正慶しょうきょうしょうけい)は、日本元号の一つ。持明院統(後の北朝)方で使用された。元徳の後、元弘の前。正慶元年/元弘2年(1332年)の4月28日(西暦5月23日)から正慶2年/元弘3年(1333年)の5月25日(西暦7月7日)までの期間を指す。この時代の天皇は光厳天皇であるが、先帝の後醍醐天皇は皇位継承を否定していた。鎌倉幕府将軍は守邦親王執権北条守時

改元

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元徳3年8月9日ユリウス暦1331年9月1日)、後醍醐天皇は「元徳」から「元弘」へと改元した。しかし、後醍醐天皇が倒幕を企てると、鎌倉幕府は改元を認めず「元徳」を使い続けるとともに、9月20日10月22日)には皇太子の即位を要請して、光厳天皇が即位した。翌年、後醍醐天皇は隠岐に流され、元弘2年4月28日1332年5月23日)、光厳天皇は正慶に代始改元した。出典は『易経』益卦の注「以 中正有慶之徳 、有 往也、何適而不 利哉」[1]。勘申者は菅原公時菅原長員[2]

しかし、正慶2年/元弘3年(1333年)、後醍醐天皇が還幸して鎌倉幕府は滅亡した。5月25日7月7日)に光厳天皇は退位し、正慶の元号は廃された。その翌年の元弘4年1月29日(1334年3月5日)には建武へと改元された。後醍醐天皇はこのとき、光厳天皇の即位と「正慶」の元号の無効を宣言した。

西暦との対照表

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※は小の月を示す。

正慶元年(壬申 一月 二月※ 三月 四月※ 五月 六月 七月※ 八月 九月※ 十月 十一月 十二月※
元弘二年
ユリウス暦 1332/1/28 2/27 3/27 4/26 5/25 6/24 7/24 8/22 9/21 10/20 11/19 12/19
正慶二年(癸酉 一月※ 二月 閏二月※ 三月 四月※ 五月 六月※ 七月 八月 九月※ 十月 十一月 十二月※
元弘三年
ユリウス暦 1333/1/17 2/15 3/17 4/15 5/15 6/13 7/13 8/11 9/10 10/10 11/8 12/8 1334/1/7

出典

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  1. ^ 正慶」コトバンク
  2. ^ 『日本大百科全書』日本年号一覧「正慶」。

関連項目

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