうえに、僕たちには時間がありません。 先輩はそのまま1階へと落ちていきました。 5秒くらい後、一階にいた1年生から キャーーー! と言う声が聞こえ、ハッと我に返った僕は、手すりから身を乗り出して、下を覗いてみました。 先輩は倒れていて全く動いておらず、知らせを受けて駆けつけた先生によって抱えられ、救急車に乗せられて病院へと運ばれて行きました。

その日の部活動は休みになりました。 ですが、サッカー部の全体責任ということで、その日だけではなく1週間の部活動停止に。 結局その先輩は、骨折1本のみで、1日入院して2日後には学校にやってきました。 そして、先輩にあの時何て言おうとしたのか聞いてみたところ、 「どうしよう?」って言おうと思ってたと答えてくれました。 あのときは、その先輩は死んだと思い、僕も心臓麻痺で死ぬかと思いました。

まこっちゃん 21歳 男

   

空き巣とばったり

2年ほど前、会社帰りに上司と小一時間ほど飲んで帰宅したときのこと。

ちょっとほろ酔い程度で部屋に戻ったのが8時頃でした。キーホルダーから部屋の鍵を選んで、 鍵穴に突っ込んでドアを開けると、部屋が明るい。 「あれ、電気つけっぱなしで出たかな?」と思いつつ、部屋の中を覗きこむと、そこには見知らぬ男が二人、物色中・・・。 状況が把握できなかった私は他人の部屋に上がりこんだのかと思い、その瞬間、 「失礼しました・・・」を言いかけて、「んぅ!!」

状況を理解して再度、部屋を見ようとしたら2人組がこちらに向かってくる。 後ずさりすると、ヤツはこちらに向かってくる・・・。ヤツは私を部屋の外に追い出すと自分も外に出て、私の目の前に立ちはだかりました。 「殺される」と思った私はヤツの両腕をつかもうとすると、2人組のうちの一人がドアから飛び出して建物の裏手にまわろうとしました。 そいつに目を奪われた瞬間に、私の目の前にいた男もサッと走り去っていきました。 幸い、空き巣は物色中だったため、被害はほとんどゼロですみました。

ともと汚い私の部屋を見た警官が「どこが荒らされたのかわからんねー」といいました。 あー、死ぬかと思った。

EO 28歳 男