円墳
古墳の形式のひとつで、平面形が円形のもの
概要
編集古墳時代を通じてつくられ、直径数メートルから百メートル前後で、規模は中・小型のものが多い。
墳形が単純なので、時期による形態の変遷は明確でない。墳頂部に墓壙を掘る前・中期のものは墳頂部の平坦面が広いものが多く、後期には土饅頭系が増え、横穴式石室をもつ後期や終末期のものでは墳頂平坦面が狭く、墳高がやや高い傾向にある。
なお、円墳に造出を付けたものを帆立貝形古墳と呼ぶ。前方後円墳の前方部が小さいものと解されることもあるが、造出の規模の小さいものは円墳に分類することが多い[1][2]。
最大の円墳は埼玉古墳群中にある丸墓山古墳(墳径105m)とされてきた。しかし奈良県奈良市にある円墳の富雄丸山古墳を市教育委員会が2017年(平成29年)に測量調査した結果、従来直径86mとされていたこの古墳が直径110m前後に復元できることが判明した[3]。そうなれば富雄丸山古墳が丸墓山古墳を抜いて最大の円墳となる。ちなみに前方後円墳最大の大山古墳の後円部径は250メートルであり、後円部径が100メートルを超える前方後円墳は約50基を数える[4]。
各地の円墳
編集各地の代表的な円墳の名前・読み仮名・所在地・時期・規模・その他など
東北・北海道地方
編集- 江釣子古墳群(えつりこ、岩手県北上市上江釣子・北鬼柳・和賀町長沼、4支群があり、直径10メートル前後、高さ1メートルほどの円墳が約120基ほど確認されている。古墳時代後期後半の群集墳[5]。末期古墳、国の史跡)
- 高瀬山古墳(たかせやまこふん、山形県寒河江市、7世紀前後、周溝外周径34メートル、周溝内周径23メートル、高さ1.3メートル、山形県史跡)
- 小塚古墳(宮城県名取市、直径54メートル、雷神山古墳の後円部の北に接する。国の史跡)
- 甲塚古墳(かぶとづかこふん、福島県いわき市、直径37メートル、高さ約8.2メートル、国の史跡)
関東地方
編集- 車塚古墳(くるまづかこふん、栃木県下都賀郡壬生町、終末期、直径約44.7メートル[6]、国の史跡)
- 埼玉丸墓山古墳(さきたままるはかやまこふん、埼玉県行田市、埼玉古墳群、墳径105メートル、墳高18.9メートル[7]、日本最大とされてきたが第2位である可能性、国の史跡)
- 甲山古墳(かぶとやまこふん、埼玉県熊谷市、墳径90メートル、墳高11.25メートル、埼玉県史跡)
- 芝山古墳群(しばやまこふんぐん、千葉県山武郡横芝光町、群中に13基の円墳、国の史跡)
- 車塚古墳(くるまづかこふん、茨城県東茨城郡大洗町、直径約95メートル、茨城県史跡)[8]
北陸地方
編集- 城の山古墳(じょうのやまこふん、新潟県胎内市塩津、直径40メートル)
- 水科古墳群(みずしなこふんぐん、新潟県上越市水科、群集墳、国の史跡)
- 兜山古墳(かぶとやまこふん、福井県鯖江市、直径60メートル、国の史跡、福井県最大の円墳)
- 春日山古墳(かすがやまこふん、福井県吉田郡永平寺町、直径約20メートル)
中部・東海地方
編集- 兜塚古墳(かぶとづかこふん、静岡県磐田市見付、古墳時代中期、直径80メートル、県内最大)
- 八幡山古墳(はちまんやまこふん、愛知県名古屋市昭和区山脇町、古墳時代中期(5世紀半ば)、直径約74メートル(現状約85メートル)、東海地方最大、1931年(昭和6年)国の史跡に指定)
近畿地方
編集- 富雄丸山古墳(とみおまるやまこふん、奈良県奈良市丸山1丁目、4世紀後半[3]、直径86mとされてきたが直径110m前後に復元すれば日本最大[3])
- 文殊院西古墳(もんじゅいんにしこふん、奈良県桜井市阿部金蔵645番中、古墳時代終末期の大型円墳、国の特別史跡)
- 牧野古墳(ばくやこふん、奈良県北葛城郡広陵町馬見北八丁目四番、径55メートルの大円墳、被葬者に押坂彦人大兄を当てる説がある。国の史跡)
中国地方
編集- スクモ塚古墳(すくもづかこふん、島根県益田市久城町字須久茂塚、大型の円墳として国の史跡に指定されたが、前方後円墳とも考えられている)
- 上塩冶築山古墳(かみえんやつきやまこふん、島根県出雲市、今市・塩冶古墳群、6世紀末、国の史跡)
- 上塩冶地蔵山古墳(かみえんやじぞうやまこふん、島根県出雲市、今市・塩冶古墳群、6世紀末、国の史跡)
- 明神古墳(みょうじんこふん、島根県大田市、6世紀後半、10.8メートルの横穴式石室、副葬品に金メッキの飾りを付けた刀、島根県史跡)
- 三明寺古墳(さんみょうじこふん、鳥取県倉吉市、後期、直径18メートル、山陰地方最大級の横穴式石室をもつ、国の史跡)
- 岡田山2号墳(おかだやまにごうふん、島根県松江市大草町岡田、6世紀後半、2段築成で径44メートル。国の史跡)
四国地方
編集- 段の塚穴 - (だんのつかあな)、徳島県美馬市、古墳時代後期の次の2基の古墳から成る。国の史跡
- 太鼓塚 - 東西37メートル、南北33メートル、高さ10メートル
- 棚塚 - 径20メートル、高さ7メートル
九州・沖縄地方
編集脚注
編集- ^ 『知識ゼロからの古墳入門』70頁 広瀬 和雄 (監修)
- ^ 『知識ゼロからの古墳入門』71頁 広瀬 和雄 (監修)
- ^ a b c 古墳・埴輪窯 - 奈良市(2018年5月18日 午前5時50分(JST)閲覧)
- ^ 田中琢・佐原真編『日本考古学事典』白石太一郎の円墳の項を参照した。
- ^ 高橋(1991) 28ページ
- ^ 直径82メートル(広瀬和雄『前方後円墳の世界』〈岩波新書1264〉2010年8月 166ページ)
- ^ 「ガイドブックさきたま」3頁 埼玉県立さきたま史跡の博物館発行 2010年11月
- ^ 直径約95メートル(大洗町史編さん委員会『大洗町史(通史編)』1986年3月 182ページ)
参考文献
編集- 永原慶二監修 石上英一他編集『岩波 日本史辞典』岩波書店 1999年 ISBN 4-00-080093-0
- 田中琢・佐原真編『日本考古学事典』三省堂 2003年 ISBN 4-385-15835-5
- 高橋信雄 著「江釣子古墳」、文化庁文化財保護部史跡研究会監修 編『図説 日本の史跡 第2巻 原始2』同朋舎出版、1991年。ISBN 978-4-8104-0925-3。