寛文

日本の元号 (1661–1673)

寛文 (かんぶん、旧字体寛󠄁文󠄁)は、日本元号の一つ。万治の後、延宝の前。1661年から1673年までの期間を指す。この時代の天皇後西天皇霊元天皇江戸幕府将軍は徳川家綱

改元

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前回の万治改元が江戸での大火(明暦の大火)を理由とした江戸幕府からの申し入れによる改元であったため、京都での大火を理由とした朝廷からの申し入れによる改元を幕府は拒否しなかった。また、3月には朝廷から10程度の候補が内々に幕府へと伝えられていたが、幕府の使者である高家吉良義冬の申し入れで「寛文を含めた3つの候補を正式な候補として幕府に通知し、幕府はそれに基づいて寛文を選択する」というシナリオに基づいて一連の手続きが行われたという[1]

出典

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荀子』致士篇の「節奏陵而文、生民寛而安、上文下安、巧妙之極也」から。

寛文年間の出来事

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  • 寛文2年(1662年)寛文京都地震が発生
  • 寛文3年(1663年)有珠山噴火
  • 寛文4年(1664年)陸奥八戸藩が置かれる
  • 寛文4年(1664年)大阪在住の操太夫大和が、土佐藩で初めての浄瑠璃興業を行う[2]
  • 寛文5年(1665年)英蘭戦争
  • 寛文5年(1665年)- 寛文9年(1669年)寛文検地
  • 寛文6年(1666年)英国ロンドン大火。江戸幕府が山川掟(河川への土砂流出を防ぐための法令)を定める。
  • 寛文7年(1667年)東大寺二月堂が修二会における失火で失われる。
  • 寛文11年(1671年)陸奥仙台藩伊達騒動(寛文事件)が勃発。
  • 寛文12年(1672年)土佐藩にて、城下町である種崎町と水通町で銭湯の運営が始まる[3]
  • 寛文13年(1673年)土佐藩にて、城下の通町在住の六兵衛が元結の製造販売を始める[4]

誕生

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死去

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西暦との対照表

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※は小の月を示す。

寛文元年(辛丑 一月※ 二月 三月※ 四月※ 五月 六月※ 七月 八月 閏八月※ 九月 十月 十一月※ 十二月
グレゴリオ暦 1661/1/31 3/1 3/31 4/29 5/28 6/27 7/26 8/25 9/24 10/23 11/22 12/22 1662/1/20
ユリウス暦 1661/1/21 2/19 3/21 4/19 5/18 6/17 7/16 8/15 9/14 10/13 11/12 12/12 1662/1/10
寛文二年(壬寅 一月※ 二月 三月※ 四月※ 五月 六月※ 七月 八月※ 九月 十月 十一月 十二月※
グレゴリオ暦 1662/2/19 3/20 4/19 5/18 6/16 7/16 8/14 9/13 10/12 11/11 12/11 1663/1/10
ユリウス暦 1662/2/9 3/10 4/9 5/8 6/6 7/6 8/4 9/3 10/2 11/1 12/1 12/31
寛文三年(癸卯 一月 二月※ 三月 四月※ 五月※ 六月※ 七月 八月※ 九月 十月 十一月 十二月※
グレゴリオ暦 1663/2/8 3/10 4/8 5/8 6/6 7/5 8/3 9/2 10/1 10/31 11/30 12/30
ユリウス暦 1663/1/29 2/28 3/29 4/28 5/27 6/25 7/24 8/23 9/21 10/21 11/20 12/20
寛文四年(甲辰 一月 二月 三月※ 四月 五月※ 閏五月※ 六月※ 七月 八月※ 九月 十月 十一月※ 十二月
グレゴリオ暦 1664/1/28 2/27 3/28 4/26 5/26 6/24 7/23 8/21 9/20 10/19 11/18 12/18 1665/1/16
ユリウス暦 1664/1/18 2/17 3/18 4/16 5/16 6/14 7/13 8/11 9/10 10/9 11/8 12/8 1665/1/6
寛文五年(乙巳 一月 二月 三月※ 四月 五月※ 六月※ 七月※ 八月 九月※ 十月 十一月 十二月※
グレゴリオ暦 1665/2/15 3/17 4/16 5/15 6/14 7/13 8/11 9/9 10/9 11/7 12/7 1666/1/6
ユリウス暦 1665/2/5 3/7 4/6 5/5 6/4 7/3 8/1 8/30 9/29 10/28 11/27 12/27
寛文六年(丙午 一月 二月 三月※ 四月 五月※ 六月 七月※ 八月 九月※ 十月※ 十一月 十二月※
グレゴリオ暦 1666/2/4 3/6 4/5 5/4 6/3 7/2 8/1 8/30 9/29 10/28 11/26 12/26
ユリウス暦 1666/1/25 2/24 3/26 4/24 5/24 6/22 7/22 8/20 9/19 10/18 11/16 12/16
寛文七年(丁未 一月 二月 閏二月※ 三月 四月 五月※ 六月 七月※ 八月 九月※ 十月※ 十一月 十二月※
グレゴリオ暦 1667/1/24 2/23 3/25 4/23 5/23 6/22 7/21 8/20 9/18 10/18 11/16 12/15 1668/1/14
ユリウス暦 1667/1/14 2/13 3/15 4/13 5/13 6/12 7/11 8/10 9/8 10/8 11/6 12/5 1668/1/4
寛文八年(戊申 一月 二月 三月※ 四月 五月※ 六月 七月 八月※ 九月 十月※ 十一月 十二月※
グレゴリオ暦 1668/2/12 3/13 4/12 5/11 6/10 7/9 8/8 9/7 10/6 11/5 12/4 1669/1/3
ユリウス暦 1668/2/2 3/3 4/2 5/1 5/31 6/29 7/29 8/28 9/26 10/26 11/24 12/24
寛文九年(己酉 一月※ 二月 三月※ 四月 五月※ 六月 七月 八月※ 九月 十月 閏十月※ 十一月 十二月※
グレゴリオ暦 1669/2/1 3/2 4/1 4/30 5/30 6/28 7/28 8/27 9/25 10/25 11/24 12/23 1670/1/22
ユリウス暦 1669/1/22 2/20 3/22 4/20 5/20 6/18 7/18 8/17 9/15 10/15 11/14 12/13 1670/1/12
寛文十年(庚戌 一月※ 二月 三月※ 四月 五月※ 六月 七月※ 八月 九月 十月 十一月※ 十二月
グレゴリオ暦 1670/2/20 3/21 4/20 5/19 6/18 7/17 8/16 9/14 10/14 11/13 12/13 1671/1/11
ユリウス暦 1670/2/10 3/11 4/10 5/9 6/8 7/7 8/6 9/4 10/4 11/3 12/3 1671/1/1
寛文十一年(辛亥 一月※ 二月 三月※ 四月※ 五月 六月※ 七月※ 八月 九月 十月 十一月※ 十二月
グレゴリオ暦 1671/2/10 3/11 4/10 5/9 6/7 7/7 8/5 9/3 10/3 11/2 12/2 12/31
ユリウス暦 1671/1/31 3/1 3/31 4/29 5/28 6/27 7/26 8/24 9/23 10/23 11/22 12/21
寛文十二年(壬子 一月 二月※ 三月 四月※ 五月※ 六月※ 閏六月 七月※ 八月 九月 十月※ 十一月 十二月
グレゴリオ暦 1672/1/30 2/29 3/29 4/28 5/27 6/25 7/24 8/23 9/21 10/21 11/20 12/19 1673/1/18
ユリウス暦 1672/1/20 2/19 3/19 4/18 5/17 6/15 7/14 8/13 9/11 10/11 11/10 12/9 1673/1/8
寛文十三年(癸丑 一月 二月※ 三月 四月※ 五月※ 六月※ 七月 八月※ 九月 十月※ 十一月 十二月
グレゴリオ暦 1673/2/17 3/19 4/17 5/17 6/15 7/14 8/12 9/11 10/10 11/9 12/8 1674/1/7
ユリウス暦 1673/2/7 3/9 4/7 5/7 6/5 7/4 8/2 9/1 9/30 10/30 11/28 12/28

脚注

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  1. ^ 久保、1998年、P68-69.
  2. ^ 武市佐市郎、『武市佐市郎集 風俗事物編』、高知市民図書館、平成7年3月15日発行、P105。
  3. ^ 『武市佐市郎集 風俗事物編』、平成7年3月15日発行、武市佐市郎、高知市民図書館、P18。
  4. ^ 『武市佐市郎集 風俗事物編』、平成7年3月15日発行、武市佐市郎、高知市民図書館、P25。

参考文献

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  • 久保貴子「朝廷の再生と朝幕関係」第三節〈改元制度にみる幕府権力〉『近世の朝廷運営』岩田書院、1998年 ISBN 4-87294-115-2 P57-70.(原論文は『民衆史研究』38号、1989年)