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イカットから転送)
織機と織物(倉吉絣
沖縄・石垣島のミンサー織り

(かすり)は、織物の技法の一つで、絣糸(かすりいと)、すなわち前もって染め分けた糸を経糸(たていと)、緯糸(よこいと、ぬきいと)、またはその両方に使用して織り上げ、文様を表すものである。「絣」は日本および琉球の織物を指す用語であるが、これに類した織技は東南アジアをはじめ世界各地にみられ、マレー語/インドネシア語で「縛る、括る」を意味する「イカット」(ikat)という語で呼ばれている[1]

技法の概要

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織物に文様を表すには、各種の色糸を用いて織り上げ、経糸または緯糸の浮き沈みによって図柄を表す方法(錦など)、織り上がった布に後染めする方法などがあるが、絣はあらかじめ斑に染めた糸を用いて織る技法である[注釈 1]。糸で縛って防染するなどの方法であらかじめ染め分けた絣糸を経糸に使用するものを経絣(たてがすり)、絣糸を緯糸に用いたものを緯絣(よこがすり)、絣糸を経糸・緯糸の両方に使用したものを経緯絣(たてよこがすり)という[2][注釈 2]

地合いは、日本では平織のものが多いが、綾織繻子織の絣もある[注釈 3]倉吉絣では絵画的な柄を織った絵絣(えがすり)や、さらに高度な綾織り、浮き織など様々な組織織(そしきおり)の「風通織」など高度な絣が主体となり幻の織物と呼ばれ評判を呼んだ。 素材的には木綿絣、絣、絣などがある[3]

歴史

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フィリピン・ミンダナオ島のティナラク織

絣(織絣)の技術はインドで生まれたとされ、タイカンボジアの絹絣[4]インドネシアベトナムなど東南アジアを経て日本には琉球経由で伝わった。日本では、法隆寺裂の中に「太子間道」「広東錦」と呼ばれる絹の経絣があるが、これは時代的にも孤立した存在で、江戸時代の絣と直接の関係はなく、大陸(中国)からの渡来裂とみられる。「かすり」の語の使用は江戸時代も後期になってからで、それ以前にこの種の織物を日本語で何と呼んでいたかはわかっていない[5]。北前船の下り荷としても有名で「西の大和絣、東の中野絣(館林絣)」と言われた時代もあった。1800年頃、各藩で財政対策として専売制が採用されるなか久留米藩井上伝が掠れ模様の織り方を発見する(加寿利)。のち久留米絣として殖産奨励される。また伊予では鍵谷カナ伊予絣を独自に開発した[注釈 4]江戸時代後期には各地で様々な絣が織られ量産された。

明治から1960年代頃まで、絣は普段着の和服用の反物として親しまれ、絣の産地には多くの織元が立ち並び毎年数百万反が生産された。第二次世界大戦中には女性の着物着用が禁止されたためもんぺとして仕立て直し着用された。しかしその後は洋装化が急速に進み、特に普段着としては和服が着られることがほとんどなくなったことから需要が激減、絣の生産量もわずかになった。

現状

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弓浜絣

絣は現在でも日本各地で織られており、洋服ネクタイ・壁掛けなどの装飾やその他小物などにも利用されている。しかし、生産に手間がかかるため割高であるにもかかわらず、もともと普段着の素材のため高級品とは見なされず、需要は伸びていない。いずれも少数の織元が細々と生産するにとどまっている。

専業者が減る中で、昭和末期頃より手づくりの見直しやカルチャーブーム、地方再生などによる伝統文化の見直しや保護などもあり 子育てを終わった世代やリタイア世代を中心に絣を織ろうとする人たちが徐々にではあるが、増えてきている。

自分たちでより深く覚えたいと、絣の技法書を求める声も増えており、その声で吉田たすく著『図説 紬と絣の手織技法入門』などの、わかりやすい技法書の復刻版も再版されるなどの動きもでてきている。

日本三大絣

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伊予絣

※備後絣は最盛期には年間200〜300万反を生産したが、現在の生産量は少量である。

著名な地方の絣

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海外の絣

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イカット(インドネシアなど)英語版 バリ島の経緯絣「グリンシン(grinsing)」など

脚注

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注釈

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  1. ^ 後染めで絣のような文様を表したものを染絣と称する場合もある。
  2. ^ 経糸とは長さを揃えて織機に張り渡す糸のことであり、緯糸とは経糸を上げ下げしてその隙間にくぐらせる糸のこと。
  3. ^ 「綾」には複数の意味があるが、ここでは織物の三原組織としての綾織のこと。織物の三原組織とは平織、綾織、繻子織を指す。平織は経糸と緯糸が1本ずつ規則的に浮沈を繰り返す、もっとも基本的な織りの組織。綾織は糸の浮き沈みの間隔が長くなり、経糸と緯糸の交点が斜め方向に現れるもので、斜文織と同義。繻子織は綾織よりさらに浮沈の間隔が長くなったもので、経緯糸の交点はまばらに配置され、繊維の光沢が強く現れる。
  4. ^ 久留米絣伊予絣の開発時期については諸説ある。

出典

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  1. ^ 『染と織の鑑賞基礎知識』、pp.96, 102, 222
  2. ^ 『染と織の鑑賞基礎知識』、pp.13, 222
  3. ^ 『染と織の鑑賞基礎知識』、p.96
  4. ^ オフェル・シャガン『タイの絹絣 マドミー』(アートダイジェスト ,1999)、森本喜久男『カンボジア絹絣の世界―アンコールの森によみがえる村』(NHKブックス,2008),安藤武子『世界の絣みてある記―染織の旅ガイドブック』(アートダイジェスト ,1997)
  5. ^ 『染と織の鑑賞基礎知識』、pp.98, 222

参考文献

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外部リンク

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