杜世忠
人物
編集- 蒙古人、元の正史(官位・礼部侍郎)として文永の役の翌年、建治元年4月15日(1275年)長門国室津(現在の山口県下関市)に上陸。一行は捕えられ大宰府へ送られ、8月になってから太宰府は元使を鎌倉へ護送した。1275年9月27日、時の8代執権北条時宗は元使一行を竜ノ口(現在の神奈川県藤沢市片瀬 龍口刑場跡)にて斬首。享年34。
辞世の句「出門妻子贈寒衣 問我西行幾日歸 來時儻佩黃金印 莫見蘇秦不下機」は、蘇秦の故事を踏まえた李白の詩のもじりであり、栄達を果たして家族のもとに帰る望みを果たせなかった無念と、身につけた一定の教養が窺われる。
元使構成員
編集- 正使:杜世忠(34歳・蒙古人)
- 副使:何文著(38歳・唐人、兵部郎中)
- 辞世の詩「四大原無主 五蘊悉皆空 兩國生靈苦 今日斬秋風」
- 計議官:撒都魯丁(32歳・ウイグル人)
- 書状官:果(32歳・ウイグル人)
- 通訳:徐賛(32歳・高麗国人)
- 辞世の詩「朝廷宰相五更寒 寒甲将軍夜過関 十六高僧申未起,算来名利不如閑」
関連項目
編集- 常立寺 – 彼を含め、処刑された元使の塚がある。