今年4月21日はゲームボーイの20回目の誕生日でしたね、成人おめでとう!
[ゲームボーイ20年のあゆみ]
1889年 山内房治郎、「任天堂骨牌」創業。元々は花札メーカーさん
1941年9月10日 横井軍平(ゲームボーイ開発者、ドンキーコング共同開発、メトロイドシリーズのプロデューサー、宮本茂の師)生れる
1941年12月7日 日本、真珠湾攻撃、大戦突入
1945年 ドイツ降伏。ヒトラー自殺、ゲームボーイに触ることなく荼毘に付さる。日本、無条件降伏。
1952年11月16日 宮本茂(マリオ、ゼルダ、ピクミン、スターフォックス、Nintendogの開発者、ドンキーコング共同開発者、ゲーム界の教皇)生れる
1979年 ジェイ・スミス(後に据置型ゲーム機「Vectrex」作った人)、カートリッジ交換式の初の携帯ゲーム機「Microvision」を開発
1980年 横井、任天堂初の携帯ゲーム機「ゲーム&ウオッチ」開発。最初のゲームは『Ball』という、宙にボールをキープするゲームだった。
1981年 横井&宮本、アーケードゲーム『ドンキーコング』開発。ビデオゲーム新時代の幕開け
1982年 アーケードゲームを「ゲーム&ウオッチ」に置き換えた、任天堂初のダブルスクリーンのゲーム登場(数十年後、DSとして復活)。
1989年 「ゲーム&ウオッチ」登場のわずか9年後、横井と任天堂R&Dは携帯ゲーム機「ゲームボーイ」を発売。Z80プロセッサと緑のLCDディスプレイ、Dパッド、ボタン、交換カードリッジつき。バンドルのゲーム『テトリス』の人気でたちまちヒット、何十年もゲーム機販売を牛耳る。
1989年 Atari Lynx(アタリ・リンクス)デビュー。カラー液晶搭載の携帯ゲーム機は世界初だったが、ゲームボーイ相手の競争に勝てず。
1990年 湾岸戦争勃発、戦地でボロボロのゲームボーイも動作は止まず耐久性を実証
1995年 金のなる牛の乳を搾り続けた時期。任天堂、元祖ゲームボーイのカラー版を発売。この流れは後のハードウェア発売にも踏襲された。
1995年 「バーチャルボーイ」発売、1年後に撤退
1996年 「ゲームボーイポケット」発売。単4形電池2本で10時間のプレイが可能で、グリーンのディスプレイではなくモノクロL液晶ディスプレイ採用
1998年 「ゲームボーイカラー」発売。色数の限られたカラーディスプレイ搭載、プロセッサ処理速度は2倍、メモリー3倍、バックライトはまだなし。NES(ファミコン)に相当するゲーム機
2001年 「ゲームボーイアドバンス」発売。32ビットのARMのプロセッサと、過去互換性確保のためZ80も搭載し、数年ぶりの大掛かりなプラットフォーム変更に
2003年 「ゲームボーイアドバンスSP」発売。長らく要望が一番強かったバックライトついに実現。実にエレガント、広く愛されているクラムシェルのデザイン。ゲームボーイアドバンスよりずっと持ち運びも便利になった。普通のヘッドフォンを使うにはアダプターがまだ必要なのが玉に瑕…。
2004年 「ニンテンドーDS」発売。タッチスクリーン制御で人がゲームとインタラクトする方法が変わり、ゲームが万人のものに!
2005年 「ゲームボーイミクロ」発売(米国ではマイクロと読む)。プラットフォームの大きなデザイン変更はこれが2回目。ちっちゃくて、でも使いやすくて、ヘッドフォン用ステレオミニジャックも標準装備でついてるミクロは、幻のコンソール最後にしておそらく最高のバージョンと思われた。が、2006年に出たDS熱を生き抜けず、2007年惜しまれつつ製造停止に…。
2006年 iPod風の「ニンテンドーDS Lite」発売。最初のモデルについた批判に対応し、より良いスクリーンを加え、バッテリー寿命を拡大しながら、コンパクトな美しいデザインに仕上げた。
2009年 「ニンテンドーDSi」発売。DSよりスクリーンは大きめ。30万画素のカメラを2つ搭載、SDメモリーカードスロットもついたよ。
―みなさんはいくつ持ってます?
Jesus Diaz(原文/訳:satomi)
ニンテンドーDSが売れる理由―ゲームニクスでインターフェースが変わる (単行本)【関連記事】
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*コメント欄でのご指摘ありがとうございました。記事を修正いたしました。