浦野 敬(うらの けい)は、大正昭和期の日本の歌人

人物

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栃木県安蘇郡佐野町生まれ。1916年東京高等商業学校(現一橋大学本科卒業[1][2][3]。1927年に高商同期の大熊信行が創刊した「まるめら」の同人となった[4]

1928年に結成された新興歌人連盟を、浅野順一伊澤信平坪野哲久渡辺順三大塚金之助らと、雑誌問題で脱退し、無産者歌人連盟を結成[5]

1931年飯田町立飯田商業学校[6]。1935年佐賀県立佐賀商業学校[4][7][8]。1942年紀元二千六百年祝典記念章受章[9]。1944年退職[10]、叙正五位[11]第二次世界大戦後は、新日本歌人協会に参加した[12]

親族

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小説家澁澤龍彦は甥[4]

脚注

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  1. ^ 浦野 敬(日本近代文学大事典)国立国会図書館リサーチ
  2. ^ 大衆人事録 全国篇 12版
  3. ^ 東京商科大学一覧 昭和10年度
  4. ^ a b c 澁澤龍彦『私の少年時代』河出書房新社.
  5. ^ 大正時代の小林多喜二の評論活動と彼の思想商学討究 (1950.11-) 第46巻4号
  6. ^ 官報 1931年03月03日
  7. ^ 経済統制下の佐賀市商店経営 図書 江頭謹一郎 調査 佐賀県立佐賀商業学校, 昭和15
  8. ^ 官報 1935年05月04日
  9. ^ 官報 1942年08月28日
  10. ^ 官報 1944年02月10日
  11. ^ 官報 1944年02月21日
  12. ^ 浦野 敬(読み)ウラノ ケイ20世紀日本人名事典