どうすれば日常的な怒りや欲望から解放されるのか。『『実利論』 古代インド「最強の戦略書」』(文春新書)を上梓した南アジア研究家の笠井亮平さんは「紀元前古代インドのカウティリヤが著した『実利論』には、内政から外交、軍事まであらゆるケースを想定した心構えと感情の制御などが記されていて、今日のわたしたちもそこから多くを学べる」という――。
怒りのコントロールは古代インドでも重要だった
怒りの感情をコントロールする「アンガーマネジメント」というコンセプトは1970年代にアメリカで心理療法の一環として構築・実践されたものである。日本でもこれについての書籍や情報は多く出ており、すっかり定着した感がある。
時代を問わず、多かれ少なかれ怒りの感情は誰しも抱くものだ。ローマ帝国皇帝ネロの家庭教師を務めたことで知られる哲学者にして政治家のセネカには『怒りについて』という書があることからも、当時から怒りをどうコントロールするかが重要だったことがうかがえる。
古代インドでもそれは変わりがない。カウティリヤが著した『実利論』では不安や猜疑心、裏切りに対する警戒など、さまざまな負の感情に関する言及があるが、「怒り」についてもいくつかの箇所で取り上げられている。とくに第8巻「災禍に関すること」には「人間の悪徳の種類」という章があり、ここで悪徳と怒りの関係について記されている。

カウティリヤ[写真=R. Shamasastry『Kautilya Arthashastra』(Bangalore Government Press)/CC-BY-3.0/Wikimedia Commons)]
「怒りと欲望」どちらがより“悪”か
そこではまず、悪徳には「怒り」から生じるものが3つ(言葉の暴力、財産の侵害、肉体的暴力)、「欲望(享楽)」から生じるものが4つ(狩猟と賭博と女性と飲酒)あると捉えられている(8-3-4、23、38)。その上でカウティリヤは、両者の比較を交えながら、次のように指摘する。
憎悪されること、敵を作ること、苦悩と結びつくこと、これが怒り〔の結果〕である。屈辱、財産を失うこと、盗賊・賭博者・猟師・歌手・演奏者のような有害な連中とつきあうこと、これが欲望〔の結果〕である。それらのうち、憎悪されることは屈辱よりも悪い。軽蔑された者は自他の国民により圧迫されるが、憎悪された者は殲滅させられるからである。敵を作ることは財産を失うことよりも悪い。財産を失うことは国庫を害うが、敵を作ることは生命を害うからである。苦悩と結びつくことは有害な連中とつきあうことよりも悪い。有害な連中との交際は瞬時に解消され得るが、苦悩との結びつきは長期にわたる苦痛をもたらすからである。以上よりして、怒りの方がより大なる〔悪〕である。(8-3-14~22)
怒りに支配されてしまうと平常心を失い、その結果、冷静な判断ができなくなりがちだ。それが王ともなれば、怒りがもたらすネガティブな影響によって国の行く末をも左右することになりかねない。ここで説かれているように、怒りがさらなる憎悪や敵を作ることになれば、その負の感情が自分、すなわち国に向けられるのだから。