出雲広嶋

奈良時代の出雲国造

出雲 広嶋(いずも の ひろしま、生没年不詳)は、奈良時代人物。名は広島とも表記される。出雲国造出雲果安の子。官位従五位下出雲国造。『出雲国風土記』の編纂者。

経歴

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養老8年(724年元正天皇出雲国造神賀詞を奏上し、これにより神部ともども位階を進められ、禄を賜った(この時の位階は従七位下)。神亀3年(726年)にも上京して、聖武天皇に神賀詞を奏上し、合わせて神社の剣・鏡と白馬・を献上する。2人の祝と合わせて位階二階を進められるとともに、20疋・綿50屯・布60端、その他の祝部194人にも禄が与えられた[1]

天平5年(733年)2月に勘造された『出雲国風土記』編纂の総括的責任者として、巻末に「国造にして意宇の郡の大領を帯びたる、外正六位上 勲十二等 出雲臣広島」と署名している[2]天平10年(738年従五位下に昇叙された。

子または弟の出雲弟山が国造に就任した天平18年(746年)ごろ没したか[3]

官歴

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注記のないものは『続日本紀』による。

系譜

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脚注

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  1. ^ 『続日本紀』神亀3年2月7日条
  2. ^ a b 『出雲国風土記』奧付
  3. ^ 『日本人名大辞典』
  4. ^ a b c 宝賀[0986: 994]

参考文献

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関連項目

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