田川啓二
この記事は広告・宣伝活動のような記述内容になっています。 (2022年2月) |
来歴
編集東京都港区出身。少年時代、母親の趣味であったフランス刺繡に関心を持つ。明治大学法学部法律学科卒業後、レナウンルック在職中、エスモードジャポン夜間コースに通う。その後、フランスのクチュールブランドの仕事に就き、ビーズ刺繍をインドの職人に下請け依頼していることを知る。
1989年に「チリア」設立[1]。アパレルブランドの下請けとして、インドのムンバイとデリーの職人にビーズ刺繍を発注し始める。1996年、品川区西五反田に刺繡教室「チリアエンブロイダリースタジオ」開講。
2000年に自身初の個展「田川啓二の世界オートクチュールビーズ刺繍展」を開催。
2013年にハワイのワイキキにカフェ&ショップをオープン[2][3]。
2016年4月に文化学園大学特任教授に就任。
黒柳徹子が衣裳のオーダーメードを行っていると同時に黒柳の個人事務所のマネジメント業務を兼任している。公私共に仲が良く軽井沢町の別荘に黒柳の為の部屋を作る程の仲である。
人物
編集- 2人兄弟の次男。兄の田川雅一は株式会社ベネディクトを経営するグラフィックデザイナーであった。
- 趣味はガーデニング、料理、着物やブリキ製玩具のコレクションなどである。
- バラ育種家・河本純子から新作のバラを贈られ、「クチュールローズ・チリア」と命名。
- 社名「チリア」はヒンディー語で「すずめなどの小鳥」を意味する。
- ビーズ刺繍はインドに発注する現地の熟練した職人による製作であり、言葉がほとんど通じなかったため、観察とボディ・ランゲージが中心であった。
- アトリエには20,000種類もの材料を常備している。豊富な材料と技法を複雑かつ高密度に組み合わせることで、立体的で繊細な陰影、色彩、光彩、グラデーションを表現する。
- ビーズ刺繡の作品が動いたときに生じる反射光の変化を「ビーズ刺繡の一番の魅力」とし、モデルが試着して、あらゆる角度からチェックする。
- ゴッホやモネらの著名な絵画のビーズ刺繡による模写や、『不思議の国のアリス』の世界を再現した作品などを手がける。
主な衣裳デザイン
編集出演
編集著書
編集出典
編集- ^ “ABOUT|田川啓二 オフィシャルサイト”. www.tagawakeiji.com. 2023年6月18日閲覧。
- ^ “club willbe(クラブ・ウィルビー):サポーティングメンバーインタビュー 田川啓二 さん「震災を経て思うのは夢を追い続けることの大切さ」”. www.club-willbe.jp. 2023年6月18日閲覧。
- ^ “美しいビーズ刺繍を創るカリスマデザイナー | アロハストリート-ハワイ”. アロハストリート. 2023年6月18日閲覧。