久板栄二郎
劇作家、脚本家
久板 栄二郎(ひさいた えいじろう、1898年7月3日 - 1976年6月9日)は、日本の劇作家、脚本家。久坂栄二郎と誤記されることも多い。
ひさいた えいじろう 久板 栄二郎 | |||||
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1953年5月 | |||||
生年月日 | 1898年7月3日 | ||||
没年月日 | 1976年6月9日(77歳没) | ||||
出生地 |
日本・宮城県名取郡岩沼町 (現:岩沼市) | ||||
民族 | 日本人 | ||||
職業 | 劇作家、脚本家 | ||||
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生涯
編集宮城県名取郡岩沼町(現・岩沼市)生まれ。東京帝国大学国文科卒。在学中からプロレタリア演劇運動に参加し、戯曲を書く。1934年新協劇団創立に参加し、1935年「断層」、1937年「北東の風」「千万人と雖も我行かん」を書く。 第二次世界大戦後の1950年、連合国軍最高司令官総司令部指令によるレッドパージにより、映画会社からの追放者リストに名を連ねることとなるが[1]映画のシナリオを書き続けた。 戦後の代表作として「巌頭の女」(1952年)がある。墓所はさいたま市青葉園。
著書
編集映画
編集脚本作品
編集- 決戦(1944年2月24日公開、吉村公三郎・萩山輝男監督、松竹)
- 間諜海の薔薇(1945年2月22日公開、衣笠貞之助監督、東宝)
- 大曾根家の朝(1946年2月21日公開、木下惠介監督、松竹)
- わが青春に悔なし(1946年10月29日公開、黒澤明監督、東宝)
- 女優(衣笠貞之助監督、東宝、1947)
- 破戒(木下惠介監督、松竹京都、1948)
- 四谷怪談(木下惠介監督、松竹京都、1949)
- 妻と女記者(千葉泰樹監督、新東宝、1950)
- 白痴(黒澤明監督、松竹大船、1951)
- 彼を殺すな(岩間鶴夫・原研吉監督、松竹大船、1952)
- 母のない子と子のない母と(若杉光夫監督、民芸、1952)
- 螢草(佐々木啓祐監督、松竹大船、1954)
- 江戸の夕映(中村登監督、松竹京都、1954)
- 侍ニッポン(大曾根辰夫監督、松竹京都、1957)
- 静かなり暁の戦場(小森白監督、新東宝、1959)
- 悪い奴ほどよく眠る(黒澤明監督、東宝=黒澤プロ、1960)
- 山河あり(木下惠介企画、松山善三監督・共作、松竹大船、1962)
- 天国と地獄(黒澤明監督、東宝=黒澤プロ、1963)
- 100万人の娘たち(五所平之助監督、松竹大船、1963)
- 紀ノ川(中村登監督、松竹、1966)
脚注
編集- ^ 世相風俗観察会『増補新版 現代世相風俗史年表 昭和20年(1945)-平成20年(2008)』河出書房新社、2003年11月7日、37頁。ISBN 9784309225043。
外部リンク
編集- 「千万人と雖も我行かん」舞台装置図文化遺産オンライン