埼玉県庁
埼玉県の行政機関
埼玉県庁(さいたまけんちょう)は、地方公共団体である埼玉県の行政機関。
埼玉県庁 | |
---|---|
埼玉県庁第一庁舎 | |
役職 | |
知事 | 大野元裕 |
副知事 |
山崎達也 伊藤高 堀光敦史 |
組織 | |
知事部局 | 知事直轄、総務部、企画財政部、県民生活部、危機管理防災部、環境部、福祉部、保健医療部、産業労働部、農林部、県土整備部、都市整備部 |
行政委員会 | 教育委員会、公安委員会、選挙管理委員会、監査委員、人事委員会、労働委員会、収用委員会、内水面漁場管理委員会 |
概要 | |
所在地 |
郵便番号:330-9301(郵便物の場合、以下の住所記入は不要) 埼玉県さいたま市浦和区高砂三丁目15番1号 北緯35度51分25.2秒 東経139度38分55.8秒 / 北緯35.857000度 東経139.648833度座標: 北緯35度51分25.2秒 東経139度38分55.8秒 / 北緯35.857000度 東経139.648833度 |
定員 |
一般行政部門6,740人(2013年[1]) 教育部門40,823人(2013年) 警察部門12,364人(2013年) |
年間予算 | 1兆6,899億円(2010年度) |
設置 | 1871年11月14日 |
ウェブサイト | |
https://www.pref.saitama.lg.jp/ |
概要
編集庁舎は、さいたま市浦和区高砂に置いている。当初、埼玉県庁は埼玉郡岩槻町(現在のさいたま市岩槻区)に置かれる予定であったが、県庁としての業務を行える建築物がなかったため、北足立郡浦和宿の旧浦和県庁舎が使われた。1876年(明治9年)に現在の埼玉県が成立し、1890年(明治23年)9月25日に勅令により浦和町が県庁所在地となった。
また、埼玉県庁の出先機関として、地域振興センターを県内の9つの地域に設けている。
歴史
編集→「埼玉県 § 歴史」も参照
- 1869年(明治2年)9月29日 - 浦和県が発足し、現在地に浦和県庁が置かれる。
- 1871年(明治4年)11月14日 - 埼玉県発足(埼玉郡・足立郡・葛飾郡)。翌月、旧浦和県庁舎に埼玉県庁を置く。
- 1876年(明治9年)8月21日 - 旧入間県の地域が旧埼玉県と合併し、現在の埼玉県が成立。
- 1890年(明治23年)9月25日 - 浦和町を県庁所在地とする勅令を公布。
- 1955年(昭和30年)10月 - 県庁本庁舎(現:第一庁舎)が全面完成。4期に分けて建築された。
- 1974年(昭和49年)3月 - 県庁第二庁舎が完成。
- 1983年(昭和58年) - 現在の県議会議事堂が完成。
- 1992年(平成4年)11月14日 - 埼玉県の愛称として「彩の国」を採用。
主な組織
編集ここでは、主要部局を記載し、下部組織については一部のみ記載する。右にある[表示]をクリックすると以下に一覧表示が展開される。
主な出先機関
編集- 地域振興センター:南部(川口市)、南西部(朝霞市)、東部(春日部市)、県央(上尾市)、川越比企(川越市)、西部(所沢市)、利根(行田市)、北部(熊谷市)、秩父(秩父市)
- 県営競技事務所(西武園競輪場・大宮競輪場の経営事務)
- 県税事務所:さいたま、川口、朝霞、川越、飯能、所沢、東松山、秩父、本庄、熊谷、行田、春日部、越谷、上尾
- 農林振興センター:さいたま、川越、東松山、秩父、本庄、大里、加須、春日部
- 県福祉事務所:東部(春日部市)、西部(坂戸市)、北部(本庄市)、秩父(秩父市)
- 保健所:川口、朝霞、春日部、草加、鴻巣、東松山、坂戸、狭山、加須、幸手、熊谷、本庄、秩父
- 県土整備事務所:さいたま、朝霞、川越、北本、飯能、東松山、秩父、本庄、熊谷、行田、越谷、杉戸
不祥事
編集職員による不祥事
編集その他
編集ドキュメンタリー
編集脚注
編集注釈・出典
編集- ^ 平成25年地方公共団体定員管理調査結果 (PDF) - 総務省自治行政局公務員部(2014年5月、以下同じ)
- ^ “埼玉県元部長を訓告処分 台風対応時、飲酒し自転車”. 産経新聞 2019.12.27 20:38. 2020年8月8日閲覧。
- ^ “ワクチン接種 自治体の叫び〜埼玉 対策チームの4か月〜”. NHK (2021年6月26日). 2021年6月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年7月3日閲覧。
関連項目
編集- 埼玉県議会
- 埼玉県浦和競馬組合
- 埼玉県茶業研究所
- 埼玉県水産研究所
- 見沼三原則
- 東日本実業団対抗駅伝競走大会 - 埼玉県庁をスタート地点とする。
- コバトン - 埼玉県の県の鳥であるシラコバトをモチーフにした、埼玉県のマスコット。