聴いててよかった『落花流水』!

下村陽子さんは、ゲーム音楽などの作曲家さんです。
はてなブックマークで知りましたが、イギリスのアカデミー賞を受賞されることになったとか。本当におめでたい!
彼女の携わられた作品で、私がプレイしたのは唯一、Nintendo DSラジアントヒストリア』(と、その改訂版の3DSラジアントヒストリア パーフェクトクロノロジー』)だけなのですが。なかなか彼女の作品として名前が挙がりづらいようなのです(そりゃ『キングダムハーツ』とかの方が知名度は遥かに上ですもの。流石ディズニー作品は違う)。
なのでちょっと語ってみようかなと。
実はいまだに通勤時間のBGMで毎日のように聴きまくっているんですよね、ラジヒス。
ゲーム内音楽も情感たっぷり、あるいは緊張感があったりして素敵なのですが。
特に、新旧2つのテーマ曲のデキがすごい。ボーカルの女性の方、霜月はるかさんの透明感のある声も相まって。
今、公式のYouTubeで聴けるのは新しい方のテーマ曲『落花流水』のみ、みたいですね。旧作のメインテーマ『-HISTORIA-』も名曲なのですが(DS版の頃は公式サイトで聴けた)。勝手版が多いのでリンクを控えます。興味のある方はご自身で探してみてください。

どちらの作品も、本作のゲーム体験を見事に歌詞と旋律に落とし込んでいるんですよ。
このゲーム、西洋風な剣と魔法のファンタジー世界が舞台。二つのパラレルワールドを時空を超えて行き来しながら、世界の破滅を全力で防ぐシナリオなんです。
表の世界にて、とあるアイテムや情報などがなくて破滅してしまった時、時を超えて裏の世界に跳び、そういったものを入手してきて表の世界を破滅させないようにする、とか、そんな感じです。DS版の当時は「死亡フラグをへし折るRPG」というのがキャッチコピーの1つでした。
主人公のストックは、この時空を超えるアイテム『白示録』をひょんなことから入手し、世界を救うために駆けずり回ることになりますが。
はたから見たら本当に、放っておくとどこかへ行ってしまうように見えるので……だから『落花流水』は、「ここ」こそが貴方の(私の)望んだ世界なの、だからもう行かないで!…と、必死に伝える歌詞なんですね。
ストックは1人で時を超えて必死になっているわけですが、ゲーム内の他のほとんどの人物にはストックの地味な苦労が全〜然、伝わらない(苦笑)。まあ、伝わってしまったらそれこそやばいわけですけどもね。この任務、本当に密命ですから。そういったことも歌詞の背景にあるんだと思います。
また、DSシリーズはタッチペンで操作するデバイスでしたので、そういったことも歌詞となっているそうでして(これは発売当時に作曲者様のインタビューで読んだ記憶あり)。
本当に『ラジアントヒストリア』というゲームで体験できたことが歌詞になっていて深いんです。ゲームのテーマ曲としての1つの理想形だと思っております。
残念ながらサントラは廃盤になっちゃってるんですが(私は新旧両方持っているんですけど)。まぁ、テーマ曲は先程のYouTubeで聴けるので。
そのうち、Switch 2で再リメイクされないかな、と、密かに期待しているのでした。あのとんでもなくなかなか報われないド根性シナリオ、ゲームの歴史の中に埋もれさせておくのは本当にもったいないです!
で。日記の山に埋もれていた記事発見。昔、もうちょっとだけこの日記に詳しく書いていたのでリンク。2010年の記事ですよー! DS版の方ですがゲームシステムの基本は3DS版も変わらないので。ただ、ちょっとネタバレある……かな?(控えめ)こういう発見もラジヒスらしいなァ。

このゲームについて、公式にはこちらから。

ともあれ。下村陽子さん、本当におめでとうございます!

TVアニメ『全修。』見直し中

うーむ。
いったん『全修。』全履修の感動と興奮が落ち着いてから、配信で最初から見ています。
で、第7話で、なっちゃんが子どもの頃に初めて「子ども会」の映画鑑賞会で、『滅びゆく物語』に出会い。
図書館にあったアニメ雑誌の特集記事を筆写するまでにハマったことが語られているんですが。
初見の時は、あー、私もセーラームーンにハマって図書館でアニメージュのコピー取らせてもらってノートに貼ったりしてたなー(当時、『なかよし』以外で武内直子先生のインタビュー記事ですぐ読めたのがそれだった)とか思って懐かしんでいたんですけど。
今回。書き写しのアップのカットで一時停止したら(えらい字がキレイだなと)。
鶴山監督のインタビューを部分的に読めまして。
なんと『滅びゆく物語』は、20年もの構想を経て作られた初監督映画だったらしいです。
記事中でも、デステニーの死とルークの絶望について触れられているようですが。
死と絶望で終わる作品だったとなっちゃんが言っていたのは本当だったみたいで。
最終回の時の「ハッピーエンドだけがエンタメではない」という監督の言い分はまあわからんではないと改めて思いました。
でもやっぱり、子どもの頃のなっちゃんをして、惹きつけられるものはあるけどワケはわからない、だったようです。なんでここまで絶望的な映画にしたのか。
監督が絶望感に焦がれるあまり、イグジスト様に出会う前のメメルンもそうでしたが最終盤のルークも無理矢理絶望させられていたのではないでしょうか?
アニメ世界の神は監督なので。
記事の中でルークが「なんでみんな死ななくちゃいけないんだ」って言ったようでしたが、現実世界の住人から見ると、そういう世界観だったから、としか応えようがありません。
キャラの気持ちがわかるなっちゃんが現実世界から乱入してきて、初めてそれが監督に逆らいうる戦力ってことになります。だから最後に全修された。キャラクターの立場からしたら、絶望させられるために生み出された勇者なんてたまったもんじゃないですからね。
ストーリー主義とキャラクター主義がぶつかってキャラクター主義が勝ったのかなとも取れる。
この辺り、やっぱり、時代のエンタメのトレンドの流れも影響していそうに思います。
昔の漫画を読み返すと、ストーリーのためにキャラクターがいる雰囲気が強かったのではないかと思うことがありますが、今は逆なような気がする。
球漫画の『タッチ』で、なんでカッちゃんが死ななくてはならなかったのか。それはそういう、主人公のバトン「タッチ」を描く作品として構想されていたから……って話を読んだことがあります。
下記にまとまっていますが、元記事は「10月12日発売の「月刊少年サンデー」2016年11月号で、漫画家のカメントツさんが「タッチ」の作者のあだち充さんにインタビューする漫画」だったようです。

しかし、今、いろんな新人賞とかの評価を読むと「マンガというのはキャラクターが大事」だとみんな異口同音に語られている気がするんです。
ストーリー性が重い『進撃の巨人』でも、エレンという強烈なキャラクターがいたからあのドラマが始まったと思う。進撃、ラストは結局戦いは未来永劫続くような印象がありますから。平和への努力も続いていますけれど。
『全修。』で、なっちゃんが本当に直したかったものは、おそらくルークの死。そこは作品のテーマそのものなので鶴山監督としては絶対に揺るがせたくないでしょう。しかし、キャラ自身の気持ちとしては死にたくなんかなかったはず。
テーマのためにキャラクターを殺すか否か。これって創作論の永遠の課題かと思います。
今回はキャラクターが復活するカタチに全修されて物語が終わりましたけど、それだけがエンタメではないのも確かですけどね。やっぱり引っかかるものはありますね。
そうそう、やっぱりエンタメの王道的展開って好きだなあ、と思ったのは第6話。
なっちゃんも慢心を悔いたのか、少しずつ変わりまして。この話で彼女がジャスティスに支えられながら描いたのはキャラクターではなくヴォイドまでの螺旋階段。その階段を駆け上がり、ユニオが飛ばしたルークが、QJとメメルンが示した急所に剣を叩き下ろす! かっこいいにも程がある!
まさに友情の勝利でありました。
鶴山監督、こういうのも否定するつもりですかね? それって楽しいですか? 20年かけて語りたかったことがそれってなんだかなー。

『裏世界ピクニック』新刊2連発!

今月は、『裏世界ピクニック』の小説版とコミカライズ、それぞれに新刊が出るという、ファンにはうれしい出来事がありました。

話の序盤の部分はアニメ化されています。こちらはこちらでかなり面白かったです。なにしろあんな不思議な出来事を、動く絵で見られたんですから。
まだまだ配信されているのが嬉しい。

裏世界って言っても。いわゆる「ヤーさん」とか「マル暴」のような話ではありません。まあ、銃は使う話ではありますが。
もしかしたらあるかもしれない、現実とはズレた異世界(と言っても西洋ファンタジーなものではなく、原っぱだったり森とかとか)に、とあるビルのエレベーターをとある方法で上り下りすると到着してしまうというあたりからの話です。
この作品での「裏世界」には、何やらいろんな行き方ができるようですので。謎の建物があったり、訳の分からない妖怪(なぜかネットミームや日本の伝説が出自のことが多い)に襲われたりもします。かと思うと現実から迷い込んだ他の人たちを助けたりなんかも。
……そんな妙な世界の探検を志す、2人の女子大学生のお話ですね。
不思議なことって、実際に体験したことも自分自身あるので。子供の頃に。
なのでこういうことがあるかもしれないな、という気持ちもちょっとあります。もうひとつの世界があって、そこは、今回の小説版にて語られたように探索者の精神状態が大きく影響するというのは、なんかわかる気がするんです。普通に生活していても、しっかりとした休息やバランスの良い食事を取って、少しでも気持ちを前向きにすると、世界が明るく見えることって実際にあるので、それがもっとフクザツに作用したらあんなことになっても不思議ではないかも?
さてと。作品の感想などを。
漫画版はあの3人が秩父の温泉に行く話など。
主人公2人、そして実質、裏世界アドバイザーみたいになってる小桜さん。
まあ、この3人で行ったら何かは起きます。起きるしかない。
で。
その顛末は作品に譲るとして。今回の同月刊行で面白かったのは、漫画版で追っている温泉でのエピソードが、本ストーリーの最先端である小説版の伏線のひとつになっていることですね。
今回の小説版では、この温泉旅行のことをはじめとして、過去にあったことの伏線をまとめている感じを受けました。
冴月さんが残した遺物とか、裏世界の掘立小屋なども重要なキーワードに。あれ、話としてはだいぶ前に出ていたのですが、読者としてもいつ確認しに行くのだろうなァとなっていましたから。
それから骨組みビルに外ハシゴではない安全な昇降ルートを取り付ける話とかも。
いろんなことをまとめ直し、話が前に進む準備がなされたように思います。
ところで。
お二人くんはこの先、この世界をどうするのかなあ。
日常を送っていても、急にあっちに引っ張り込まれることが空魚は多いみたいです。実に危険極まりない。鳥子が前に心配していたみたいに、いつのまにか国境を超えてしまうこともありえます。東京にいたのに裏世界を経由して沖縄や石垣島に到着したこともあったくらいなので。そういえばパスポートは取ったのかな?
鳥子は鳥子で、とりあえず英会話の心配はないカナダからの帰国生ですから、そういうことがあっても何とかはなりそうですが……そもそも彼女の日常って分からないことが多いです。異世界に引っ張られること、起きてはいないのでしょうか。お互いに簡単な探検グッズを日頃から持ち歩くようにしているらしいので、何かは起きているのかもしれませんけど。
というか。
そろそろ、2人で一緒に生活しても良い頃合いかも? なんか物騒になってきたし、大学通学以外は出来るだけ一緒にいた方が安全では? という、1人の読者からの提案を書いてみる。もうほんとに彼女らの身の安全が非常に心配なので……いや、他意はない、ありませんとも! ええ!
鳥子の家は亡くなられたご両親の家でもあるので、かたづければ部屋は余っているわけで(元々綺麗にしているようですが)。
場所も、空魚の埼玉大学に通えないこともない距離ではないかと。たしか山手線の……日暮里でしたね。埼玉大学はJR南与野駅からバスで10分くらいだそうなので、日暮里から赤羽で乗り換えて埼京線で40分の南与野なので合計で1時間はかかりません。十分通える。これ書いてる本人は大学まで片道2時間通学でしたからねえ。私、4年間よく頑張った!
空魚の夏休みはメッチャ短いそうで忙殺されていましたから引っ越しとかは無理そうでしたが、どっかのタイミングで時間作って。
だってねえ、小説10巻めのラストがラストでしたから……読んでいてマジで怖くなりましたよ。まさかこんなことになるなんて。お二人ともどうかご安全に、です。
次巻を待ちきれません! 漫画版も、原作小説も!

TVアニメ『全修。』を全履修した

配信で見守っておりましたが、終わってしまいました。
ひとまず。滅びゆく世界からの生還、おめでとうございます!
最後の最後まで厳しい戦いでした。公開されたばかりなので、戦いの詳細については自重しますが……。

自分が描いた原動画が、その場ですぐに生命を持って目の前で動き出す……アニメーターのひとつの夢ではないでしょうか?
今ならApple Vision Proあたりで仮想的に実現できそうですが、そういうことではなく、キャラクターが生命を持ち動く……。
『全修。』はひとつの夢の具現化でしたね。
思うに、その夢……というか、このストーリーは、アニメーション監督としてある程度の高いランクに達したなっちゃんが、食中毒中での気絶中に見た長い長い夢だったのかなと。
ちょっと流れを振り返ってみましょう。
流石のなっちゃんも就職したてのペーペーの頃はプロの先輩方にアドバイスされるような場面もほんの少しはあったかもしれませんけど……。あのレベルに達してしまえば、具体的なアドバイスができる人はもういない。自分でどうにかするしかない。そして今まではどうにかしてこられてしまった。人に任せるより、自分が描いた方が早いと思うまでに。
そんな折、新作の構想に苦悩していたなっちゃんは食中毒で倒れた。まあ、相当大変でロクに寝ても食べてもいなかったようなので、身体が弱っていたのは間違いありませんからね。
気がつくと昔憧れたアニメ作品「滅びゆく物語」の世界。そして勇者ルークたちと出会う……。
お弁当の食中毒で、っていうのがポイントのひとつ。大先輩、鶴山亀太郎監督が亡くなられたのも同じ原因のようでしたから。その辺も潜在意識に影響したのかもしれません。
なっちゃんは、『滅びゆく物語』でのルークたちの危機を、描いた動画が具現化する特殊能力(現場では召喚魔法扱い)で切り抜けていくわけですが。
おそらく。
昔、『滅びゆく物語』を鑑賞した時も、ラストへの鬱展開には内心は不満があったのではないでしょうか。
鶴亀監督に会った時も否定はしていましたが、監督の手前、はっきり言うことはできなかっただけで。大好きなルークたちが破滅していく展開は、やはり受け入れがたいものがあったのでは?
私はダークな展開やバッドエンドそのものを否定するものではありませんが、キャラクターの気持ちを考えたらかなり理不尽にも思います。
昔、藤本ひとみ先生の少女小説のあとがきでこのあたりの創作論を書かれていたことがあって。作品テーマを優先してキャラクターを殺したら読者サマから文句を散々言われた、とか。
このストーリーとキャラクター、どちらを優先するべきか、という議論はなかなか興味深いものがあります。
基本的には、こういうテーマだからこういうキャラクターを出そう、ってプロットを練るんだと思うのですが、時としてキャラクターは作者の意図に反して一人歩きすることがあるそうで。
特に『滅びゆく物語』のような、最終的に世界は滅亡し勇者は敗れ闇の帝王に堕ちるような物語では、勇者の輝きを失っていく過程をファンが許容できるわけもありません。作中でも、本作は爆死(全然売れなかった)したとのことでしたがさもありなん。
この辺りの具合をうまくやった作品はやっぱり前の『新世紀エヴァンゲリオン』の映画版かもしれませんね。あれも世界滅亡で終わる物語といえばそうでしたが、キャラが絶望視して闇落ちしたというよりも、どうやってもこうなる状況だったという流れがうまかった。一応、アスカとシンジは生存しましたし…。あれがいい形だったとは思わないですが。
さらに数十年後になりはしましたけど『シン・エヴァ』で今度はそれなりに世界を救っており(色々と謎は多いものの)、そんなにあと味が悪くないです。
全修……というか、ルークと世界復活の章には、あらたな描き手により追記がなされました。鶴山監督の意図から外れてはしまいましたが、善行によるカタルシスと世の救いが求められる今の時代には、なっちゃんのリメイク部分は必須だったろうと思っています。
「ハッピーエンドだけがエンタメだと思うなよ」
っていう、監督の言いたいことはわからないではないですが、作品は監督のものであり、かつ、ファンのものでもあるかなと。
特に今の時代は、夢想世界の中でも悲劇をやっている場合じゃないんですよ。監督の時代は、世の中がおそらくそこまで絶望感にはあふれていなくて(もしかしたらバブル期?)、だからこそ悲劇を描く必然性があったのかもしれませんが、今の、この、なっちゃんの…我々の時代はそうじゃないですから。
リアルが絶望感で満ち溢れている時代に、仮想世界でも絶望させて、それで、どこの誰が救われるんですか!?
この体験が完全に夢だったのかどうか詳細は不明ですが、ともあれ、健康を取り戻したなっちゃんは『滅びゆく物語』を超えて次の作品を公開できたようです。髪もどこかでみたようなかんざしでバッチリまとめて、バリバリ仕事しつつ他の方に頼んだ原稿にOKをだす余裕も持てるようになりました。制作進行の若手の子にもお礼や次の作品もよろしくとか言ってて。
自分が何を描くべきか、迷いが消えたんじゃないですかねぇ。あの夢の世界では、自分のできなさや絶望感を徹底的に突きつけられたのは確かです。もしかしたらそこを鶴山監督は描きたかったのかもしれませんね。闇堕ちしたルークから学べと…。
弱さと向き合い大きなものを手に入れた、巨匠・広瀬ナツ子監督の次回作に大いに期待したいと思います。
ひとまず、お疲れっした!

TVアニメ『全修。』いよいよ佳境

配信で見ている『全修。』ですが、いよいよ佳境っぽいですね。
先程見ていたのは第11話『絶望。』
やー、もう今回は何を信じてどうすればいいんだか、ってところから始まり。
「自分を信じて描け!」ってところで終わった気がする。
戦闘のたびに「描け描け」言ってたのは過去の自分からのメッセージだったらしい。
ともあれ今回は胃が痛くなる回でした。
自分はプロとしては表現で食ってはいませんが、まあ、大学の出身学科が一応、芸術文化学科だったりするので。何かとコンサートや美術展に縁があるのです。
もしもステージに立つたびに、あるいは作品展に出展するたびに、顔の見えない人たちにあんなに全否定されまくったら。
流石にもう……楽器もカメラもMacBookも、持つ気になれないかもしれない。
ましてやこのストーリーのなっちゃんは、プロ中のプロのアニメーターさん。自分の手で描いたもので食ってきた表現戦士。
世界に冠たる日本のアニメですから、世界の何百、何千万人のアニメファンに対して、腕ひとつで語りかけてきたわけですよ。
その人たちみんなから、ヘイトを喰らいまくったら……。
無理です。もう嫌です。ってなっても仕方ない。
でも、そんなことになったら、次の初恋の話も動かないし、そもそもルークとあの世界のみんなを救うことができません!
先達の大監督が、なぜか世界滅亡で終わらせた『滅びゆく物語』。
悲劇で終わる話というのも、否定はしませんが、でも。その世界の中で生きてきたキャラクターたちはどうすれば良いのでしょうか。
それでちょっと思い出したのが、『アウターゾーン』の作者様の光原伸先生の言葉です。
アウターゾーン』を知っている人は知っていると思いますけど。昔、週刊少年ジャンプで連載していた、少し不思議なオムニバスストーリーです。
世にも奇妙な物語』とかのイメージが近いかな? このストーリーでは何かしらの不思議なことが起こる。現実の少し外の世界。
ホラー映画などの昔からあるジャンルでもありますが、光原先生によれば、こういう話ってバッドエンドで終わることが多かったのだそうです。
でも、先生は、過去にバッドエンドが多かったジャンルだからこそ、意地でもハッピーエンドでまとめてやるっていう信念をもって『アウターゾーン』を描き上げたのだそう。
不思議なアイテムで願いが叶うような話では、たいてい、しっぺ返しで主人公は最後にひどい目に遭うものですが。
アウターゾーン』では、ちゃんと幸福な形に着地している。
それを週刊漫画誌でやっていたんですから、本当に超人です。
で、光原先生は、やっぱりこの作品の中のキャラクターを救いたくて描いておられたらしい。最終巻のコミックスのあとがきでそのようなことを書いておられました。
考えてみれば、作者さんが作った箱庭の中とはいえ、キャラクターはキャラクターとして「生きて」いると言えます。
よく、キャラクターが勝手に動き出す……って言いますけど。
『全修。』の世界の中でも、鶴亀監督が見ていない部分ですら、ルークとユニ夫のストーリーがあったりして。
『滅びゆく物語』の世界の中ではルークたちは生きているはず。
だったらやっぱり、彼らを幸せにしてあげて欲しいですよね。
ところで、この作品。そういう変革を起こすマジカルアイテムが、えんぴつや紙ではなく「タップ」というあたりが良いんですよね。
動画用紙の穴に引っ掛けて紙の位置を固定し、動画を描いてパラパラめくったときに動いて見えるようにするための、作画作業でかかせない固定具のようなものなのですが。
いくら描けても、あれがなければ動画にならない。位置がズレたらダメですから。言ってみれば紙を動画にする道具がタップなわけで。
よく考えてあるなあと。
さて、おそらく来週が最終回なのではないかなと思います。サブタイトルがサブタイトルですから。
絶対、なっちゃんはルークを助けてあげて欲しいです。自分の可能性を信じて欲しいな。
原作のないオリジナルアニメだと、展開を知らないので本当に次回どうなるんだろ、ってなりますね。
目指せ、ハッピーエンド!
次回のサブタイトルは『全修。』だそうです!

弟子を見守る師匠の歌

「BOW AND ARROW」は、つくづく弟子を見守る師匠の歌なのだなあ…と。
僕はここで見ているから、あなたはあなたを信じて跳べ! みたいな。
ちゃんと見守っているから、自分を信じてやり遂げておいで! みたいなね。
フィギュアスケートの高回転ジャンプは、やっぱり10代前半とかせいぜい20代くらいまでしか跳べません。
幼い子が選手となって成長し、高回転ジャンプをモノにするまでたどり着くには、良い師匠の導きが絶対に必要になります。
だからこそ。
師匠にもあんなジャンプは跳べないけど、どこが悪いかとかは見れば分かる。そして、メンタルなことも。
それにしても。
最近、教育の世界での良く無いニュースが多くて。
本当は先生って、こうあってほしいんですよね。
小学3年から4年の頃に担任だった先生が、ちょうどこんなタイプでした。
得難い師匠でしたね。
今もお元気でおられると良いのですが。

別冊少年マガジン2025年4月号のある結論

『進撃』終了後も毎月電子版で買ってる、『別冊少年マガジン』。
『100万の命の上に俺は立っている』が終わるまでは絶対買います。
で。
今号も購入して少しずつ読んでいたんですが。
まだあまり読み終わってないですけど。
まさか。

『100万の命の上に俺は立っている』と、『ブルーロック ーEPISODE凪ー』とが、同じ号で同じような結論に至るとは思いませんでした。
何がどうってのは書きません。
読み比べをオススメ。

ただ、かたや異世界と現実を行き来する新感覚ファンタジー、こなたデスゲーム現代サッカーという、まったく毛色の違う作品なのに。
それぞれの世界で、彼(女)らが必死に生き抜いた結果。
同じような結論をひとつ得たことに、静かに感動しております。

厳しい世界だからこそ、愛も強くなる。夢も強くなる。
どうかこの、素晴らしいキャラクターたちには幸せになって欲しいですね。