五来重
五来 重(五來 重、ごらい しげる、1908年〈明治41年〉3月7日 - 1993年〈平成5年〉12月11日)は、日本の民俗学者。大谷大学名誉教授。専門は日本仏教史、仏教民俗学。
人物情報 | |
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生誕 |
1908年3月7日 茨城県久慈郡久慈町 |
死没 | 1993年12月11日(85歳没) |
出身校 |
東京帝国大学文学部 京都帝国大学文学部 |
学問 | |
研究分野 | 民俗学 |
研究機関 |
高野山大学 大谷大学 |
学位 | 文学博士 |
主な業績 | 仏教民俗学の創始 |
主要な作品 | 『五来重著作集』 |
影響を受けた人物 | 柳田國男 |
影響を与えた人物 | 日野西眞定 |
経歴
編集茨城県久慈郡久慈町(現:日立市)に生まれる。旧制茨城県立太田中学校(現:茨城県立太田第一高等学校・附属中学校)、旧制水戸高等学校文科甲類を経て[1]、1932年に東京帝国大学文学部印度哲学科を卒業[2]。高野山大学助手に就任するも、歴史学を修めるため京都帝国大学文学部史学科に再入学し、1939年に京都帝国大学文学部史学科国史学専攻を卒業[3]。卒業論文は「中世に於ける神仏習合思想の変遷と元寇の影響」[4]。
以後、京都師範学校教諭、高野山大学助教授、同教授を経て、1955年、大谷大学文学部教授に就任。同大学を拠点として広く仏教民俗学を講じた。1962年には、文学博士の学位を取得した[5]。1978年、大谷大学を定年退職、同名誉教授。1980年、勲三等瑞宝章を授与される。退職以降も「日本宗教民俗学研究所」を主宰し[注 1]多くの後進を育成した。
人物
編集柳田國男の京都帝国大学での集中講義に感銘を受け[6]、従来、教学史研究・思想史研究に偏りがちであった日本仏教の研究に、民俗学の視点・手法を積極的に導入。各地における庶民信仰・民俗信仰の実態について、綿密な現地調査と卓抜した史観に基づく考察を加え、地域宗教史・民衆宗教史の分野に多大な業績を残した。
弟子
編集主な著作
編集- 『元興寺極楽房中世庶民信仰資料の研究』(法藏館、1964年)
- 『吉野・熊野信仰の研究』(名著出版、1975年)
- 『高野聖』(角川新書、1965年/角川選書、1984年/角川ソフィア文庫、2011年)
- 『熊野詣 三山信仰と文化』(淡交新社、1967年/講談社学術文庫、2004年)
- 『仏教と民俗 仏教民俗学入門』(角川選書、1976年/角川ソフィア文庫、2010年)
- 『続 仏教と民俗』(角川選書、1979年)
- 『修験道入門』(角川書店、1980年/ちくま学芸文庫、2021年6月)
- 『絵巻物と民俗』(角川選書、1981年)
- 『宗教歳時記』(角川選書、1982年/角川ソフィア文庫、2010年)
- 『鬼むかし 昔話の世界』(角川書店、1984年/角川選書、1991年/角川ソフィア文庫、2021年10月)
- 『日本の庶民仏教』(角川選書、1985年/講談社学術文庫、2020年5月)
- 『踊り念仏』(平凡社選書、1988年/平凡社ライブラリー、1998年)
- 『石の宗教』(角川選書、1988年/講談社学術文庫、2007年)
- 『日本人の仏教史』(角川選書、1989年/角川ソフィア文庫、2023年10月)
- 『遊行と巡礼』(角川選書、1989年)
- 『山の宗教』(角川選書、1991年/淡交社、1999年/角川ソフィア文庫、2008年)
- 『日本人の地獄と極楽』(人文書院、1991年/吉川弘文館「読みなおす日本史」、2013年)
- 『先祖供養と墓』(角川選書、1992年/角川ソフィア文庫、2022年2月)
- 『日本人の死生観』(角川選書、1994年/講談社学術文庫、2021年10月)
- 『空海の足跡』(角川選書、1994年)
- 『西国巡礼の寺』(角川書店、1996年/角川ソフィア文庫、2008年)
- 『四国遍路の寺 〈上・下〉』(角川書店、1996年/角川ソフィア文庫、2009年)
- 『円空と木喰』(淡交社、1997年/角川ソフィア文庫、2016年)
- 『日本仏教と庶民信仰』(大法輪閣、2014年)
著作集
編集- 修験道の歴史と旅
- 作仏聖-円空と木喰
- 異端の放浪者たち
- 庶民信仰の諸相
- 芸能の起源
- 寺社縁起からお伽話へ
- 宗教民俗講義
- 文学と民俗を語る:対談
- 『五来重著作集』(全12巻・別巻、法藏館、2007年 - 2009年)
- 日本仏教民俗学の構築
- 聖の系譜と庶民仏教
- 日本人の死生観と葬墓史
- 寺社縁起と伝承文化
- 修験道の修行と宗教民俗
- 修験道霊山の歴史と信仰
- 民間芸能史
- 宗教歳時史
- 庶民信仰と日本文化
- 木食遊行聖の宗教活動と系譜
- 葬と供養(上)
- 葬と供養(下)
- 別巻:略年譜・著作目録・全巻索引
参考文献
編集- 〈追悼文〉和多秀乗「五来重氏の訃」(吉川弘文館『日本歴史』第550号、1994年)
- 碧海寿広「仏教民俗学の思想 : 五来重について」『宗教研究』第81巻第1号、日本宗教学会、2007年、117-141頁、doi:10.20716/rsjars.81.1_117、ISSN 03873293、CRID 1390001205950526208。
脚注
編集注釈
編集- ^ 後年「日本宗教民俗学会」に統合。
出典
編集- ^ 水戸高等学校 編『水戸高等学校一覧 自昭和4年至昭和5年』水戸高等学校、1935年、332頁。NDLJP:1449064/173。
- ^ 『官報』第1602号、昭和7年5月6日、p.134
- ^ 『官報』第3688号、昭和14年4月24日、p.1031
- ^ 「彙報 昭和14年史学科卒業論文題目」『史林』第24巻第2号、史学研究会、1939年、227頁、NAID 120006815928。
- ^ 五来重『日本仏教民俗学論攷』 大谷大学、1962年。NAID 500000318592 。
- ^ 五来重「私にとっての柳田国男」(『東京新聞』1975年6月27日付)
- ^ 『五来重宗教民俗集成』7巻、解説より