押阪忍

日本のアナウンサー、タレント (1935-2024)

押阪 忍(おしざか しのぶ、1935年昭和10年〉2月28日[1] - 2024年令和6年〉6月29日)は、日本のフリーアナウンサー司会者タレント芸能プロモーター。元日本教育テレビ(NETテレビ、現在のテレビ朝日)アナウンサー

おしざか しのぶ
押阪 忍
プロフィール
出身地 日本の旗 日本 岡山県津山市
生年月日 (1935-02-28) 1935年2月28日
没年月日 2024年6月29日(2024-06-29)(89歳没)
最終学歴 立教大学経済学部
所属事務所 エス・オー・プロモーション
職歴日本教育テレビアナウンサー(第1期)
活動期間 1958年 - 2024年
ジャンル バラエティ
配偶者 栗原アヤ子
著名な家族 押阪雅彦(長男)
公式サイト プロフィール
出演番組・活動
出演経歴ベルトクイズQ&Q
特ダネ登場!?
プロ野球ニュース』など
その他 トークアカデミー塾長

人物

編集

岡山県津山市出身[1]。「押阪」姓は飛鳥時代の皇族・押坂彦人大兄皇子がルーツという[2]岡山県立津山高等学校立教大学経済学部を卒業した。5人兄弟の末っ子で、上の4人をすべて結核で失い、母親も早くに亡くした。そのため、同大学時代は実父の知人であった出羽海親方(元横綱・常ノ花)の伝手で出羽海部屋の書生を務めており、アナウンサーの中では非常に珍しい苦学生だった。

1958年4月、開局を翌年に控えた『日本教育テレビ』(NETテレビ、現在のテレビ朝日)にアナウンサーとして入社した。アナウンス教育は同年にNHKへ入局した野際陽子秋山和平とともにNHKで受けている [3]1971年に同社を退社後、個人タレント事務所「エス・オー・プロモーション」を立ち上げて独立し、数々のテレビ番組で司会を務め、さらにCMにも出演した。

TBS「日曜劇場」が東芝1社提供で放映された時のタイトルクレジットコールも長年担当した一方で、同番組内では東芝の家電製品のインフォマーシャルも担当し、松下電器(現在のパナソニック)泉大助日立高橋圭三と共に1960年代から1970年代にかけて“家電CMの顔”として親しまれた。また、東芝の1社提供だった日本テレビ「東芝ファミリーホール特ダネ登場!?」の司会や、TBSの「ベルトクイズQ&Q」の3代目司会者としても出演した。ユニリーバ・ジャパンマーガリンラーマ」の1970年代から1980年代に掛けてのCM『奥様インタビュー』のインタビュアーも務めた。近年では、日本テレビ系列で日曜昼に放送された『テレつく!』のどっきり企画で、芸能人に突然クイズを出題する仕掛け人役を務めて評判を呼んだ。

生前は所属事務所の代表取締役会長を務めると共に、CS放送のテレショップ番組の出演とエス・オー・プロモーションが運営するトークアカデミーの塾長として、アナウンサーや司会者の養成が活動の中心になっていた。

2008年12月1日、アナウンサー生活50周年記念の「感謝の集い」を開き、露木茂徳光和夫小倉智昭古舘伊知郎らが出席し、祝福した。

晩年は2009年に大腸がん、2017年に腹部大動脈瘤の手術を受けていたが活動を継続し、2017年にはNHKテレビ朝の連続テレビ小説『ひよっこ』に劇中のクイズ番組の司会者役で出演するなど、生涯にわたりアナウンサーとして活動した[4]

死去の前年から療養を続けてきたが、2024年6月29日老衰のため、死去した。89歳没。訃報は同年7月8日にエス・オー・プロモーションより公表された[5][6]

家族

編集

妻は同じくフリーアナウンサーでタレントの栗原アヤ子。栗原の病気(スエヒロタケによるアレルギー性気管支肺真菌症)の看病体験を各地で講演する活動も行ってきた。また自らの出身地・津山市の観光親善大使としても活動し岡山県内のテレビ番組などでPR活動も行っていた。このほか、夫婦一緒にテレビ出演も果たした。長男の押阪雅彦はエス・オー・プロモーションの社長を務める傍ら、クラブDJのDJ OSSHYとしても活動している。2018年6月4日月曜日)に古巣のテレビ朝日から放送された『徹子の部屋』では、家族3人による番組共演が初めて実現した(雅彦は「DJ OSSHY」名義で出演)。

出演

編集

テレビ

編集

報道・情報番組

期間 番組名 役職
1978年1月6日 1980年3月30日 プロ野球ニュース【休日】(フジテレビ キャスター
1981年4月 1982年3月 おはようテレビ朝日テレビ朝日 司会
1981年4月4日 時期不明 すこやかさん(フジテレビ) ナビゲーター
1991年4月7日 信州2230TVテレビ信州 司会

バラエティ・クイズ関連・中継担当番組・その他

映画

編集

ラジオ

編集

著書

編集

脚注

編集
  1. ^ a b c DJ名鑑 1987三才ブックス、1987年2月15日、45頁。
  2. ^ 木村隆『この母ありて』 青蛙房 2010年 77頁
  3. ^ a b 「ベルトクイズQ&Q」押阪忍アナ「ひよっこ」で名司会復活!ネット興奮 - スポーツニッポン、2017年8月15日[出典無効]
  4. ^ 押阪忍さん死去、89歳 テレ朝前身1期生→民放出身フリーアナ1号・芸能事務所創業 - 日刊スポーツ 2024年7月8日
  5. ^ 民放出身「フリーアナ」第1号・押阪忍さんが死去 享年89 女子バレー「東洋の魔女」の実況担当”. ORICON NEWS (2024年7月8日). 2024年7月8日閲覧。
  6. ^ 民放出身フリーアナ1号、押阪忍さん死去 89歳老衰 次男智彦さん「大往生で幸せな最期」 - 日刊スポーツ 2024年7月8日
  7. ^ 1975年3月31日から関西地区のネット局が朝日放送から毎日放送に変更。
  8. ^ a b 東芝一社提供
  9. ^ メナード化粧品の一社提供。
  10. ^ さて、問題です! クイズ番組で「時代の空気」を感じさせた『ひよっこ』 - Yahoo!ニュース (碓井広義)、2017年8月15日

外部リンク

編集