競技場

スポーツなどの競技を行うための施設

競技場(きょうぎじょう)とは、スポーツなどの競技を行うための施設である。

2006年サッカーW杯2009年世界陸上が開催された、ドイツの『ベルリン・オリンピアシュタディオン

概要

編集
種類

基本的には競技の種類で種類分け、分類がされている。 たとえば陸上競技には陸上競技場、サッカーにはサッカー競技場、野球には野球場競泳(水泳の競技)には水泳競技場、カヌー競技にはカヌー競技場、スポーツクライミングにはスポーツクライミング競技場が用意される。

ただし、いくつかの種類の競技ができるように設計されている競技場もある。陸上競技場の中には陸上競技の他にサッカーやラグビーなどの競技ができるものもあり、サッカー競技場の中にはラグビーが可能なもの、野球場は野球の他にソフトボール競技も開催できることは多い。ただしピッチなどのサイズが異なることは多いので、競技会の前にライン(線)を引き直す作業は必要となることはある。

施設の形式、建築物としての構造などによっても分類されている。

そのほか可動式屋根を備えた競技場もある。

競技以外の利用

競技場はそれぞれ運営法人があるが、スタジアムなど巨大な競技場は、競技大会や競技の練習などの使用で利用料を払ってもらうだけでは、運営・管理・補修費用と比べて収益の額が小さすぎ、大きな赤字となってしまうので、競技以外の目的、たとえば音楽ライブイベント、コンサート、人が大勢集まる催事類などに貸出されている競技場は多い。名称は競技場だが、年間のスケジュールのほとんどはスポーツ以外のイベントの予約で埋まっているという競技場も多い。

歴史

編集

競技場の歴史は競技の歴史と密接に関係している。

古代ギリシアのオリンピア競技場
 
古代オリンピア競技場

古代ギリシアでは紀元前776年から、ゼウス神に捧げる競技祭として、ゼウス神の聖地であるオリンピアでオリュンピア大祭(古代オリンピック)が始まった。その競技場は現在では古代オリンピア競技場en:Stadium at Olympia)と呼ばれている。右の写真を参照のこと。最初は1日間だけ行われる短距離走だけの素朴な祭典だったので、短距離走用のコースだけが設けられた競技場だったという。そのトラックは長さが191.27メートルで、当時のギリシアで使われていた距離の単位「スタディオン stadion」(191.27メートル)を使い、1スタディオンの長さのトラックにしたという(これが現在の「スタジアム」の語源になっている)[1]。現代人の眼から見れば、ほぼ200メートル走、と呼べるようなトラックであった。やがて競技種目が増え、ディアウロス走(中距離走)、ドリコス走(長距離走)、五種競技円盤投やり投レスリングボクシング(拳闘)、パンクラティオンチャリオット競走なども行われるようになった。最初は1日の祭典だったのが、競技種目が増えるにつれ、紀元前684年に3日に延長され、紀元前5世紀に5日に延長されたという[2]。競技日程に応じて、競技区画を変更したり、地面の線を引き直したりしただろうと推察される。観客は選手が競技する場所の周囲のなだらかな斜面から観戦した。椅子があるわけではなく、観客は地面に並んで座って観戦したので、4万人ほどが観戦できたという[1]。当初は参加選手の人数も少なく、遠方から徒歩でやってきた参加者は競技場周囲で野宿をしていたらしいが、競技種目が増え参加者が増えるにつれ、ギリシアのそれぞれの都市国家から政治家が選手を伴って一団で参加するようになり、このオリンピア競技場周囲の草原に大きなテント村が出現するようになったという[1]。この古代オリンピア競技場は1200年間使われた。

 
コロッセオ
古代ローマのコロッセオ

古代ローマ帝国では西暦80年に帝国の首都ローマコロッセオという円形競技場が建造された。これはローマ皇帝ローマ市民らを満足させ自分の権力を維持するために建造した競技場で、見世物的な競技が多数開催された。[注釈 1] 上から見ると楕円形の競技場で、外寸は長径が188メートル、短径が156メートル、外壁の高さが50メートルであり[1]、中央部分の楕円形の競技場所は、長径が83 メートルで、短径が48メートル[3]。最大で8万人の観客が座席に座って観戦することができた[4]。 ここで行われ現代人にもよく知られている有名な競技は剣闘士(グラディエーター)が命がけで戦う競技、大怪我を負ったり競技場で殺されてしまうこともある競技だった。ここ数十年の学術的な発掘や調査で分かってきていることは、コロッセオの中央部にはもともと床が張ってあり、その地下に地下2階構造の大規模な施設があり、ライオンなどの猛獣を飼う施設や、奴隷たちが人力で動かす木製のエレベーターや、舞台上と舞台下をつなぐための機械的な開閉機構があり、中央の楕円形の床(地面)の一部が突然開いてそこからライオンが飛び出してきて剣闘士と戦って観客を盛り上げる仕組みになっていたという。またローマ帝国の高度な水道技術を活用してこの競技場は巨大な隠し貯水槽も備えており、(現代人には途方もない話に聞こえるが)必要に応じて貯水槽から水を放出して中央の円形部分、床の上、に数十分ほどで水を張ることができ、船と船の海戦を行う見世物も行っていて観客は大いに盛り上がり、ショーが終わると一気に排水していたという。この海戦の見世物は当時 ナウマキアと呼ばれた。なお関連知識を補足しておくと、ナウマキアが始まったのはコロッセオ建造以前の時代であり、ユリウス・カエサルがポンペイとの戦いやエジプトとの戦いに勝利したことを記念・祝勝して紀元前46年に行われたのが始まりで[5]、最初は屋外の人工の湖で12の軍艦を浮かべて3,000名の兵士で行い全土から来た観客が楽しんだといい[5]、ローマ人はこの記念行事、現代で言えばまるで派手なハリウッド映画のような、強烈な印象で人々の心に焼き付くイベントをコロッセオでもやろうと発想し、コロッセオの工事が竣工(完了)した際に、ではナウマキアをいつやろうか?と思案し[5]、まずはコロッセオの設備のすごさを皆に分かってもらうためにオープニング式典の際にやるのがふさわしい、と考え[5]、チベリウス帝も、そうするようにと命令したという[5]。なおコロッセオの中央に出現させる人工湖は水深が浅かったので、わざわざ船底が平らな船を作ってナウマキアを行ったという[5]。 ほかにコロッセオにあった特筆に値する設備としては、観客に日差しが当たるのを避けるために、外壁の上部から240本もの木製の長いアームが内側に向かって伸びそこに滑車仕掛けで布が張ってあり[6]、必要に応じてローマ海軍所属の熟練の水兵がロープを操りアームの向きを変化させたり布を伸縮させていたという[6]。現代の移動式屋根の先駆となる機構が古代ローマにすでにあったわけである。

脚注

編集

注釈

編集


  1. ^ ローマ皇帝は、自分の権力を維持するためにローマ市民を満足させる必要があった。市民の大部分から嫌われてしまうと、失脚したり暗殺されるリスクがあった。ローマ市民を満足させるために、主食のパンを無料で支給した。帝国の植民地で生産される大量の小麦が、その無料支給を支えた。とりあえず食べるのに全然苦労しなくなった人々が次に求めるのは大抵は楽しみ(エンターテイメント)なので、その欲求に答えるために、このコロッセオを建造した。

出典

編集
  1. ^ a b c d 競技場”. 日本大百科全書(ニッポニカ). 2025年2月22日閲覧。
  2. ^ Ancient Greek Olympic Sports”. 2025年2月22日閲覧。
  3. ^ Architecture of Colosseum”. The Colosseum. 2025年2月22日閲覧。
  4. ^ Interesting facts about the Roman Colosseum”. Rome Tickets. 2025年2月22日閲覧。
  5. ^ a b c d e f Sean Finelli. “The Flooding of the Colosseum”. The Roman Guy. 2025年2月22日閲覧。
  6. ^ a b Jeff Bondono. “A Tourist in Rome - Colosseum”. 2025年2月22日閲覧。

関連項目

編集