深谷宿

中山道六十九次(木曽街道六十九次)のうち江戸から数えて9番目の宿場

深谷宿(ふかやじゅく[1]、ふかやしゅく[2])は、中山道六十九次(木曽街道六十九次)のうち江戸から数えて9番目の宿場

木曽海道六十九次『岐阻街道 深谷之駅』、渓斎英泉 画。飯盛女が描かれている。

現在の埼玉県深谷市にあたる。深谷宿は中山道で最大規模の宿場で、本陣1(飯島家)、脇本陣4、旅籠80余。商人が多く、また飯盛女も多く、遊郭もあり、江戸を出立して2番目の宿を求める人で大いに栄えた。 五の日、十の日に市が立った。(壬戌紀行)

特徴

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天保14年(1843年)の『中山道宿村大概帳』によれば、深谷宿の宿内家数は525軒、うち本陣1軒、脇本陣4軒、旅籠80軒で宿内人口は1,928人であった。

最寄り駅

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史跡・みどころ

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  • みかえりの松(枯れてしまい現在は二代目)
  • 常夜燈(天保11年(1840年)建立)
  • 7月には飯盛女の星祭りが起源といわれる七夕祭りが開催される。

隣の宿

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中山道
熊谷宿 - 深谷宿 - 本庄宿

脚注

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  1. ^ 埼玉新聞社『埼玉大百科事典』 〈4〉とち-ま、埼玉新聞社、1975年、310頁。ASIN B000J9ECRE 
  2. ^ 平凡社地方資料センター 編『日本歴史地名大系 11 埼玉県の地名』平凡社、1993年、818頁。ISBN 4-582-49011-5