恵運
平安時代前期の真言宗の僧
恵運(えうん、延暦17年(798年)- 貞観11年9月23日(869年10月31日))は、平安時代前期の真言宗の僧。俗姓は安曇氏。山城国の出身。入唐八家(最澄・空海・常暁・円行・円仁・恵運・円珍・宗叡)の一人。慧運とも書く。
生涯
編集初め東大寺泰基・薬師寺仲継に法相教学を学んだが、受戒後の824年(天長元年)真言宗の実恵の門下に入った。関東での一切経書写の検校や筑紫観世音寺講師などを歴任した後、842年(承和9年)唐の商人李処人の船で唐に渡った。長安青龍寺で義真に灌頂を受け、五台山・天台山を巡拝した。847年(承和14年)に帰国し、八家請来目録を呈上している。翌848年(承和15年)女御藤原順子の発願により京都安祥寺を開創した。その後僧都に任じられ、安祥寺僧都と称された。