中尾 憲太郎(なかお けんたろう、1974年6月17日 - )は、日本ベーシスト音楽プロデューサー福岡県北九州市出身。九州産業大学芸術学部中退。

中尾 憲太郎
生誕 (1974-06-17) 1974年6月17日(50歳)
出身地 日本の旗 日本 福岡県北九州市
学歴 九州産業大学芸術学部中退
ジャンル
職業
担当楽器 ベース
活動期間 1995年 -

向井秀徳田渕ひさ子アヒト・イナザワと結成したナンバーガールベース担当)でデビュー。ナンバーガール時代は「中尾憲太郎〇歳」と名乗っていた。愛称は「ナカケン」「憲ちゃん」。

来歴

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友人に頼まれて何となくベースを始めたが、ザ・クラッシュニルヴァーナに出会い、本気で音楽を志す。

その後、大学を中退し、ライブハウスで照明のアルバイトをしていると、友人の向井秀徳にナンバーガールに誘われる。

向井は中尾の「ルードかつ直線的なベースが欲しい」と言って誘ったが、実際は様々なプレースタイルをこなせる。[1]

田渕ひさ子と中尾の出会いは、田渕がコズミック・チェリーというバンドで活動していた時に、照明のバイトをしていた中尾が「ライブ観て、カワイイと思いました」と言ってきたのが最初の出会いだと田渕は言っているが、本人は否定している。

ナンバーガール時代はしょっちゅう髪を坊主にしていた。理由はeastern youthの吉野寿に憧れた為であったり、シングル「URBAN GUITAR SAYONARA」のPV撮影の為であったりと様々である。髪型が変わる度にベースも代わっていった。

「CIBICCOさん」のPVでは相手役の女性に、口に含んだ水をかけられ、その後ビンタまでされるというシーンでなかなかOKが出ず、何度もやり直させられたりとの目に遭わされた。

ナンバーガール解散後は主にCrypt CityやSEAGULL SCREAMING KISS HER KISS HER、younGSounds、SPIRAL CHORD、SLOTH LOVE CHUNKS、タイガンMASS OF THE FERMENTING DREGS、dry as dust、The SALOVERS撃鉄快速東京、THE GIRL、コンテンポラリーな生活等のプロデュースも行っている。

現在はART-SCHOOLのサポートメンバーとしても活動している。

人物

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アメリカのガレージパンクバンドSupersuckersの大ファンで、彼の「中尾憲太郎○歳」という名前は、同バンドのギタリストであるダン・ボルトンがやっていたのを手本にしている。

社交的な性格で、レコーディングで訪れていたフレドニアのバーでもその社交性は発揮され、よく現地の人に声をかけられたという。

クラムボンのベーシストのミトとは交流が深い。

MOSH PIT ON DISNEYシリーズで、MONTEROZA 4950という企画バンドを組んでいた事がある。メンバーは、HUSKING BEEの平本レオナ(Drum、talking the lylics)、中尾憲太郎(Bass、Guitar)、toeの山嵜廣和(Guitar)、クラムボンのミト(fender rhodes、glockenspiel)。

大学の同級生には漫画家岸本斉史がいた[2]

脚注

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  1. ^ 「ルード」という言葉の意味は言われた中尾本人もよく分からないらしい。
  2. ^ 『Continue Vol.10』太田出版、2003年6月。 

外部リンク

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